Panicと僕。패닉와나

夜明け前

1995年、韓国の歌謡界に、ひとつの「事件」が落ちてきた。

ソウル大学の社会学科に通う、詩を書くような青年。
そして、高校に通いながらラップを吐く、生意気な少年。

이적(イ・ジョク/Lee Juck)と、김진표(キム・ジンピョ/Kim Jin-pyo)。
二人が組んだデュオの名前は、패닉(パニック/PANIC)。

愛だの恋だのがチャートを埋め尽くしていた時代に。
彼らは「みんなと違うこと」を、堂々と歌った。

少数者を「左利き」にたとえ。
夢を「かたつむり」に託し。
権威と同調圧力には、まっすぐ中指を立てた。

そして、ここから二本の巨木が育つ。
ひとりは国民的シンガーソングライターに。
もうひとりは韓国ラップの「ライムの皇帝」に。

20年の沈黙を経て、2026年、彼らはもう一度ステージに戻ってくる。
「違っていてもいい」と歌った二人の物語を、見てみてほしい。


基本情報

項目内容
グループ名패닉/ペニック(PANIC)
メンバー이적/イ・ジョク
김진표/キム・ジンピョ
デビュー1995年10月1日(1集『PANIC』)
ジャンルロック、バラード、ヒップホップ
リーダー이적(イ・ジョク)
所属(当時)신촌뮤직/シンチョンミュージック
特記事項「다름을 노래한 반항아/タルムル ノレハン バナンア(違いを歌った反抗児)」。
1集・2集ともに韓国大衆音楽100大名盤入り

Panicという事件

패닉(パニック)は、1995年にデビューした韓国の男性2人組。

メインは이적(イ・ジョク)。
作詞・作曲・編曲・プロデュース、ほぼすべてを手がける天才肌だ。
そこに、ラッパーの김진표(キム・ジンピョ)が噛み合う。

Mnetは彼らをこう紹介する。
「다름을 노래한 반항아(違いを歌った反抗児)」。

これが、Panicのすべてを言い当てている。

当時の韓国歌謡は、バラードとダンスの「愛の歌」で出来ていた。
そこへ패닉は、社会への違和感を、哲学を、皮肉を、まるごと持ち込んだ。
しかもそれを、恐ろしくキャッチーなメロディーに乗せてやった。

可愛い顔して、過激なことを歌う。
このギャップが、90年代の若者の胸を撃ち抜いた。


二人のメンバー

歌・言葉・思想の이적。
リズム・反骨・ライムの김진표。
まったく違う二人が、Panicという器でだけ起こせる化学反応があった。

이적(イ・ジョク/Lee Juck) ボーカル・作詞作曲

本名は이동준(イ・ドンジュン)。
1974年、ソウル生まれのシンガーソングライターだ。

とにかく、頭がいい。
両親と兄弟、家族全員がソウル大学出身という、絵に描いたような秀才一家。
母は作家の박혜란(パク・ヘラン)。
이적自身もソウル大学の社会学科に進んだ。

彼の代名詞は「감각(カンジャッ)的な歌詞(感覚的な詞)」。
愛の歌に飽きた人が、이적の言葉に出会ってファンになる、という現象が起きた。

象徴的なのが「거위의 꿈(コウィエ クム/ガチョウの夢)」。
ソウル大の先輩や同期から「音楽なんかで食えるのか」と笑われた、その悔しさをぶつけて書いた詞だ。
書いたとき、彼はまだ23歳。
作曲は親友の김동률(キム・ドンリュル)。
この曲は今も、夢に挫けそうな人の背中を押す国民的賛歌になっている。

歌唱力も、後天的な努力で「ナムサビョク(넘사벽/超えられない壁)」級まで上り詰めた。
ソロでは「다행이다(タヘンイダ/よかった)」「하늘을 달리다(ハヌルル タルリダ/空を駆ける)」など、いまや国民の誰もが口ずさめる曲を量産。
ラジオDJ、小説家、バラエティの常連と、その才能は音楽の外にまで溢れ出している。

김진표(キム・ジンピョ/Kim Jin-pyo) ラップ

1977年、ソウル生まれ。
a.k.a. JP。
Panicの、そして韓国ラップそのものの、開拓者のひとりだ。

ここが本当に重要なところだ。
1990年代の韓国で、ラップはまだ「국어책 읽기/グゴチェ イルギ(国語の教科書の音読)」のように、ただ速く喋るものだと思われていた。
そこへ김진표は「라임(ライム/韻)」という概念を持ち込み、定着させた。

1997年、ソロ1집『열외(ヨルウェ/列外)』を発表。
これは韓国で初めて、全曲がラップで構成されたアルバムとされる。
以来、彼は「라임의 황제/ライメ ファンジェ(ライムの皇帝)」と呼ばれるようになった。

ライムが「ある」ラップと「ない」ラップ。
その決定的な差を、大衆の耳に教え込んだ功績は、誰がどう高く評価しても足りない。
韓国ヒップホップ史に、김진표の名前は絶対に外せない。

その後の彼も、振り幅が異常だ。
N.EX.Tのメンバーと組んだバンド노바소닉(ノバソニック)、レーシングドライバー、文具メーカー韓国パイロットの共同代表、そして『쇼미더머니(ショーミーザマネー)』のMC(シーズン3〜12)。

ただ、彼の体には爆弾もあった。
부정맥/ブジョンメッ(不整脈)。
心臓にペースメーカーを入れ、公演中に倒れたこともある。
兵役が免除されたのもこのためで、韓国ヒップホップ界で兵役の話題になっても、김진표にだけは誰も文句を言わない。
この心臓の病が、勢いのあった彼の活動を何度もせき止めた。
それでも彼は、ラップを完全には手放さなかった。


【結成】 本当は、ソロのはずだった

Panicの始まりは、かなり衝動的だ。

もともとは、이적のソロ1집として準備されていた。
アルバムをほぼ作り終え、デビュー直前。
이적が、旧友の김진표にサンプル曲を聴かせていた。
そのとき、ぽろっと出た一言。

「お前、一緒にやる?」。

これでPanicが生まれた。

だから1집に、김진표の痕跡はほとんどない。
大ヒットした「달팽이/ダルペンイ」でも、彼に歌うパートがなく、放送では間奏でサックスを吹く”フリ”(手振りだけ)を担当した。
後に이적に「韓国でサックスの手パクは、お前が最初だろうな」とイジられる、伝説の場面だ。

김진표が本格的に参加するのは、2집から。
ここから、Panicは化ける。


1집『PANIC』(1995) かたつむりと、左利き

1995年10月、デビューアルバム『PANIC』。

タイトル曲は「아무도(アムド/誰も)」。
ところが、これがまるで跳ねなかった。
代わりに、アルバムの終わりにこっそり挿し込まれた一曲を、ファンが見つけてしまう。

「달팽이(タルペンイ/かたつむり)」。

いつか、遠い未来に、あの広く荒い世界の果ての海へ行くんだ。
そう歌うこの曲が、空前絶後の大ヒットになった。
歌謡番組で次々1位を獲り、デビュー盤としては破格の枚数を売り上げた。

(メンバーは今もネタにする。「俺たちのデビュー曲は実は아무도なんだけど、誰も知らないまま달팽이に変わった」と。本当に「誰も(아무도)」気づかなかったわけだ)

そして、もう一曲。
「왼손잡이(ウェンソンジャビ/左利き)」。

これは、社会から差別される少数者を、左利きにたとえた曲だ。
이적は、ある性的少数者との会話からこの詞を書いたと明かしている。
「僕らを、ただの左利き程度に思ってくれませんか」。
その言葉が、この名曲になった。

世界がひっくり返ると言われても。
僕は何も壊していない。
僕は左利きだ。

愛の歌だらけの時代に、これである。
패닉は最初から、「違っていること」を肯定する側に立っていた。


生意気な少年と、たった一言

実は2집の前に、Panicには小さな”事件”がある。

1집が当たって、まだ10代だった김진표は、いわゆる「연예인병(ヨネインビョン/芸能人病)」にかかってしまう。
調子に乗って遊び歩き、トラブルメーカーとして、時々社会面まで賑わせた。

それを見かねた이적が、録音室で静かに言い放つ。

「お前、このままでいいのか。
このまま行ったら、俺はお前と音楽をやらないかもしれない。
俺はお前なしでも音楽ができる。
でも、お前はできるのか?」。

これに、김진표は本気で殴られたような衝撃を受ける。
1집で自分が抜けても成立してしまう現実を、思い知ったのだ。
そこから彼は、本物のラッパーになるべく、死に物狂いで音楽性を磨き始める。
その最初の結実が、2집だった。

皮肉なことに、이적本人は「俺、そんなこと言ったっけ?」と覚えていないらしい。
それでも、김진표を今もミュージシャンとして生かしている恩人は、たぶん이적だ。


2집『밑』(1996) 反抗の、頂点

1996年9月、2집『밑(ミッ/底)』。

ここでPanicは、誰も予想しなかった方向へ振り切る。

1집で十分に名前を売ったと判断した二人は、2집で本当にやりたかった音楽をぶつけた。
アルバム名『밑』は、世の中の底にある醜さ・汚さを指す言葉。
オルタナティブロック、実験音楽、アヴァンギャルド。
聴く者を選ぶ、攻撃的で挑発的な一枚だ。

中でも論争を呼んだのが、김진표が書いた2曲。
「벌레(ボルレ/虫)」は、体罰と暴力をふるい、強者に媚びる偽善的な教師への、容赦ない批判。
「mama」は、子を支配しようとする抑圧への、激しい叫び。

当時の基準では刺激が強すぎ、社会面のニュースで叩かれ、放送禁止も食らった。
「Panicが変わった」と離れたファンもいた。
逆に、この過激さに撃ち抜かれて熱狂的な信者になった人も大勢いた。

大事なのは、これが単なる悪ふざけではないことだ。
権威・偽善・同調圧力に、本気で中指を立てる。
「左利き」で少数者の側に立った同じ精神が、もっと尖った形で噴き出しただけだ。

後に이적自身がこう語っている。
「Panicという名前でやりたかった音楽は、2집がいちばん近い」。

100大名盤(2007年版)では、1집が71位、2집が89位。
2018年の改訂版では、より実験的な2집が61位、大衆的な1집が91位と、評価が逆転した。
時間が経つほど、あの「反抗」の価値が上がっていったのだ。


それぞれの寄り道 カーニバルとソロアルバム

2집のあと、二人はいったん、別々の道に寄り道する。

이적は、전람회(チョンラメ)の김동률(キム・ドンリュル)と「카니발(カーニバル)」を結成。
1997年の『Carnival』から、「그땐 그랬지(クッテン クレッチ/あの頃はそうだった)」がじわじわ愛され続け。
そして同じアルバムに、あの「거위의 꿈/コウィエ ックン」が入っていた。

김진표は、ソロ1집『열외/ヨレ(列外)』(1997)へ。
前述の通り、韓国初の全曲ラップ盤。
慣れない地でも「Fly」「사랑해 그리고 생각해/サランへ クリゴ センガケ(愛して、そして考える)」がしっかり当たった。

別々に動いても、二人はPanicを解散したつもりはなかった。
このスタンスが、後々まで効いてくる。


3집『Sea Within』(1998) 外へ叫ぶより、内へ潜る

1998年5月、3집『Sea Within』。

ソロ活動を経て戻ってきた二人の音は、少し変わっていた。
2집の過激さは影をひそめ、代わりに、自分の内側へ静かに潜っていく自我が、あちこちに顔を出す。
김진표のラップの比重もぐっと増え、ここで初めて、本物の「デュオ」になった。

タイトル曲は「내 낡은 서랍 속의 바다(ネ ナルグン ソラッ ソゲ パダ/僕の古い引き出しの中の海)」。
長尺にもかかわらず、カタツムリと並ぶPanic屈指の人気曲になった。
後に박정현(パク・ジョンヒョン)が『나는 가수다/ナヌン ガスダ(僕は歌手だ)』でカバーしている。

外へ叫んでいた少年たちが、自分の海の底を覗き込む。
패닉は、ちゃんと大人になっていた。


4집『Panic 04』(2005) そして、長い沈黙

3집から7年。
2005年12月、4집『Panic 04』。

タイトル曲は「로시난테(ロシナンテ)」。
蒸気機関車を使ったMVが話題になった。
後続曲は「정류장(チョンリュジャン/停留所)」。

この「정류장」には、美しい後日譚がある。
のちにスーパースターKから生まれた장범준(チャン・ボムジュン/버스커 버스커(ボスコ ボスコ))が、この曲を生放送で歌い、再び光を当てたのだ。
Panicの曲は、こうやって次の世代へ手渡されていく。

ただ、4집の活動は、ぷつりと途切れる。
김진표の個人的な事情、そして何より、彼の心臓の病。
公式に解散したわけではない。
だが、かつてのような活発な活動は、ここで止まった。

「Panicとして」出した、最後のアルバムになった。


解散しない、二人

ここからが、Panicという関係の美しいところだ。

公式に解散していない。
だから二人は、ことあるごとに「忙しいだけで解散じゃない」と言い続けた。
윤도현의 러브레터(ユン・ドヒョンのラブレター)のような音楽番組では、しょっちゅう二人でデュエットを披露した。

2014年、Panicはバラエティでこう明かす。
「Panicはg.o.dみたいに、まだ解散していない。いつでも戻れる」。

そして2020年。
이적が自分の6집タイトル曲「돌팔매(トルパルメ/石つぶて)」のフィーチャリングを、김진표に頼んだ。
これが、ただの客演じゃなかった。
Panic25周年を記念し、あの「左利き」の25年後を描いた、事実上のPanicの新曲として発表されたのだ。
25年前に「違っていてもいい」と歌った左利きの少年が、25年後の現実で石を投げる。
完璧な伏線回収だった。

そして2026年2月24日。
이적が、ついに発表する。
4月に、Panicのコンサートを開く、と。
『PANIC IS COMING』。
4月16日から19日まで、LGアートセンター・ソウルで全4公演。

Panicとして単独コンサートを開くのは、なんと20年ぶり(前回は2006年)。
チケットは、待ちわびたファンの争奪戦になった。

解散しない、と言い続けた二人が。
20年越しに、その言葉を証明する。


アーカイブの結節点としてのPanic

うりぬん的に外せないのが、Panicが韓国音楽の「結節点」だという事実だ。
とくに김진표は、このサイトのあちこちと糸でつながっている。

김진표のソロ3집『JP 3』(2001)の名曲「샴푸의 요정/シャンプエ ヨジョン(シャンプーの妖精)」。
このフィーチャリングは、なんと(▶ 솔리드と僕。)の김조한/キム・ジョハンと이준/イ・ジュンだった。
R&Bの開祖と、ライムの皇帝が、ここで交差している。

そして(▶ ドランクンタイガーと僕。)。
타이거JK/タイゴジェイケ(タイガーJK)がまだ韓国語に不慣れだった頃、代わりに歌詞を書いてやったのが김진표だ。
김진표のソロ2집(1998)の「푸념(プニョム/愚痴)」には、デビュー前のドランクンタイガーが客演している。
김진표は、事実上ムーブメント・クルーの初代メンバーでもあった。

さらに(▶ Stony Skunkと僕。)。
『JP 3』制作時、김진표は自分のホームページでファンや無名アーティストを客演に公募した。
そこで応募してきて起用されたのが、後にYGの心臓部になる KUSH(クッシュ/김병훈(キム・ビョンフン))、つまり元스토니 스컹크/ストニ スコンクのメンバーだった。

이적・김진표が立っていたのは、韓国音楽の交差点のど真ん中。
Panicを一本入れると、アーカイブの地図が一気につながる。


ライムの皇帝、撃たれながら立つ

김진표の「ライムの皇帝」という称号には、光だけでなく、傷もある。
ここはヒップホップの文化として、隠さず書いておきたい。

90年代後半、韓国語で本気でラップのライムを組もうとした最初の世代。
それが、이현도(イ・ヒョンド/(▶ DEUXと僕。)の)・김진표・조PD(チョ・ピーディー)あたりだった。
「韓国語でライムなんて無理だ」と言われていた時代に、彼らは手探りで道を作った。

ところが2000年代に入ると、버벌진트/ボボルジントゥらSNP世代が現れる。
彼らは、김진표の「단음절 라임(タヌンジョル ライム/一文字だけ韻を踏むやり方)」を「ダサい」と斬ることで、頭角を現した。
김진표は格好の標的になり、さんざん分析され、叩かれた。

でも、ここがポイントだ。
その批判はすべて、김진표が先に組み上げた「ライムのある土台」の上で行われている。
ライムが”ある”ラップと”ない”ラップの、あの天と地ほどの差。
それを最初に大衆へ突きつけたのが김진표である以上、後続が彼を踏み台にして登っていったのは、むしろ勲章だ。
本人も自虐で「억지 라임의 황제/オッジ ライメ ファンジェ(こじつけライムの皇帝)」と名乗るあたり、ちゃんと分かっている。

そして、韓国ヒップホップ初の本格ディス戦も、김진표が当事者だった。
相手は유승준(ユ・スンジュン)。
デビュー作を『West Side』と名づけ、「ウェッ〜サイ!」を決め台詞にしていた彼に、ヒップホップ好きの김진표が噛みついた。
「韓国で活動する歌手が、アメリカの東西対立を気取るな」と。
1998年、ソロ2집の曲でディスを放ち、유승준も2000年に応戦。
김진표は조PD(チョ・ピーディー)の3집でも追い討ちをかけた。

このやり取りは、韓国に「ディスラップ」という文化があると知らしめ、韓国ヒップホップの発展を一歩早めたと評価されている。
対立というより、シーンが育つための通過儀礼だった。


K-POP史における位置づけ

Panicの功績は、二つの方向に伸びている。

ひとつは、「違い」を歌った先駆者であること。
愛の歌一色だった韓国歌謡に、少数者の視点、社会批判、哲学、毒を持ち込んだ。
ソ・テジ、 DEUX、현진영/ヒョン・ジニョンが音で時代を割ったのと同じ黎明期に、Panicは「歌詞とメッセージ」で時代を割った。

もうひとつは、二人がそのまま韓国音楽の二本柱に育ったこと。
이적は、韓国を代表するシンガーソングライターに。
김진표は、韓国ラップに「ライム」を植えた皇帝に。
ひとつのデュオから、これだけ違う巨木が二本伸びた例は、そう多くない。


韓国でのPanicのイメージ

韓国でPanicは、「特別な何か」として記憶されている。

懐かしのヒットデュオ、ではない。
「あの時代に、あんなに賢くて、あんなに尖っていたグループがいた」という、ある種の伝説だ。

とりわけ이적は、いまや国民的シンガーソングライターであり、知性派タレントの象徴。
김진표は、ライムの皇帝として、そして『쇼미더머니/ショミドモニ(Show Me The Money)』のMCとして、若い世代にも顔が知られている。

そして「달팽이」「왼손잡이」「거위의 꿈」「내 낡은 서랍 속의 바다」は、世代を問わず歌い継がれる定番だ。
30年経っても色褪せないどころか、評価が上がり続けている稀有なグループ。
それが、韓国におけるPanicだ。


ディスコグラフィー(主要作)

アルバム(한국어/English)TITLE曲記事
1집PANIC1995아무도(実質ヒットは달팽이/왼손잡이)準備中
2집1996UFO準備中
3집Sea Within1998내 낡은 서랍 속의 바다準備中
4집Panic 042005로시난테準備中

※関連:카니발『Carnival』(1997/이적+김동률)、김진표 솔로『열외』(1997)。


余談

패닉は、デビュー前にデモテープを持って事務所「다음기획」を訪ね、門前払いを食らっている。
そのとき「いまいち」と評した一人が、なんと故・신해철(シン・ヘチョル)。
後に彼は「俺の眼が悪かったんじゃなく、あのデモにはPanic1집の曲が入ってなかったんだ」と弁明したとか。
ちなみに신해철と김진표は、その後とても仲が良かった。

「달팽이」の歌詞には「아무도 못 봤지만(誰も見ていないけれど)」という一節がある。
タイトル曲「아무도」が埋もれて、「아무도(誰も)」知らない曲になった顛末を思うと、なんだか出来すぎている。

ヒット曲「왼손잡이(左利き)」のせいで、이적を左利きだと思っている人が多い。
だが実は、이적も김진표も、二人とも右利きである。


マルのひとこと

「왼손잡이」を初めて聴いたのはBIGBANGのライブを観ていた時。

こんなにポップなメロディーで、こんなに「お前らと違って何が悪い」って歌ってたのか、と。

愛の歌を作れば売れる時代に。
わざわざ、かたつむりの夢を歌って。
わざわざ、左利きの肩を持って。
わざわざ、先生に中指を立てて。

そういう「わざわざ」を、いちばんキャッチーな形でやってのけたのが패닉だった。

そして二人は、解散しない。
20年離れていても、「忙しいだけ」と言い張って、ちゃんと戻ってくる。
「石つぶて」で、25年前の左利きの少年に、もう一度会いに行く。

うりぬん、そういう不器用な誠実さが、たまらなく好きだ。

違っていてもいい。
Panicは、30年前からずっと、それだけを歌っている。


Panicです。

コメント