韓国に「本物のR&B」を持ち込んだ、3人組がいる。
しかも、3人とも韓国系アメリカ人。
英語で育ち、ロサンゼルスの教会で出会った、敬虔なクリスチャンの青年たちだ。
솔리드/ソリドゥ。
ソ・テジ、DEUX、현진영/ヒョン・ジニョンがヒップホップを韓国に根付かせたのと同じ黎明期に、「R&B」という回路を韓国歌謡につないだ開拓者だ。
代表曲「이 밤의 끝을 잡고(イ バメ クットゥル ジャッコ/この夜の終わりを掴んで)」は、ダンス全盛の真夏に、たった一曲のバラードで1位を獲った”事件”だった。
今も、韓国で黒人音楽をやる者なら誰もが一度はカバーする、通過儀礼のような名曲になっている。
ただ、彼らの物語には、ちょっと切ない結び目もある。
本人たちの知らないうちに、解散させられていたのだ。
その理不尽と、21年後の見事な答えまで、見てみてほしい。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| グループ名 | 솔리드/ソリドゥ (SOLID/ソリッド) |
| デビュー | 1993年1月(1集『Give Me A Chance』) |
| 所属(当時) | ラエンターテインメント、大弘企画 ほか |
| ジャンル | R&B、ヒップホップ |
| メンバー | 김조한/キム・ジョハン 이준/イ・ジュン 정재윤/チョン・ジェユン |
| 特記事項 | 韓国に本物のR&Bを根付かせた開拓者。 「韓国のボーイズIIメン」 |
まず、3人を紹介させてほしい
솔리드の強さは、3人の役割が、気持ちいいほどきれいに分かれていたことにある。
歌、ラップ、設計図。
ひとつも欠けていない。
김조한(キム・ジョハン/Kim Jo-han) メインボーカル
英語名はジョージ・ハン・キム。
1973年、アメリカ・アトランタ生まれの、솔리드の声だ。
ニックネームが、もうすごい。
「알앤비 조상님/アルエンビ ジョサンニン」、つまり「R&Bのご先祖様」。
冗談みたいだが、これを否定する韓国人はいない。
歌姫パク・ジョンヒョンは、彼をこう言った。
「歌う側からすると、どれだけ追いかけても、追いつけないボーカリストです」。
カラッと乾いたダンス全盛の韓国に、彼はひとり、しっとり濡れた声を持ち込んだ。
後に彼は、テヨン、ヒョリン、キュヒョンら数えきれないアイドルを育てる”ボーカルの先生”になり、今は大学でも教えている。
韓国R&Bの遺伝子は、けっこうな確率で、この人を経由している。
이준(イ・ジュン/Joon Lee) ラップ
1972年、ロサンゼルス生まれ。
솔리드のラップ担当で、ビジュアル担当でもあった。
ここが大事なところだ。
ソ・テジが現れて、韓国に「ラップ」という言葉が広まり始めた頃。
でも、その多くは「국어책 읽기/クゴチェッ イルッキ(国語の教科書の音読)」と揶揄される、速口で喋るだけのものだった。
そこへ、本場・西海岸仕込みの이준のラップが落ちてくる。
中低音の、本物のグルーヴ。
韓国のリスナーは、文字どおりカルチャーショックを受けた。
あの현진영/ヒョン・ジニョンですら、「이준のラップを聴いて衝撃を受けた」と雑誌で語っているほどだ。
黒い八番玉(エイトボール)のついたステッキが、彼のトレードマークだった。
정재윤(チョン・ジェユン/Jae Chong) リーダー・作曲
英語名はジェイ・チョン。
リーダーで、ボーカルで、そして솔리드のサウンドを丸ごと”設計”した人だ。
「이 밤의 끝을 잡고」を、作曲家キム・ヒョンソクと一緒に書いたのも彼。
솔리드というグループの頭脳である。
彼の本当の凄さは、解散したあとに出る。
韓国を離れて中華圏へ渡り、台湾を拠点に一流プロデューサーになった。
多国籍グループのAZIATIX(アジアティックス)やロイヤル・パイレーツを発掘し、女性デュオの애즈원/エジュウォン(As One)を世に出したのも彼だ。
솔리드が止まっても、この人の耳は鳴り続けた。
すべては、LAの教会から始まった
3人が出会ったのは、ロサンゼルスの韓人教会だった。
全員、敬虔なクリスチャン。
そして全員、デビュー直前まで「酒を一滴も飲んだことがない」ほどの優等生だったという。
デビューしたら酒飲んだんかーい。
ステージの上では、本場仕込みの不良っぽさをまとっているのに。
中身は、真面目な教会のお兄さんたち。
この「착한 교포 오빠/チャカン ギョポ オッパ(優しい在米のお兄さん)」というギャップも、当時の人気をしっかり支えていた。
1집『Give Me A Chance』(1993) 早すぎた名刺
1993年1月、デビューアルバム『Give Me A Chance』。
全曲を정재윤/チョン・ジェユンが作曲し、015Bのチャン・ホイルがディレクションで関わった。
タイトル曲は、ヒップホップ色の強いダンスナンバー「이젠 나를/イジェン ナル」。
ところが、これが売れなかった。
理由は、ひとつ。
早すぎたのだ。
ソ・テジとアイドゥル、そしてDEUXが時代を引っぱっていた1993年。
“本場のR&B”は、まだ韓国の耳に馴染みのない音だった。
宣伝も足りず、活動はあっという間に畳まれてしまう。
ちなみにこの1집、後にちゃんと再評価され、慌てて再発売されることになる。
それくらい、彼らは時代の半歩だけ先にいた。
2집『The Magic of 8 Ball』(1995) すべてを変えた一曲
1995年3月14日。
솔리드の運命を変える2집が出る。
1집の”アメリカ臭”を少しだけ抑えて、韓国の耳に寄せた一枚。
そのタイトル曲が、「이 밤의 끝을 잡고/イ バメ ックットゥル ジャッコ」だ。
ダンスナンバーが幅をきかせる真夏に、R&Bバラードが、異例の1位を獲った。
アルバムは100万枚を突破する。
(販売数には諸説あって、Mnetは「100万枚」、김조한/キム・ジョハン本人は「190万枚売れた」と語っている)
日本で言えば、ゴスペル仕込みの本格R&Bを、夏のお茶の間ヒットチャートのてっぺんにねじ込んだようなものだ。
この一曲が、韓国に「米国風R&Bブーム」を巻き起こし、売れなかったはずの1집まで再発売される逆転現象まで起こした。
韓国メディアは彼らを「韓国のボーイズIIメン」と呼んだ。
ここで、可愛い余談をひとつ。
この頃、솔리드はチョ・ヨンピルの名曲「단발머리/ダンバルモリ」をリメイクする予定だった。
ところが偶然、ヘアサロンで015Bと鉢合わせる。
向こうも同じ曲をリメイク中だと知った솔리드は、あっさり曲を譲った。
だから015B版「단발머리/ダンバルモリ」には、이준のラップが客演で入っている。
なんとも、教会育ちらしい譲り合いである。
3집『Light, Camera. Action!』(1996) 絶頂、そして「천생연분/チョンセンヨンブン」
1996年4月、3집『Light, Camera. Action!』。
大物が次々カムバックした激戦の年に、솔리드はまたしてもミリオンを叩き出す。
タイトル曲はロックバラード「넌 나의 처음이자 마지막이야/ノン ナエ チョウンミジャ マジマギヤ(君は僕の最初で最後)」。
音楽番組で何度も1位を獲った。
でも、それ以上に化けた曲がある。
「천생연분(チョンセンヨンブン/運命の相手)」だ。
後続曲の予定すらなかったこの曲が、じわじわ逆走(역주행/ヨッジュヘン)して大ヒット。
タイトル曲を追い越して、今なお愛されるスタンダードになった。
この曲の生命力は、とにかくしぶとい。
2003年には映画『オー!ブラザーズ』で使われ、2005年には神話(SHINHWA)がリメイク。
バラエティ『無限挑戦』でも、みんなで歌われている。
1996年7月には、体操競技場で単独コンサート。
メンバー全員が後に「3집の頃がいちばんの最盛期だった」と振り返る、その頂点だった。
4집『Solidate』(1997) 誰も知らない、解散
1997年4月、4집『Solidate』。
ここで솔리드は、冒険する。
R&Bではなく、マイアミ・ヒップホップのダンス曲「끼리끼리/ッキリッキリ」をタイトルに据えた。
ところが、大衆にはちょっと新しすぎた。
折しも、1세대/1世代 アイドルが台頭してきた時期。
バラードの後続曲「끝이 아니기를/ックチ アニギル」は健闘したけれど、往年のヒットには届かなかった。
そして솔리드は、ここでふっと消える。
事務所との確執。
休みなく続いた過酷なスケジュール。
兵役の問題。
ただ、少し休みたかった。
それだけだったという。
이준は、両親との約束を守って学業を終えるため、アメリカへ戻った。
ここで、90年代の韓国歌謡界の闇が、そっと顔を出す。
後に再結合した彼らが、衝撃の事実を明かしている。
自分たちは、一度も「解散する」とは言っていない、と。
休もうとしただけだった。
それが、事務所による一方的な解散へすり替わっていた。
メンバーは、自分たちの解散を、記事を読んで知ったのだ。
歌手のソン・シギョンは、後にこう言い切っている。
「(솔리드は)お金のせいで解散したんです」。
あれだけ売れて、あれだけ愛されたのに。
90年代の多くのアーティストがそうだったように、彼らもまた、まともな精算を受け取れなかったと見られている。
絶頂のまま、本人たちの意思とは関係なく、솔리드は止まった。
解散後 それぞれの道へ
3人は、まったく違う場所へ歩いていった。
김조한は、韓国とアメリカを行き来するソロ歌手として走り続けた。
『나는 가수다』『복면가왕』に出て、「R&Bの大父」として国民的に再認知され、後進を育てる先生になった。
이준は、結婚後、アメリカで不動産開発の事業家に。
音楽とは、すっぱり別の人生を選んだ。
정재윤は、ジェイ・チョンの名で中華圏のヒットメーカーに。
韓国を飛び出して、アジア全域でプロデューサーとして名を成した。
3つの人生、3つの正解。
솔리드は、解散しても、それぞれが”本物”のまま生き延びた。
21年越しの答え『Into the Light』(2018)
2018年3月。
デビュー25周年で、解散から21年。
솔리드は、戻ってきた。
きっかけは、親友の結婚式だった。
3人そろって新郎の付添人(들러리/ドゥロリ)を務めるうちに、自然とカムバックの話が始まったという。
5집『Into the Light』は、ただの懐古ではなかった。
中華圏で一流になった정재윤/チョン・ジェユンの感覚が冴えわたり、レトロと今っぽさが溶け合った、堂々たる現在進行形の音。
「再結合だからこそ、過去じゃなく、今いちばんやりたい音楽を作った」と정재윤は語っている。
22年ぶりのコンサートチケットは、5分で完売した。
それだけ、待っていた人がいたのだ。
ただ休みたかっただけの3人が、21年かけて、自分たちの意思でもう一度ステージに立つ。
あの一方的な”解散”への、静かで完璧な答えだった。
K-POP史における位置づけ
솔리드以前にも、黒人音楽を志した韓国人がいなかったわけではない。
でも、韓国系アメリカ人がグループを組み、R&Bを旗印にして継続的に活動した、事実上の第一号は솔리드だった。
彼らが現れたとき、大衆だけでなく、ミュージシャンたちまでが衝撃を受けたという。
その影響は、今も韓国のあちこちに流れている。
90年代に出てきた양파/ヤンパやパク・ジョンヒョンら、黒人音楽志向の女性ボーカルは、こぞって「女・김조한/キム・ジョハン」と呼ばれた。
바이브/バイブのようなR&Bグループの土台にも、솔리드の影が落ちている。
김조한の声は、ユン・ミレ「As Time Goes By」のコーラスにも、Baby V.O.X「Get Up」のコーラスにも、世代を越えて滲んでいる。
韓国の”濡れた声”の源流をたどっていくと、たいていここに行き着く。
LAの教会で出会った、酒も飲めない優等生3人組のところに。
韓国でのイメージ
韓国で솔리드/ソリドゥ、とりわけ김조한/キム・ジョハンは、ひとつの”格”として扱われている。
「R&Bの大父」「ご先祖様」。
バラエティに出るたび、後輩たちが頭を下げる、その対象だ。
パク・ジョンヒョンは彼を「アッパ(パパ)」と呼ぶし、나얼/ナオル、휘성/フィソン、박효신/パク・ヒョシンら、今の韓国R&Bを担う名前の多くが、솔리드解散の”後”に出てきている。
これは、偶然じゃない。
そして「이 밤의 끝을 잡고」は、世代を問わず誰もが歌える国民的スタンダード。
若者向けの音楽番組『슈가맨/シュガメン』でも、イントロが鳴った瞬間に観客が満点で立ち上がった。
30年近く経っても、あの夜は、まだ終わっていないらしい。
ディスコグラフィー(主要作)
| 集 | アルバム(한국어/English) | 年 | TITLE曲 | 記事 |
|---|---|---|---|---|
| 1집 | Give Me A Chance | 1993 | 이젠 나를 | 準備中 |
| 2집 | The Magic of 8 Ball | 1995 | 이 밤의 끝을 잡고 | 準備中 |
| 3집 | Light, Camera. Action! | 1996 | 넌 나의 처음이자 마지막이야 | 準備中 |
| 4집 | Solidate | 1997 | 끼리끼리 | 準備中 |
| 5집 | Into the Light | 2018 | Into the Light | 準備中 |
余談
「이 밤의 끝을 잡고」には、ちょっと笑える”国語の話”がある。
김조한は曲中、「끝을(ックットゥル)」を「끄츨(クッチュル)」と発音していて、これが大ヒットしたせいで、間違った発音が広まってしまった、とよく言われる。
本場のR&Bを持ち込んだ男が、はからずも韓国語の発音論争まで持ち込んでしまったわけだ。
솔리드の象徴である八番玉のステッキは、活動当時に2本作られたという。
1本は盗まれ、もう1本は이준がアメリカへ戻るとき親戚に預けられ、後に折れてしまった。
再結合のとき、ステッキは新しく作り直されている。
そして、솔리드は楽曲の作詞・作曲・編曲・演奏まで、ほぼ3人だけでやっていた。
정재윤いわく「99%、自分たちの力で作った」。
本場のR&Bを”借り物”で終わらせなかった理由は、たぶんここにある。
マルのひとこと
曲名も歌手名も知らないまま、どこかで流れていて、気づけば体が覚えていた。
そういう曲って、稀によくある。
後から、これが韓国系アメリカ人の3人組で。
真夏にバラードで1位を獲った”事件”の主犯で。
しかも本人たちの知らないところで解散させられていた、と知った。
なんだそれ、と思った。
あんなに優しい声で、あんなに理不尽な目に遭うのか、と。
でも彼らは21年後、誰に頼まれたわけでもなく、自分の足で戻ってきた。
チケットは、5分で売り切れた。
ちゃんと、待っている人がいたのだ。
うりぬん、ソリッドの声を覚えておきたい。



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