キム・ゴンモと僕。 김건모와 나

夜明け前

いい男じゃなかった。
背も高くない。
色黒で、いつもふざけていて、酒ばかり飲んでいる。

なのに、この男が90年代の韓国のてっぺんに立った。

김건모ギンゴンモ/キム・ゴンモ。
「国民歌手(국민가수グンミンガス/国民的歌手/グッミンカス)」と呼ばれ、「韓国のスティビー・ワンダー」とまで言われた、正真正銘の怪物ボーカルだ。

3集『잘못된ジャルモッドェン 만남マンナン/間違った出会い)』は、330万枚。
この記録は、なんと24年間、韓国歴代最多を守り続けた。
破ったのは、2019年のBTSである。

顔じゃない。
声と、実力と、人懐っこさだけで、時代を獲った男。

そして彼はいま、6年の沈黙を経て、もう一度マイクの前に戻ってきた。
その理由まで含めて、今日はぜんぶ書く。


目次

  • 基本情報
  • キム・ゴンモという国民歌手
  • 声という、異能
  • 【デビュー】 顔じゃ、なかった
  • 【1〜3集】 国民歌手の誕生
  • キム・チャンファンとの別れ
  • 【5〜6集】 韓国のスティビー・ワンダーへ
  • 【7〜8集】 第2の全盛期、そして最後の火花
  • 【9〜10集】「ソウルの月」
  • 「나는ナヌン 가수カス다ガスダ」という転機
  • 50代のゴンモ 「みにくいうちの子」
  • 누명ヌミョンヌミョン、そして6年ぶりの帰還
  • K-POP史における位置づけ
  • 韓国での김건모キム・ゴンモギンゴンモのイメージ
  • ディスコグラフィー(主要作)
  • 余談
  • キム・ゴンモという「生き証人」
  • マルのひとこと

基本情報

項目 内容
名前 김건모ギンゴンモ Gun-mo)
生年 1968年1月13日、釜山生まれ
デビュー 1992年(1集『잠ジャン/ジャム 못モッ 드는ドゥヌン 밤バン/バム 비는ビヌン 내리고ネリゴ』)
ジャンル ソウル、R&B、レゲエ、ハウス、バラード
別名 国民歌手
韓国のスティビー・ワンダー
쉰건모スィンゴンモ/50代のゴンモ
所属(初期) 라인음향ラインウンヒャン/ラインウミャン
特記事項 『잘못된ジャルモッドェン 만남マンナン』330万枚=24年間韓国歴代最多。
1994年に5大賞グランドスラム達成(史上唯一)

キム・ゴンモという国民歌手

キム・ゴンモは、1992年にデビューした韓国のシンガー。

肩書きが、とにかく規格外だ。
「大韓民国 最短期間・最多アルバム販売」のギネス記録保持者。
ゴールデンディスク史上初の3年連続大賞。
そして1994年には、地上波3社(KBS・MBC・SBS)の年末歌謡大賞、ソウル歌謡大賞、ゴールデンディスク…5つの主要授賞式すべてで大賞を獲る「グランドスラム」を達成した。
これを1年でやってのけた歌手は、後にも先にもキム・ゴンモただ一人である。

当時のジャンルは、ソウル、R&B、レゲエ、ハウス。
まだ「黒人音楽」が物珍しかった90年代の韓国に、それを楽しいメロディーに溶かして持ち込んだ、開拓者でもあった。

顔でも、ダンスでもない。
声と実力だけで国民の心を掴んだ、稀有なスターだ。


声という、異能

キム・ゴンモを語るなら、まずこの声の話をしないといけない。

高くて、カラッとして、それでいて柔らかく、独特のこぶし(ビブラート)がかかる。
一度聴いたら忘れない音色だ。

ただ、彼のすごさは「音色」だけじゃない。
その独特の声を、まるでおもちゃみたいに自由自在に操る。
瞬時に音色を切り替えながら、しかも曲の流れをまったく壊さない。
だから軽く聴き流していると、逆に彼の巧さに気づけない。
歌の技術を見せびらかすのではなく、歌そのものと歌唱を完璧にバランスさせる、悪魔的な才能を持っている。

一時期、彼は「韓国のスティビー・ワンダー」と呼ばれた。
スティビー・ワンダーのモノマネが、本人そっくりだったからだ。
ピアノを弾きながら「Lately」を歌う映像は、いま観ても人間離れしている。

作曲もする。
編曲もする。
ピアノも達者。
「미련ミリョン/未練」「사랑이サランイ 떠나가네ットナガネ/愛が去っていく)」など、自分のヒット曲を自ら書いたシンガーソングライターでもある。

後輩たちの評価が、すべてを物語る。
「韓国でいちばん歌がうまい歌手を挙げるなら、最初に浮かぶのが김건모ギンゴンモ」신승훈シンスンフン/シン・スンフン。
「いちばん尊敬する韓国のミュージシャンは김건모ギンゴンモ先輩」나얼ナオル/ナオル。


【デビュー】 顔じゃ、なかった

キム・ゴンモは、ソウル芸術大学の国楽科出身。
先輩の박미경バクミギョン/パク・ミギョンの紹介で、当代のヒットメーカー、プロデューサー김창환ギンチャンハン/キム・チャンファンと出会う。

半年以上に及ぶ過酷なプロデュースを経て、1992年、1集『잠 못 드는ドゥヌン 밤 비는ビヌン 내리고ネリゴ』でデビュー。
ちなみにこのキム・チャンファンの事務所・라인음향ラインウンヒャンの看板スターが、もう一人の90年代の王、(▶ 신승훈シンスンフンと僕。)だった。

有名な”美談”がある。
「顔を出した途端に売上が急落したが、人っこさと実力で盛り返した」という話だ。
だがこれは、実は誇張だ。
キム・チャンファンが番組で半分冗談で言ったのが、記事化されて事実のように広まったもの。
キム・ゴンモは最初から顔出しでデビューしているし、1집ジッの曲は安定してチャートに居座り続けていた。

とはいえ、核心は間違っていない。
彼は、いわゆるハンサムなアイドル顔ではなかった。
だからこそ、バラエティに出まくり、すれ違う人全員に挨拶し、明るさと実力で這い上がった。
デビュー13ヶ月目、後続曲「첫인상チョッインサン/第一印象」が歌謡トップ10で5週1位。
顔じゃなく中身で、彼は扉をこじ開けた。


【1〜3集】 国民歌手の誕生

1993年、2集。
タイトル曲は別にあったのに、ファンが見つけたレゲエ・ハウス「핑계ピンギェ/言い訳」が大爆発する。

この一曲で、彼は「歌のうまい人気歌手」から「国民歌手」へ一気に駆け上がった。
1994年前半を、事実上ひとりで独占。
彼の活動時期を避けて、他の人気歌手のアルバム発売が次々ずれた、という逸話まで残っている。
「言い訳」は、韓国全土にレゲエブームを巻き起こした張本人でもある。

このアルバムは180万枚超。
そして1994年、彼はあの5大賞グランドスラムを達成する。

熱狂は、翌1995年1月の3集で頂点に達した。
タイトル曲「잘못된ジャルモッドェン 만남マンナン マンナン」。
超高速のユーロビート・ハウスに、叫ぶようなラップと息もつかせぬ高音の嵐。
これが、90年代末までの「ハウス旋風」の号砲になった。

そして、286万枚(後に累計330万枚)。
当時の韓国の人口が約4,500万人だから、単純計算で「16人に1人が買った」ことになる。
この記録はギネスに登録され、以後24年間、誰にも破られなかった。

90年代半ば、キム・ゴンモはシン・スンフン(▶ 신승훈シンスンフンと僕。)、ソ・テジ(▶ ソ・テジと僕。)と並んで、韓国歌謡界を三分する頂点に立っていた。


キム・チャンファンとの別れ

だが、栄光の裏で、亀裂も走っていた。

キム・チャンファンの過酷なプロデュースと私生活管理。
そしてキム・ゴンモの、並外れて自由奔放な性格。
火と火がぶつかって、しこりは手がつけられないほど大きくなっていく。

結局、頂点に立った3集のあと、キム・ゴンモは決断する。
自分をトップに押し上げた恩人であり、いちばん自分を苦しめた男、キム・チャンファンとの決別だ。

周囲は容赦なかった。
「キム・チャンファンを離れてお前がやっていけると思うのか」
「お前はキム・チャンファンのおかげで売れただけ。
お前の実力はゼロだ」。
歌手を辞めるべきか、と本気で悩むほど、彼は自信を失った。

それでも「自分の力で証明してやる」と、1996年、初めて自分でプロデュースした4集『Exchange kg. m4』を出す。
ここに(▶ 솔리드ソリドゥ/ソリッドと僕。)の정재윤ジョンジェユン/チョン・ジェユンも参加している。
結果は、成功だった。
タイトル曲「스피드スピドゥ/スピード」を筆頭に、181万枚。
惜しくも4年連続ゴールデンカップは逃したものの、彼は「キム・チャンファンなしでも名盤を作れる」ことを、自分の手で証明してみせた。

のちに二人は和解している。
だから今、当時の確執が蒸し返されることは、ほとんどない。


【5〜6集】 韓国のスティビー・ワンダーへ

1997年の5集『Myself』、1999年の6集『Growing』。
ここでキム・ゴンモは、商業性より自分の音楽に舵を切る。
より濃い、本場の黒人音楽・ソウルへ。

特に6集は象徴的だ。
売上はわずか49万枚。
ミリオン時代の彼から見れば、明確な”商業的失敗”だった。

だが、これこそ「なぜ彼が韓国のスティビー・ワンダーと呼ばれたか」を証明する一枚だった。
いまも3集と並んで、彼の最高傑作に挙げる人が多い。
ミュージシャンとしての、本当の全盛期。
売れなくても、鳴らしたい音があった。


【7〜8集】 第2の全盛期、そして最後の火花

6集の”失敗”を受け、キム・ゴンモはもう一度、大衆性へ舵を戻す。
4集で組んだ최준영チェジュンヨン/チェ・ジュニョンを再び呼び、2001年、7集『Another Days』。

切ないバラード「미안해요ミアンヘヨ/ごめんなさい」、コミカルな「짱가ッチャンガ/チャンガ」が立て続けにヒット。
143万枚を売り上げ、見事に第2の全盛期を掴んだ。

ただ、この頃から影も差す。
チャートの公正性を巡ってMBCと衝突し、出演拒否を宣言。
これが「스타병スタビョン/スターの病」「ワガママな芸能人」というレッテルにつながり、イメージを傷つけた。
実力は誰もが認めるのに、そのプライドがときに敵を作った。
彼の複雑さが出た時期でもある。

2003年、8集『History』。
「청첩장チョンチョプジャン/結婚式の招待状」「냄새ネンセ/匂い)」「My Son」が愛された。
この8集が、彼にとって最後のミリオン級ヒットになる。
不正ダウンロードでアルバム市場が崩れ始め、時代そのものが変わっていった。


【9〜10集】「ソウルの月」

8集のあと、キム・ゴンモは放送活動からの引退を宣言する。
きっかけは、あるバラエティ収録での、スタッフの心ない一言だったという。

一度は撤回して復帰するが、その音楽は初期や6集に匹敵する、濃い黒人音楽へ回帰した。
とりわけ10集は、大衆性をいっさい意識しない、ジャズ・ブルース・ソウルの本場の香りだけを詰めた一枚。
バラードもダンスもない。
「韓国歌謡でこれを見つけるのは奇跡」と言われるほどの、玄人向けの宝石だった。

その中から、遅れて輝いた曲がある。
「서울의ソウルエ 달ダル/ソウルの月」。
発表時は「久々にいい曲を持ってきたな」程度だったのが、2010年代に入って各種オーディション・音源チャート・カラオケでロングセラーに。
キム・ゴンモ自身、いまもコンサートで「잘못된ジャルモッドェン 만남マンナン」と並んで必ず歌う、いちばん愛着のある曲だと語っている。
本当にやりたかった音楽が、遅れてでも愛された。
彼にとって、その事実がすべてだった。


「나는ナヌン 가수다ガスダ」という転機

2011年、サバイバル番組『나는ナヌン 가수다ガスダ』。

最初、キム・ゴンモは歌の合間にふざけてしまい、最下位を取ってしまう。
そこに「再挑戦の機会」が与えられ、大きな논란ノンラン/議論を呼んだ。

だが、その翌週。
いつも余裕綽々の彼が、手を震わせながら、정엽ジョンヨッ/チョンヨプの「You Are My Lady」を、真剣に歌った。
視聴者は、心を打たれた。

マンネリに沈みかけていた天才を、この番組が叩き起こしたのかもしれない。
国民歌手のプライドが、いい方向に折れた瞬間だった。


50代のゴンモ 「みにくいうちの子」

若い世代にとっての김건모ギンゴンモは、少し違う顔をしている。

観察バラエティ『미운ミウン 우리ウリ 새끼セッキ/みにくいうちの子)』の、コミカルな「쉰건모(シュィンゴンモ/50代のゴンモ)」だ。

冷蔵庫を丸ごと焼酎で満たし、バットマンのTシャツやRCカーやドローンを大量に集め、巨大キンパを5時間かけて作る。
大歌手なのに、まるで子どものように、体を張って笑いを取りにいく。
母・이선미イソンミさんとの掛け合いも含めて、国民的な「철없는チョルオプヌン/分別のないおじさん」として愛された。

酒と煙草をあれだけやって、なぜ録音とライブで声が変わらないのか。
後輩に問われた彼の答えが最高だ。
「録音のときも、酒を飲めばいい」。
さすがに、真似しないほうがいい。


누명ヌミョン、そして6年ぶりの帰還

そして、避けて通れない話をする。

2019年12月、キム・ゴンモに性的暴行の疑惑が持ち上がった。
あるユーチューブチャンネル側が、告訴を代理する形で問題を提起したものだ。
警察は2020年3月、事件を検察へ送致した。

だが。
。
2021年11月、検察は無嫌疑処分を下す。
告訴人の供述が矛盾し、少しずつ変わっていた、というのが理由だった。
2022年6月に抗告が棄却され、11月には裁定申請も棄却。
すべての法的手続きを経て、キム・ゴンモは完全に누명ヌミョン/ヌミョン(濡れ衣)を晴らした。

だが、失われた時間は大きかった。
疑惑が出てから、彼は事実上すべての活動を止めた。
国民歌手が、6年ものあいだ、表舞台から消えた。

それでも、彼は音楽を手放さなかった。
2025年8月、6年ぶりに全国ツアーで電撃復帰。
「一瞬たりとも音楽を手放したことはなかった」と語りながら、彼はもう一度ステージに立った。

どれだけ愛されても、頂点に立っても。
一枚の告発で、すべてが止まりうる。
そして、法がそれを晴らしても、失った6年は戻らない。
この重さは、後の時代に別の国民的スターが背負うことになる影と、静かに響き合っている。


K-POP史における位置づけ

キム・ゴンモの功績は、二つある。

ひとつは、「黒人音楽を、国民的ヒットに変えた」こと。
ソウル、レゲエ、ハウスを、誰もが口ずさめるメロディーに落とし込み、90年代の韓国大衆音楽の地図を塗り替えた。

もうひとつは、「声だけで頂点を獲れる」と証明したこと。
ハンサムでも、踊れなくても。
圧倒的なボーカルと人間力で、彼は国民歌手になった。
『잘못된ジャルモッドェン 만남マンナン』の330万枚は、24年間破られなかった金字塔として、いまも韓国音楽史のてっぺんに刻まれている。


韓国での김건모ギンゴンモのイメージ

韓国でキム・ゴンモは、二つの顔で記憶されている。

ひとつは、「90年代を支配した怪物ボーカル」。
実力で彼の前に胸を張れる歌手は、そう多くない、と誰もが認めるレジェンドだ。
歴代ボーカリスト・ランキングでは、いつも上位に名前が挙がる。

もうひとつは、「쉰건모スィンゴンモ」。
愛すべき分別のないおじさん。
若い世代には、こちらの印象のほうが強いかもしれない。

そのギャップこそが、김건모ギンゴンモの愛され方だ。
とんでもない天才なのに、偉ぶらない。
子どものまま、歌だけは人間離れしている。
それが、韓国における김건모ギンゴンモという人だ。


ディスコグラフィー(主要作)

集 アルバム(한국어ハングゴ/韓国語/English) 年 代表曲 記事
1집チプ Kim Gun Mo 1992 잠 못 드는ドゥヌン 밤 비는ビヌン 내리고ネリゴ
첫인상チョッインサン
準備中
2집チプ 김건모ギンゴンモ 2 1993 핑계ピンギェ 準備中
3집チプ Kim Gun Mo 3 1995 잘못된ジャルモッドェン 만남マンナン 準備中
4집チプ Exchange kg. m4 1996 스피드スピドゥ 準備中
5집チプ Myself 1997 사랑이サランイ 떠나가네ットナガネ 準備中
6집チプ Growing 1999 부메랑ブメラン 準備中
7집チプ Another Days 2001 미안해요ミアンヘヨ 準備中
8집チプ History 2003 청첩장チョンチョプジャン 準備中
10집チプ Be Like… 2005 서울의ソウルエ 달 準備中

余談

いまや韓国音楽界の大物・박진영バクジンヨン/JYP)は、若い頃なんとキム・ゴンモのバックダンサーだった。
そして英語と海外音楽に強かったパク・ジニョンが、キム・ゴンモにスティビー・ワンダーの「Lately」を教えたのだという。
JYPの原点に、キム・ゴンモがいた。

酒は焼酎一筋。
「煙草はやめられても、酒はやめられない」と公言するほどの愛酒家で、家には焼酎専用の冷蔵庫まである。
なのに、あの声を保ち続けているのだから、やはり異能である。

海軍広報団の芸能兵出身で、コメディアンの김용만ギンヨンマン/キム・ヨンマン・지석진ジソクジン/チ・ソクチンは1年上の先輩。
バットマンおたく、RCカー、ドローン、キックボード……趣味の幅も、少年のままだ。


キム・ゴンモという「生き証人」

キム・ゴンモは、1992年のデビューから2025年の復帰まで、30年以上にわたって韓国の大衆音楽と向き合ってきた。
その間、カセットテープからCD、CDから違法ダウンロード、デジタル配信へと、音楽の届け方は何度も根本から変わった。
330万枚を売った男が、50万枚以下の時代も生き、配信主流の時代も生きた。

「잘못된ジャルモッドェン 만남マンナン」が出た1995年は、韓国の一般家庭にまだパソコンがほとんどない時代だった。
人々は街のレコード店に並び、テープやCDを買った。
その一枚一枚の積み重ねが330万枚で、今のストリーミング時代に換算すれば、BTSの全盛期と同等か、それ以上のインパクトを持っていたかもしれない。

彼が「国民歌手」と呼ばれるのは、売上だけが理由ではない。
おじさんも、おばさんも、10代も、すべての世代が同じメロディを口ずさんだからだ。
「핑계ピンギェ」のあの弾むリズムを聴けば、路上で勝手に踊り出したくなる感覚は、今も変わらない。

90年代の韓国を、三人の男が支配した。
社会を変えたソ・テジ。
バラードを制したシン・スンフン。
そして、踊り、笑わせ、歌いまくったキム・ゴンモ。
三者三様で、誰も重ならない。
その一角として、彼は今も韓国の音楽史に深く刻まれている。
そして2025年、6年ぶりに全国ツアーでマイクを持ち直した彼の声は、衰えていなかった。
時代がどう変わっても、その声だけは変わらない。
それが、キム・ゴンモという稀代の歌手の、最後の矜持だと思う。


マルのひとこと

キム・ゴンモといえばゴシップマン。

面白い人なんだと思う。
焼酎の冷蔵庫とか、巨大キンパとか、そういう人だと。

でも、90年代の映像をちゃんと観て、びっくりした。
こんなに、化け物みたいに歌がうまかったのか、と。

やはり、レゲエはいいな、と。

しかも本人は、ぜんぜん自慢しない。
高音を出す場面でも、片足でぴょんぴょん跳ねながら「みんな、声出して!」とか言ってる。
だから、ちゃんと聴かないと、うまさに気づけない。

いちばん上手いのに、いちばんふざけている。
それがキム・ゴンモだ。

そして彼は、身に覚えのない濡れ衣で6年を失って、それでも音楽を手放さずに帰ってきた。

顔でも、話題でもなく。
声で時代を獲った男が、最後まで信じたのも、たぶん声だった。

うりぬん、その声を、ちゃんと憶えておきたい。

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