S.E.S.と僕。에스이에스와나

1世代

1990年代後半の韓国に、「ガールグループ」という概念を本格的に持ち込んだ三人組がいる。

H.O.T.で「アイドル」という仕組みを発明したSMエンターテインメントは、その翌年、今度は女性版を世に放った。
それがS.E.S.だ。

神秘的で、清純で、それでいて洗練された三人。
彼女たちは韓国ガールグループの「原型」になり、ライバルFin.K.Lと時代を二分し、そして韓国の音楽が海を渡る、その最初の船にもなった。

H.O.T.と僕。 が「SM男性アイドルの起点」なら、S.E.S.は「SM女性アイドルの起点」。
この二組が、SMという帝国の両輪を作った。


■ 基本情報

項目内容
グループ名S.E.S.(에스이에스/エスイエス)
名前の由来Sea・Eugene・Shoo
(メンバー3人の頭文字・年齢順)
デビュー1997年11月28日
所属SMエンターテインメント
メンバー바다(パダ/Sea)
유진(ユジン/Eugene)
슈(シュー/Shoo)
公式カラー펄 보라(パールパープル)
ファンダム친구(チング/「友達」)
※日本ではHANA
活動1997〜2002(2016に再結合)
特記事項SM初の女性グループ。
韓国ガールグループの原型。
K-POP海外進出のパイオニア

■ メンバー

바다(パダ/Bada)|リーダー・歌姫
本名チェ・ソンヒ。
1980年生まれの最年長で、グループのリーダー兼メインボーカル。
「Sea(海)」の名の通り、深く伸びやかな声がS.E.S.のサウンドの土台だった。
4집のタイトル曲「감싸 안으며/カンッサ アヌミョ」のような超高難度の曲を歌いこなす実力派で、解散後もソロ歌手・ミュージカル女優として第一線を走り続けている。

유진(ユジン/Eugene)|女優へ
本名キム・ユジン。
1981年3月生まれ。
在米コリアンで、英語が堪能。
清純なビジュアルで絶大な人気を誇った。
解散後は女優に転身し、数々のヒットドラマで主演を務める韓国を代表する女優の一人になった。
アイドルから本格女優への、最も成功した転身例のひとつだ。

슈(シュー/Shoo)|明るいムードメーカー
1981年10月生まれ。
日本・神奈川県生まれの在日コリアンで、日本語が堪能。
グループに華と明るさを添え、S.E.S.のグローバルな空気の一端を担った。
この「日本語に強いメンバー」という存在が、後で書くS.E.S.の本質に直結する。


■ SM初の「女性アイドル」という挑戦

1996年にH.O.T.で「アイドル」というシステムを成功させたSMは、翌1997年、その仕組みを女性グループに応用する。
それがS.E.S.だった。

1997年11月28日、デビュー曲「(‘Cause) I’m Your Girl」で登場。
パワフルなヒップホップのリズムを取り入れたニュージャックスウィングのこの曲は、当時の韓国では新鮮そのものだった。
続く「Oh, My Love」も大ヒットし、彼女たちは瞬く間にトップグループの一角へ。

当時の韓国に、ここまで本格的にプロデュースされた女性アイドルグループは存在しなかった。
神秘的で清純なコンセプト、洗練されたハーモニー。
S.E.S.は、後に続くすべての韓国ガールグループの「最初の型」になった。

そしてこのグループ名にも、SMの世界戦略が刻まれている。
Sea(パダ)、Eugene(ユジン)、Shoo(シュー)の頭文字を、年齢順に並べたもの。
お手本にしたのは、当時アメリカで一世を風靡していたガールグループTLCだった。
最初から「世界」を見て作られたグループだったのだ。

↓サビはダンス込みで有名すぎる問題


■ 「多国籍設計」という発明 なぜS.E.S.が”原型”なのか

ここが、S.E.S.という存在の、本当の核心だ。

SMはS.E.S.を企画する時点で、すでに「韓国・中国・日本の3カ国で活動できるグループ」を目指していた。
だからメンバー構成が、ただのオーディションの結果ではなかった。

日本市場のために、日本語が堪能な在日コリアンのシュー。
英語圏のために、英語が堪能な在米コリアンのユジン。
さらに中国市場を見据えて、中国語が話せるメンバー(ティティマ出身のソイ)まで検討されていた(最終的には不採用)。

つまりS.E.S.は、「各国に強いメンバーを一人ずつ置く」という発想で設計された、最初のグループだった。

これが、とんでもなく重要だ。

今のEXO、NCT、aespaを見てほしい。
韓国・中国・日本のメンバーが混ざっているのが、当たり前になっている。
あの「多国籍メンバー構成」というSMの教科書は、たどればS.E.S.に行き着く。

兵役で活動が止まる男性のH.O.T.ではなく、その心配のない女性のS.E.S.を「海外進出の一番手」に選んだのも、SMの戦略だった。
S.E.S.は、歌って踊るだけのグループではない。
SMが「世界をどう獲るか」を初めて実験した、設計図そのものだったのだ。


■ アルバムで追う、S.E.S.の歩み

1집『S.E.S.』(1997年11月)
デビューアルバム。
タイトル曲「(‘Cause) I’m Your Girl」、そして「Oh, My Love」のヒットで、いきなりトップ級の人気を獲得した。
ヒップホップ調のリズムに清純なボーカルを乗せるという、当時としては新しい組み合わせ。
SMが「女性アイドルとはこういうものだ」という設計図を、ここで一気に提示した。

2집『Sea & Eugene & Shoo』(1998年11月)
S.E.S.の代名詞となる一枚。
タイトル曲「Dreams Come True」は、フィンランドの楽曲をベースにしたもので、北欧の透明感とS.E.S.の神秘的なイメージが完璧に溶け合った。
この一曲で、彼女たちの「神秘・清純」のイメージは決定的になる。
後続曲「너를 사랑해/ノル サランへ(あなたを愛してる)」では愛らしい一面も。
韓国音盤産業協会の公式資料で651,330枚を売り上げた。

面白いのは、安全な「너를 사랑해」ではなく、当時としては前衛的なユーロポップ「Dreams Come True」を先にタイトルにした勇気だ。
S.E.S.は、流行を追うのではなく、流行を作りにいくグループだった。

3집『Love』(1999年10月29日)
人気が頂点に達した時期の作品。
当時、韓国ガールグループのアルバムとして歴代屈指の売上を記録した。
S.E.S.が名実ともにシーンの女王だった、その絶頂を刻む一枚だ。

4집『A Letter from Greenland』(2000年)
日本での活発な活動と並行してリリースされた、本格的なジャズとR&Bポップを融合させた意欲作。
タイトル曲「감싸 안으며(カンッサ アヌミョ/包み込みながら)」は、あまりに高難度で、後輩歌手たちが「カバーしたくてもできない」と恐れる名曲になった。
後続曲「Be Natural」のジャジーな質感は、2014年に後輩のRed Velvetがリメイクしたことで、再び光を浴びている。
ティーンアイドルから、表現するアーティストへ。
彼女たちの成熟が刻まれている。

4.5집『Surprise』(2001年)
日本で発表した楽曲を、韓国語で再録音した編集盤。
先行曲は「꿈을 모아서/ックムル モアソ(Just In Love)」。
日本での活動を韓国のファンに届ける、いわば「逆輸入」を韓国歌手として初めて行った一枚だ。
日本文化がまだ完全には開放されていなかった当時、これは橋渡しそのものだった。

5집『Choose My Life-U』(2002年)
タイトル曲は「U」。
そしてこの作品が、S.E.S.の最後のオリジナルアルバムになった。
2002年12月、彼女たちは解散する。
デビューから5年、駆け抜けた時代の幕引きだった。


■ Fin.K.Lとの「二大山脈」 90年代ガールグループ時代

S.E.S.を語るとき、Fin.K.L(핑클/ピンクル)の存在は欠かせない。

面白いのは、二組が「あえて差別化」してデビューしたことだ。
S.E.S.がヒップホップ調の「I’m Your Girl」で攻めたのに対し、Fin.K.Lはバラードの「Blue Rain」で登場した。
音楽性で真っ向から色を分けることで、二組は共存しながら競い合った。

当時の10代は「S.E.S.派かFin.K.L派か」で語り合ったと言われる。
男性アイドルの「H.O.T. vs Sechs Kies」と並ぶ、1世代の黄金カードだ。

ただ、勝った負けたを数字で断じるのは、たぶん野暮だ。
大事なのは、この二組が同じ時代に並び立ったことで、韓国のガールグループ市場そのものが一気に成熟したこと。
ライバルがいたから、互いに高め合えた。
それは、どちらのファンも、きっと分かっている。

Fin.K.Lと僕。 もあわせて読むと、あの時代の熱がもっと立体的になる。


■ 海を渡った最初の船 日本進出のパイオニア

うりぬん的に、最も光を当てたいのがS.E.S.の日本進出だ。

1998年10月21日、日本デビューシングル「めぐり逢う世界」を発売。
これが、オリコン週間シングルチャートで37位を記録した。

「37位?」と思うかもしれない。
だが、これは韓国のガールグループとして、史上初のオリコンチャート進入だった。

しかも当時、彼女たちはまだ十代。
日本進出時、パダが19歳、ユジンとシューは18歳。
韓国歌手の日本進出として、当時の最年少だった。

さらにこの37位は、それまで演歌でしか日本に挑めなかった韓国歌手の壁を破り、ポップスとして歴代最高位を塗り替えた記録でもあった。

その2ヶ月前、東京・六本木のクラブで開いたデビューショーケースには、悪天候にもかかわらず1000人を超える業界関係者とファンが詰めかけた。
日本で社会現象を起こした伝説的歌手・安室奈美恵さえ、後に「BoAとS.E.S.は、ファンも人気も多い」と評している。

ここで強調したいのは、彼女たちが進出した1998年が、「韓流」という言葉すら生まれる前だったことだ。
当時の日本で、韓国の音楽への関心は、ほぼゼロ。
完全な「地図のない海」だった。

後に事務所の後輩BoAが、SMの日本戦略で大成功を収め、その道がK-POPの世界進出の本流になっていく。
だが、その最初の一歩を、地図もないまま漕ぎ出したのは、S.E.S.だった。
台湾でも、彼女たちは韓流ガールグループの先駆けとして愛された。

K-POPが当たり前に世界へ出ていく今、その「最初の海」を誰よりも早く進んだ先駆者として、S.E.S.の名前は記憶されるべきだ。


■ 解散 「三人で」という願いの行方

2002年12月、S.E.S.は解散した。

後にユジンが語ったところによれば、理由はこうだ。
「パダ、シューと一緒に、S.E.S.として再契約をしたかった。でも事務所側は個別の再契約を望んだ。だから合意できなかった」。

グループとして続けたかったメンバーと、個別契約を望んだ会社。
その願いのすれ違いが、ひとつの時代を終わらせた。
きらびやかな絶頂のあとに訪れた、静かな別れだった。


■ 2016年、20周年の再結合

きっかけは、2014年末だった。
MBC『無限挑戦』の「トトガ(土曜土曜は歌手だ)」特集に出演し、再び大きな注目を浴びる。

そして2016年、デビュー20周年を記念して、三人が再結合した。
リアリティ番組『Remember I’m Your S.E.S.』、記念アルバム『REMEMBER』、そしてコンサート。
長い時を経て、ファンは再び三人が並ぶ姿を見ることができた。

「三人で」という、あのとき叶わなかった願いが、形を変えて実現した瞬間でもあった。


■ K-POP史における位置づけ

S.E.S.の最大の功績は、「SM式ガールグループ」の原型を作ったことだ。

清純コンセプトを最初に完成させ、スクールルックやウェディングドレスのコンセプトも最初に試みた。
さらに「少女から淑女への成長」を、アルバムを重ねながら見せた最初のグループでもある。
だからS.E.S.は「ガールグループ・コンセプトの百科事典」と呼ばれる。

そして前述の通り、多国籍メンバー構成と海外進出という「SMの設計図」を最初に体現したのも彼女たちだった。

SMはこの後、BoAで日本を本格攻略し、少女時代で世界を狙い、f(x)、Red Velvet、aespaへと続く女性アーティストの系譜を築いていく。
その大きな樹の、一番最初の根がS.E.S.だった。

その影響は、後輩たちの言葉が証明している。
BoAも、少女時代のメンバーたちも、「S.E.S.に憧れて歌手を志した」と語る。
東方神起のユノに至っては、S.E.S.の宿舎まで押しかけた熱烈なファンだったという。
Red Velvetは「Be Natural」を、aespaは「Dreams Come True」をリメイクした。
S.E.S.が蒔いた種は、25年経った今も、後輩たちの手で歌い継がれている。


■ 韓国でのイメージ

韓国でS.E.S.は、「1세대 걸그룹(1世代ガールグループ)の象徴」「90年代の青春」として記憶されている。

特にユジンが女優として今も第一線にいることもあり、世代を超えて名前が知られている。
「Dreams Come True」のあの神秘的なメロディは、当時を生きた人々にとって、そのまま90年代の空気を呼び覚ます。

Fin.K.Lと並ぶ「あの頃のガールグループ」として、ライバル時代の熱も含めて、懐かしさと敬意をもって語られる存在だ。


■ ディスコグラフィー(主要作)

タイトル特記記事
1집S.E.S.1997デビュー・「Oh, My Love」準備中
2집Sea & Eugene & Shoo1998「Dreams Come True」65万枚超準備中
3집Love1999絶頂期準備中
4집A Letter from Greenland2000「감싸 안으며」/「Be Natural」準備中
4.5집Surprise2001日本曲の韓国語版(逆輸入の元祖)準備中
5집Choose My Life-U2002「U」最終アルバム準備中

■ 余談

グループ名はメンバー3人の頭文字(Sea・Eugene・Shoo)を、年齢順に並べたもの。
ちなみに「Super Emotional Sound(極上の感動サウンド)」の略だという俗説もあるが、これはユジンがデビュー当時、自分の日記に書いていた言葉。
公式の由来は、あくまで三人の名前だ。

「Dreams Come True」の原曲は、フィンランドの楽曲。
北欧の透明感が、S.E.S.の神秘イメージと完璧に合っていた。

3集の頃、アメリカの複数のプロダクションから進出オファーが届いていた。
だが、人種の壁や殺人的なスケジュールを考えて、彼女たちは断った。
もし受けていたら、Wonder Girlsより前の「韓国グループ米国進出」の先例になっていたかもしれない。

g.o.dと僕。 のデニ・アンとソン・ホヨンは、実はデビュー前、シューと同じ混成グループでデビュー寸前までいっていた。
シューがSMに引き抜かれてS.E.S.になり、その企画は流れた。
1世代の人脈は、どこまでも繋がっている。

日本デビュー曲「めぐり逢う世界」のオリコン初週37位は、今の基準なら小さく見えるかもしれない。
でも、何もない海を最初に進んだ船の数字として、これ以上ない一歩だった。


■ マルのひとこと

僕とS.E.S.の出会いはBIGBANGのコンサートだ。
当時はメンバーが女装して歌っている曲がS.E.S.の曲だとも知らなかったけれど、いい曲だなと思って妙に耳に残った印象。

何はともあれ、「Dreams Come True」のあの浮遊感は、今のキレキレのガールグループとは全然違う。
完成されすぎていない、どこか手作りの神秘。
でもそこに、これから何が始まるのかわからないワクワクが詰まっている。

2022年、SMのガールズグループaespaが、この「Dreams Come True」をリメイクした。
SM女性アイドルの起点(S.E.S.)を、最新世代(aespa)が歌い継ぐ。
S.E.S.が蒔いた種が、25年後に実っている瞬間だ。

そして地味に、いや本当はすごく重要なのが、彼女たちが「日本に行った最初の韓国グループ」のひとつだったこと。
今でこそK-POPが世界中で当たり前に聴かれているけれど、その最初の海を、誰よりも早く漕ぎ出した三人がいた。
オリコン37位という数字は、今の基準なら小さく見えるかもしれない。
でも、地図のない海を最初に進んだ船の勇気は、順位では測れない。

日本のアイドルと比較するのは、様々な問題が出ると思うけど、歌唱力・ダンス・パフォーマンスのレベルは高いと率直に思う。

うりぬん、ノルサランヘ。

コメント