KATSEYEと僕。 캣츠아이와 나

3世代以降

ロサンゼルスを拠点に、英語で歌う、6人組のガールグループがいる。

メンバーの国籍はバラバラ。
アメリカ、フィリピン、スイス、イタリア、そして、韓国。

見た目も、育ちも、話す言葉も、まるで違う6人。
彼女たちは、アメリカのビルボードを駆け上がり、グラミーの最優秀新人賞にノミネートされた。

アメリカのポップグループ、と呼ぶには韓国の匂いが強く。
K-POP、と呼ぶには英語すぎる。

KATSEYE(캣츠아이ケッチュアイ/ケッチュオイ/キャッツアイ)。
これは、韓国が30年前に描いた設計図が、本場アメリカで完成した。
その瞬間の話だ。

うりぬんはいつも古い話ばかりだけど、今日はちょっと息抜きに、いちばん新しい景色を見てみてほしい。
古いものを掘っていると、たまにこうして「現在地」を確認したくなる。
KATSEYEは、そういう確認の意味でも、書かなければならないグループだった。
1990年代から今まで、一本の線でつながっている。
そのことが、うりぬんを書く理由の一つになっている。
KATSEYEを見ると、その線がどこまで伸びるのかを確認できる。
まだ伸び続けている。
それが嬉しい。
うりぬんも、その先を見ていたい。


目次

  • 基本情報
  • KATSEYEとは
  • 6人のメンバー
  • Dream Academyという実験
  • S.E.S.が30年前に描いた設計図
  • 「Gnarly」という転換点
  • 楽曲と音楽性
  • マノンという休止
  • 韓国と、世界のあいだで
  • ディスコグラフィー
  • 余談
  • マルのひとこと

基本情報

項目内容
グループ名KATSEYE/캣츠아이ケッチュアイ
メンバーマノン
ソフィア
ダニエラ
ララ
メーガン
윤채ユンチェ
結成2023年11月18日
(サバイバル番組『Dream Academy』)
デビュー2024年8月16日
(EP『SIS (Soft Is Strong)』)
ジャンルポップ、ダンス、オルタナポップ、ハイパーポップ
所属HYBE × Geffen(HYBE UMG)
拠点アメリカ・ロサンゼルス
ファンダムEYEKONS(アイコンス)
特記事項HYBEの米国現地化多国籍ガールグループ。
第68回グラミー最優秀新人賞ノミネート

【KATSEYEとは】 K-POPが作った”アメリカのガールグループ”

KATSEYE(キャッツアイ)は、2024年8月にデビューした、HYBE×Geffen(ゲフィン)所属の多国籍ガールグループ。

拠点はロサンゼルス。
歌うのは英語。
アメリカを主戦場にする、正真正銘の”アメリカのポップグループ”だ。

でも、育てたのは韓国のHYBE。
つまり、K-POPの育成システムを丸ごとアメリカへ持っていって、「現地の子たちで、現地向けのグループを作る」という壮大な実験の答えが、KATSEYEなのだ。

だから彼女たちは、アメリカのチャートを追いながら、韓国の音楽番組やバラエティにも出る。
どっちつかず、ではない。
どっちも、なのだ。


6人のメンバー

KATSEYEの最大の特徴は、その”多国籍・多人種”ぶりにある。
グループ名の由来どおり、猫の目(Cat’s eye)が角度によって色を変えるように、一人ひとりの背景がまったく違う。
デビューを懸けたサバイバル『Dream Academy』の、最終順位順に紹介しよう。

소피아ソピア/ソフィア リーダー・ボーカル / 1位

フィリピン系アメリカ人。
ニューヨーク生まれ、マニラ育ち。
母は、ロンドンのウェストエンドで『ミス・サイゴン』の舞台に立った、フィリピンの実力派ミュージカル俳優。
その血を継いだ、パワフルで安定したメインボーカルが武器だ。
Dream Academyを1位で通過し、メンバー全員一致でリーダーに選ばれた、グループの太陽。
唯一のアジア圏育ちどうしとして、韓国人のユンチェをいつも気にかけている。

라라ララ/2位

インド系アメリカ人(タミル人)。
眉間のビンディ(額の宝石)がトレードマーク。
アリアナ・グランデを思わせる、音域の広い堂々たるメインボーカル。
実は自分でトラックも作るプロデューサーで、グループ名の「Cat」を「Kat」に変えようと言い出したのも彼女だ。
ボリウッド映画とともに育ち、「インド系へのステレオタイプを塗り替えたい」と語る。
2025年には、自分がバイセクシュアルであることを、自らの言葉で公表した。
その率直さに、背中を押されたファンも少なくない。

윤채ユンチェ/ユンチェ(Yoonchae) リードダンサー・最年少 / 3位

本名は정윤채ジョンユンチェ/チョン・ユンチェ。
ソウル生まれの、グループでただ一人の韓国人。
実は、メンバーの中で唯一”韓国で”練習生をやっていた人で(WakeOne→HYBE)、練習生歴も最長の約3年。
BTSの映像に夢中になって歌手を志した、生粋のK-POPキッズだ。
170cmでグループ最長身、전지현ジョンジヒョン/チョン・ジヒョン似とも言われる。
最年少だが「マンネと呼ばれるより、歌とダンスで注目されたい」という、芯の強い子。
この一人がいるおかげで、KATSEYEはK-POPと直接つながる回路を持っている。

메간メガン/メーガン メインダンサー・オールラウンダー / 4位

ハワイ生まれのアメリカ人。
父がスウェーデン系、母がシンガポール系中国人のユーラシアン。
歌・ダンス・演技・モデル、なんでもこなすオールラウンダー。
実はHYBEの前に、別の事務所でJ-POPアイドルの練習生をしていたという異色の経歴の持ち主。
スローな動きを早回しして”コマ撮りアニメ”みたいに見せるショート動画が、彼女の名物だ。
ララに続いて、自分もバイセクシュアルであることを公表。
ありのままを隠さない生き方が、多くのファンの支えになっている。

다니엘라ダニエラ/5位

アトランタ生まれのアメリカ人。
父がベネズエラ系、母がキューバ系。
両親ともダンススポーツの選手兼講師で、3歳からダンス漬け。
筋金入りのメインダンサーだ。
子役ダンス番組の頃からの友人が、いまをときめくシンガーソングライター、テイト・マクレー。
ラテンの血が濃く、家ではスペイン語とキューバ料理で育った。

마농マノン/6位

スイス・ルツェルン出身。
父がガーナ人、母がイタリア系スイス人。
グループ随一の”ビジュアル担当”として、Dream Academyの頃から話題をさらった。
ウクレレもピアノも作曲も独学という、根っからのクリエイター気質。
(前述のとおり、2026年2月から健康とウェルビーイングのため活動を休止中)

6人が話せる言語は、合わせて7つ(ドイツ語・スペイン語・英語・フランス語・フィリピン語・タミル語・韓国語)。
これはもう、ひとつの小さな地球儀である。


Dream Academyという実験

KATSEYEは、ふつうにデビューしたグループではない。

HYBEがアメリカのGeffen Recordsと組んで作った合弁会社(HYBE UMG)が、サバイバル・オーディション『The Debut: Dream Academy』を実施。
世界中から集めた候補生を競わせ、審査員50%+ファン投票50%で、最終的に選ばれた6人がKATSEYEになった。

その全過程は、Netflixのドキュメンタリー『Pop Star Academy: KATSEYE』として世界配信されている。
「K-POPのアイドルは、こうやって作られる」という舞台裏を、まるごとアメリカの茶の間に見せたわけだ。

HYBEの総帥・방시혁バンシヒョッ/パン・シヒョクは、この企画についてこう語っている。
「彼女たちがK-POPへのリスペクトを忘れないようにする。
韓国や、メンバーの出身国も、重要な活動国になる」。
実際、デビュー曲「My Way」は”hitman” bang(=방시혁バンシヒョッ)自身がプロデュースに名を連ねている。


S.E.S.が30年前に描いた、設計図

ここが、うりぬんとして書きたかったところだ。

「多国籍のメンバーで、多国籍のマーケットを狙う」。
このアイデア、実はまったく新しくない。

30年近く前、SMエンターテインメントのS.E.S.(▶ S.E.S.と僕。)が、すでにやろうとしていた。
在日メンバー、在米メンバー、英語圏担当、中国語要員……。
S.E.S.は「多国籍設計」を最初に持ち込んだガールグループだった。
その思想は、EXO・NCT・aespaの多国籍構成へと受け継がれていく。

KATSEYEは、その系譜の”最終形態”だ。
韓国人メンバーを軸に据えつつ、いっそメンバーの大半を現地の子にして、拠点ごとアメリカに置いてしまう。
30年前の設計図を、本場で、極限まで押し進めた姿。
それがKATSEYEなのだ。

「K-POPとは、韓国人がやる音楽ではなく、韓国が磨いたシステムのことだ」。
KATSEYEは、その考え方を世界に突きつけた最初の成功例でもある。

S.E.S.からEXO・NCTへ続いてきた「多国籍設計」は、常に「どこまで韓国が主導権を持てるか」という問いと向き合ってきた。
KATSEYEは、その問いに「韓国がシステムを輸出し、現地の人材が運用する」という新しい答えを出した。
これは単なるグループの形の話ではなく、韓国のエンターテインメント産業がいかに成熟したかを示している。
HYBE一社がこれを実行できたのは、BTSの世界的成功で積み上げた資本と信頼があったからであり、その意味でKATSEYEはBTSの「その次の章」でもある。


「Gnarly」という転換点

デビュー曲「Touch」も悪くなかった。
だが、KATSEYEを一気に世界の話題にしたのは、2025年の「Gnarly(ナーリー)」だ。

奇妙で、中毒性があって、人種も国境も関係なく、SNSでカバーダンスが溢れた。
続く「Gabriela(ガブリエラ)」は、ビルボードHot 100で最高22位。
EP『BEAUTIFUL CHAOS』は、ビルボード200で堂々の4位。
Hot 100に3曲を送り込む、正真正銘の”グローバル・ガールグループ”になった。

そして極めつけが、2026年。
第68回グラミー賞で、最優秀新人賞にノミネート。
「Gabriela」で最優秀ポップ・デュオ/グループ・パフォーマンス部門にもノミネートされ、授賞式では堂々とパフォーマンスを披露した。
(受賞は逃したが、K-POPシステム発のグループがここまで来た事実が、すでに事件だ)

2025年のTikTok Top Artist、堂々の1位。
時代は、完全に彼女たちの側にある。


楽曲と音楽性

KATSEYEの楽曲を聴いていると、韓国のK-POPとアメリカのポップが本当に自然に混ざり合っていることに気づく。

デビュー曲「Touch」は、フレッシュなダンスポップで、K-POPのフォーマットをそのまま英語圏向けに転換したような曲だった。
一方、ブレイクを果たした「Gnarly」は、ハイパーポップとダンスポップを混ぜたような、より実験的な楽曲だった。
「Gabriela」はラテンの要素を取り入れた、夏向けのキャッチーなポップソングで、ダニエラのキューバ系の背景がサウンドに反映されているとも言われる。

2026年のEP『WILD』からのリードシングル「PINKY UP」は、さらに攻撃的でエネルギッシュなダンストラックで、グループとしての進化を示した。
マノンの活動休止という状況の中でも、5人のKATSEYEが新しいサウンドに挑戦し続けていることは、彼女たちの音楽的な意欲を示している。

KATSEYEの楽曲には、一つの大きな特徴がある。
「誰でも共感できるが、誰一人同じ解釈をしない」という普遍性と多様性の共存だ。
「Gnarly」がこれほど国境を越えて広まったのは、言語の壁を越える中毒性があったからだが、同時にそのサウンドがどの文化圏から聴いても「なじみやすい何か」を含んでいたからでもある。
6人の異なるバックグラウンドを持つメンバーが作る音楽は、計算ではなく自然に、様々な文化の味を帯びていた。

KATSEYEの音楽の特徴として、「グループのメンバーそれぞれの個性が楽曲に反映される」という点がある。
ソフィアの強いボーカル、ユンチェのK-POPで磨いたダンス、ダニエラのラテンリズムへの親和性、ララのプロデューサー視点。
それぞれが持ち込む背景が、混ざり合って「KATSEYE」というサウンドになっている。


マノンという、休止

いいことばかりではない。

2026年2月、HYBEとGeffenは、마농マノンが健康とウェルビーイングに集中するため活動を一時休止する、と発表した。
KATSEYEは、当面5人体制で活動することになる。

一部で「人種を巡る問題では」という憶測も流れたが、メンバーたちはこれをはっきり否定している。
「私たちにとっていちばん安全な場所は、6人の中だった」ララは、そう語った。

急成長の光の裏で、まだ若い6人が背負うものは、決して軽くない。
それでも彼女たちは、마농マノンの席を空けたまま、前に進んでいる。


韓国と、世界のあいだで

KATSEYEの立ち位置は、面白い。

アメリカでは「K-POP出身のグローバル・ガールグループ」として扱われる。
一方、韓国の音楽番組にも出て、2026年6月には『M COUNTDOWN』で初の1位を獲った(ケーブル音楽番組での初1位)。

彼女たちは、白人だけのアメリカン・ポップでもなく、韓国人だけのK-POPでもない。
その”あいだ”に、新しい居場所を作ってしまった。

これは、S.E.S.が夢見て、BTSが世界の扉をこじ開けた、その先の景色だ。
「韓国発のシステムが、世界のポップそのものになる」。
KATSEYEは、その最前線を走っている。


ディスコグラフィー(主要作)

形態タイトル年代表曲記事
EP1SIS (Soft Is Strong)2024Touch準備中
EP2BEAUTIFUL CHAOS2025Gnarly/Gabriela準備中
SingleInternet Girl2026Internet Girl準備中
EP3WILD2026PINKY UP準備中

余談

グループ名「KATSEYE」は、猫の目(Cat’s eye)、縦に細い瞳孔が由来。
「Cat」の「C」を「K」に変えようと提案したのは、メンバーのララ。
ただ、綴りが独特なせいで、国内外を問わず「これ”カッセイェ(KAT-SE-YE)”って読むの?」と間違われがちで、ファンも愛称でそう呼ぶことがある。

デビュー前、メンバーの多くは1年〜1年半ほど、ロサンゼルスでHYBE UMGの練習生生活を送っていた。
アメリカのど真ん中で、韓国式の”연습생ヨンスプセン/練習生”をやっていたわけだ。

HYBE×Geffenは、KATSEYEに続く2組目のグローバル・ガールグループ「SAINT SATINE」も2026年に始動させた。
KATSEYEは、もう「実験」ではなく「モデルケース」になったのだ。

ファンダム名「EYEKONS(アイコンス)」は、「KATSEYEのファン=アイコン(象徴的な存在)たち」という意味が込められている。
K-POPのファンダム名としては珍しく、英語でそのまま通じるネーミングで、グローバルな活動を前提にしたアーティスト側の意識が反映されている。

KATSEYEのメンバーたちは、それぞれが自分のルーツを大切にしながら活動している点でも注目される。
ユンチェは韓国語の発言でK-POPへの愛を語り、ダニエラはラテンの文化や言語への誇りを隠さない。
マノンはスイスという「どこにもカテゴリーされない場所」の出身であることを逆手に取って、ユニークなビジュアルアイコンとしてのポジションを確立した。
これは「多様性を看板にする」のではなく、「一人ひとりが本当に違うから、一緒にいると面白い」という自然な状態がそのまま強みになっている。

日本でのKATSEYEの知名度も、2025年以降は急速に高まっている。
「Gnarly」のTikTokダンスが日本語圏でも広まり、「愛の不時着」でユン・ミレを知った世代が、今度はKATSEYEで「K-POPシステム発の英語グループ」という新しいジャンルに出会っている。
1990年代に始まった韓国ポップミュージックの波は、2020年代に入っても、まだ新しい形で日本に届き続けている。

KATSEYEの登場は、K-POPという言葉の意味を広げた出来事でもある。
2000年代初頭まで、「K-POP」は「韓国語で歌う韓国のポップ音楽」という意味で使われていた。
BTSのグローバルヒットを経て「韓国人グループが作るポップミュージック」に拡張され、KATSEYEによって「韓国の育成システムが作るポップミュージック」という新しい定義が生まれた。
この変化は、「韓国」というタグがコンテンツではなくプロセスの保証を意味し始めた瞬間とも言える。

KATSEYEのドキュメンタリーがNetflixで世界配信された事実も重要だ。
K-POPの練習生システムをアメリカの視聴者に可視化したことで、「なぜK-POPのパフォーマンスはあんなに完成度が高いのか」という問いへの答えが、初めて英語圏に届いた。
これはBTSのMVが世界中の人を引きつけたこととは別の角度から、韓国の音楽産業の「見えていなかった部分」を世界に開いた出来事だった。


マルのひとこと

正直に言うと、うりぬんで一番新しいこの記事を書くの、ちょっと不思議な感じがした。

いつも90年代ばかり掘っているから。
でも、KATSEYEのことを調べていたら、90年代から今までがつながって見えてきた。
S.E.S.のバイオグラフィーを読んでいたときと、同じ感覚だ。
「あのとき始まったものが、こうなっていくんだ」という感覚。

世界を狙う姿勢は確かにS.E.S.の時から続いているムーブメントだ。

多国籍で、多言語で、世界を狙う。
シューが在日で、ユジンが英語担当で……って、あの設計図を。
HYBEは、いっそメンバーごとアメリカに置いて、完成させてしまった。

古いものを掘っていると、こういう瞬間がいちばん楽しい。
昔の人が蒔いた種が、30年後に、地球の反対側で花になる。

ユンチェという一人の韓国人がいるから、この地球儀みたいなグループは、ちゃんと僕らの物語の続きになっている。

うりぬん、新しい景色も、ときどきは見にいこうと思う。
ユンチェが韓国語で「BTSに憧れてダンサーになりたかった」と言う。
その隣で、インド系の女の子がプロデューサーとしてトラックを作り、スイス出身の子がウクレレを弾いている。
これは確かに、30年前のS.E.S.が夢見た景色の続きだ。

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