Solidと僕。 솔리드와 나

夜明け前

韓国に「本物のR&B」を持ち込んだ、3人組がいる。

しかも、3人とも韓国系アメリカ人。
英語で育ち、ロサンゼルスの教会で出会った、敬虔なクリスチャンの青年たちだ。

솔리드ソリドゥ/ソリドゥ。
ソ・テジ、DEUX、현진영ヒョンジンヨン/ヒョン・ジニョンがヒップホップを韓国に根付かせたのと同じ黎明期に、「R&B」という回路を韓国歌謡につないだ開拓者だ。

代表曲「이イ 밤의バンエ/バムウィ 끝을ックッウル/クッウル 잡고ジャプゴ/この夜の終わりを掴んで」は、ダンス全盛の真夏に、たった一曲のバラードで1位を獲った”事件”だった。
今も、韓国で黒人音楽をやる者なら誰もが一度はカバーする、通過儀礼のような名曲になっている。

ただ、彼らの物語には、ちょっと切ない結び目もある。
本人たちの知らないうちに、解散させられていたのだ。
その理不尽と、21年後の見事な答えまで、見てみてほしい。


目次

  • 基本情報
  • まず、3人を紹介させてほしい
  • すべては、LAの教会から始まった
  • 1집チプジプ『Give Me A Chance』(1993) 早すぎた名刺
  • 2집チプ『The Magic of 8 Ball』(1995) すべてを変えた一曲
  • 「이 밤의パメ 끝을 잡고」という一曲の解剖
  • 3집チプ『Light, Camera. Action!』(1996)  絶頂、そして「천생연분チョンセンヨンブンチョンセンヨンブン/チョンセンヨンブン」
  • 4집チプ『Solidate』(1997) 誰も知らない、解散
  • 解散後 それぞれの道へ
  • 21年越しの答え『Into the Light』(2018)
  • K-POP史における位置づけ
  • 韓国でのイメージ
  • ディスコグラフィー(主要作)
  • 余談
  • 솔리드が拓いた後継者たちの系譜
  • マルのひとこと

基本情報

項目 内容
グループ名 솔리드ソリドゥ
(SOLID/ソリッド)
デビュー 1993年1月(1集『Give Me A Chance』)
所属(当時) ラエンターテインメント、大弘企画 ほか
ジャンル R&B、ヒップホップ
メンバー 김조한ギンジョハン/キム・ジョハン
이준イジュン/イ・ジュン
정재윤ジョンジェユン/チョン・ジェユン
特記事項 韓国に本物のR&Bを根付かせた開拓者。
「韓国のボーイズIIメン」

まず、3人を紹介させてほしい

솔리드ソリドゥの強さは、3人の役割が、気持ちいいほどきれいに分かれていたことにある。
歌、ラップ、設計図。
ひとつも欠けていない。

김조한ギムジョハン メインボーカル

英語名はジョージ・ハン・キム。
1973年、アメリカ・アトランタ生まれの、솔리드ソリドゥの声だ。

ニックネームが、もうすごい。
「알앤비アルエンビ 조상님ジョサンニン/アルエンビ ジョサンニン」、つまり「R&Bのご先祖様」。
冗談みたいだが、これを否定する韓国人はいない。

歌姫パク・ジョンヒョンは、彼をこう言った。
「歌う側からすると、どれだけ追いかけても、追いつけないボーカリストです」。
カラッと乾いたダンス全盛の韓国に、彼はひとり、しっとり濡れた声を持ち込んだ。

後に彼は、テヨン、ヒョリン、キュヒョンら数えきれないアイドルを育てる”ボーカルの先生”になり、今は大学でも教えている。
韓国R&Bの遺伝子は、けっこうな確率で、この人を経由している。

이준イジュン ラップ

1972年、ロサンゼルス生まれ。
솔리드ソリドゥのラップ担当で、ビジュアル担当でもあった。

ここが大事なところだ。
ソ・テジが現れて、韓国に「ラップ」という言葉が広まり始めた頃。
でも、その多くは「국어책グクオチェッ 읽기イクギ/国語の教科書の音読」と揶揄される、速口で喋るだけのものだった。

そこへ、本場・西海岸仕込みの이준イジュンのラップが落ちてくる。
中低音の、本物のグルーヴ。
韓国のリスナーは、文字どおりカルチャーショックを受けた。
あの현진영ヒョンジンヨンが「이준イジュンのラップを聴いて衝撃を受けた」と雑誌で語っているほどだ。

黒い八番玉(エイトボール)のついたステッキが、彼のトレードマークだった。

정재윤ジョンジェユン リーダー・作曲

英語名はジェイ・チョン。
リーダーで、ボーカルで、そして솔리드ソリドゥのサウンドを丸ごと”設計”した人だ。

「이 밤의バンエ 끝을ックッウル 잡고ジャプゴ」を、作曲家キム・ヒョンソクと一緒に書いたのも彼。
솔리드ソリドゥというグループの頭脳である。

彼の本当の凄さは、解散したあとに出る。
韓国を離れて中華圏へ渡り、台湾を拠点に一流プロデューサーになった。
多国籍グループのAZIATIX(アジアティックス)やロイヤル・パイレーツを発掘し、女性デュオの애즈원エジュウォン/As Oneを世に出したのも彼だ。
솔리드ソリドゥが止まっても、この人の耳は鳴り続けた。


すべては、LAの教会から始まった

3人が出会ったのは、ロサンゼルスの韓人教会だった。

全員、敬虔なクリスチャン。
そして全員、デビュー直前まで「酒を一滴も飲んだことがない」ほどの優等生だったという。
デビューしたら酒飲んだんかーい。

ステージの上では、本場仕込みの不良っぽさをまとっているのに。
中身は、真面目な教会のお兄さんたち。
この「착한チャクハン 교포ギョポ 오빠オッパ/優しい在米のお兄さん」というギャップも、当時の人気をしっかり支えていた。


1집ジッ『Give Me A Chance』(1993) 早すぎた名刺

1993年1月、デビューアルバム『Give Me A Chance』。
全曲を정재윤ジョンジェユンが手掛けた。
タイトル曲は、ヒップホップ色の強いダンスナンバー「이젠イジェン 나를ナル/イジェン ナル」。

ところが、これが売れなかった。

理由は、ひとつ。
早すぎたのだ。

ソ・テジとアイドゥル、そしてDEUXが時代を引っぱっていた1993年。
“本場のR&B”は、まだ韓国の耳に馴染みのない音だった。
宣伝も足りず、活動はあっという間に畳まれてしまう。

ちなみにこの1집チプ、後にちゃんと再評価され、慌てて再発売されることになる。
それくらい、彼らは時代の半歩だけ先にいた。


2집チプ『The Magic of 8 Ball』(1995) すべてを変えた一曲

1995年3月14日。
솔리드ソリドゥの運命を変える2집チプが出る。

1집チプの”アメリカ臭”を少しだけ抑えて、韓国の耳に寄せた一枚。
そのタイトル曲が、「이 밤의バンエ 끝을ックッウル 잡고ジャプゴ バメ ックットゥル ジャッコ」だ。

ダンスナンバーが幅をきかせる真夏に、R&Bバラードが、異例の1位を獲った。
アルバムは100万枚を突破する。
(販売数には諸説あって、Mnetは「100万枚」、김조한ギムジョハン本人は「200万枚近く」と語ることもある)

日本で言えば、ゴスペル仕込みの本格R&Bを、夏のお茶の間ヒットチャートのてっぺんにねじ込んだようなものだ。
この一曲が、韓国に「米国風R&Bブーム」を巻き起こし、売れなかったはずの1집チプまで再発売される逆転現象まで起こした。
韓国メディアは彼らを「韓国のボーイズIIメン」と呼んだ。

ここで、可愛い余談をひとつ。
この頃、솔리드ソリドゥはチョ・ヨンピルの名曲「단발머리ダンバルモリ/ダンバルモリ」をリメイクする予定だった。
ところが偶然、ヘアサロンで015Bと鉢合わせる。
向こうも同じ曲をリメイク中だと知った솔리드ソリドゥは、あっさり曲を譲った。
だから015B版「단발머리ダンバルモリ」に、이준イジュンのラップが客演で入っている。
なんとも、教会育ちらしい譲り合いである。


「이 밤의パメ 끝을 잡고」という一曲の解剖

あの曲は、なぜ今も色褪せないのか。

まず、タイトルが尋常じゃない。
「夜の終わりを掴む」という表現は、韓国語としてもかなり詩的だ。
夜を「終わらせない」でも「待つ」でもなく、「掴もうとする」。
その切迫感と、でも夜は確実に明けていくという無力感が、たった4文字に詰まっている。

そして、김조한ギムジョハンの声は、この曲と完璧に合っていた。
ゴスペルで鍛えた声量と、R&Bで磨いたファルセットの切り替え。
韓国のリスナーにとっては、それまで聴いたことのない「濡れた声」だった。
スタジオ録音でも、ライブでも、あの声は変わらない。
そのことが、カバーを試みた多くの歌手たちに、同じ壁を見せることになった。

이준イジュンのラップパートもまた、計算された設計だ。
バラードの感情を途切れさせず、むしろ底上げするように流れる。
「R&Bの中にラップを溶け込ませる」手法は、今では当たり前だが、1995年の韓国でこれをやったのは솔리드ソリドゥが最初と言っていい。

若手アーティストがカバーに挑む度、김조한ギムジョハンは決まって笑いながら「歌うのは自由ですよ」と言う。
でも、30年近く経っても、あの音域とあの感情に届いたカバーは、まだ出てきていない。


3집チプ『Light, Camera. Action!』(1996)  絶頂、そして「천생연분チョンセンヨンブン/チョンセンヨンブン」

1996年4月、3집チプ『Light, Camera. Action!』。
大物が次々カムバックした激戦の年に、솔리드ソリドゥはまたしてもミリオンを叩き出す。

タイトル曲はロックバラード「넌ノン 나의ナエ 처음이자チョウンイジャ/チョウムイジャ 마지막이야マジマクイヤ/君は僕の最初で最後」。
音楽番組で何度も1位を獲った。

でも、それ以上に化けた曲がある。
「천생연분チョンセンヨンブン」だ。

後続曲の予定すらなかったこの曲が、じわじわ逆走(역주행ヨクジュヘン/ヨッジュヘン)して大ヒット。
タイトル曲を追い越して、今なお愛されるスタンダードになった。

この曲の生命力は、とにかくしぶとい。
2003年には映画『オー!ブラザーズ』で使われ、2005年には神話(SHINHWA)がリメイク。
バラエティ『無限挑戦』でも、みんなで歌われている。

1996年7月には、体操競技場で単独コンサート。
メンバー全員が後に「3집チプの頃がいちばんの最盛期だった」と振り返る、その頂点だった。


4집チプ『Solidate』(1997) 誰も知らない、解散

1997年4月、4집チプ『Solidate』。

ここで솔리드ソリドゥは、冒険する。
R&Bではなく、マイアミ・ヒップホップのダンス曲「끼리끼리ッキリッキリ/ッキリッキリ」をタイトルに据えた。
ところが、大衆にはちょっと新しすぎた。

折しも、1세대セデ/1世代 アイドルが台頭してきた時期。
バラードの後続曲「끝이ックッイ/クッイ 아니기를アニギル/ックチ アニギル」は健闘したけれど、往年のヒットには届かなかった。

そして솔리드ソリドゥは、ここでふっと消える。

事務所との確執。
休みなく続いた過酷なスケジュール。
兵役の問題。
ただ、少し休みたかった。
それだけだったという。
이준イジュンは、両親との約束を守って学業を終えるため、アメリカへ戻った。

ここで、90年代の韓国歌謡界の闇が、そっと顔を出す。

後に再結合した彼らが、衝撃の事実を明かしている。
自分たちは、一度も「解散する」とは言っていない、と。

休もうとしただけだった。
それが、事務所による一方的な解散へすり替わっていた。
メンバーは、自分たちの解散を、記事を読んで知ったのだ。

歌手のソン・シギョンは、後にこう言い切っている。
「(솔리드ソリドゥは)お金のせいで解散したんです」。

あれだけ売れて、あれだけ愛されたのに。
90年代の多くのアーティストがそうだったように、彼らもまた、まともな精算を受け取れなかったと見られている。
絶頂のまま、本人たちの意思とは関係なく、솔리드ソリドゥは止まった。


解散後 それぞれの道へ

3人は、まったく違う場所へ歩いていった。

김조한ギムジョハンは、韓国とアメリカを行き来するソロ歌手として走り続けた。
『나는ナヌン 가수다ガスダ』『복면가왕ボクミョンガワン』に出て、「R&Bの大父」として国民的に再認知され、後進を育てる先生になった。

이준イジュンは、結婚後、アメリカで不動産開発の事業家に。
音楽とは、すっぱり別の人生を選んだ。

정재윤ジョンジェユンは、ジェイ・チョンの名で中華圏のヒットメーカーに。
韓国を飛び出して、アジア全域でプロデューサーとして名を成した。

3つの人生、3つの正解。
솔리드ソリドゥは、解散しても、それぞれが”本物”のまま生き延びた。


21年越しの答え『Into the Light』(2018)

2018年3月。
デビュー25周年で、解散から21年。
솔리드ソリドゥは、戻ってきた。

きっかけは、親友の結婚式だった。
3人そろって新郎の付添人(들러리トゥロリ/ドゥロリ)を務めるうちに、自然とカムバックの話が始まったという。

5집チプ『Into the Light』は、ただの懐古ではなかった。
中華圏で一流になった정재윤ジョンジェユンの耳で磨かれた、現在進行形の音。
「再結合だからこそ、過去じゃなく、今いちばんやりたい音楽を作った」と정재윤ジョンジェユンは語っている。

22年ぶりのコンサートチケットは、5分で完売した。
それだけ、待っていた人がいたのだ。

ただ休みたかっただけの3人が、21年かけて、自分たちの意思でもう一度ステージに立つ。
あの一方的な”解散”への、静かで完璧な答えだった。


K-POP史における位置づけ

솔리드ソリドゥ以前にも、黒人音楽を志した韓国人がいなかったわけではない。
でも、韓国系アメリカ人がグループを組み、R&Bを旗印にして継続的に活動した、事実上の第一号は솔리드ソリドゥだった。

彼らが現れたとき、大衆だけでなく、ミュージシャンたちまでが衝撃を受けたという。
その影響は、今も韓国のあちこちに流れている。

90年代に出てきた양파ヤンパや박화요비パクファヨビらR&B志向の女性シンガーたちは、口をそろえて「김조한ギムジョハン」と呼ばれた。
바이브バイブ/バイブのようなR&Bグループの土台にも、솔리드の影が落ちている。
김조한ギムジョハンの声は、ユン・ミレ「As Time Goes By」のコーラスにも、Baby V.O.X「Get Up」のコーラスにも、世代を越えて滲んでいる。

韓国の”濡れた声”の源流をたどっていくと、たいていここに行き着く。
LAの教会で出会った、酒も飲めない優等生3人組のところに。


韓国でのイメージ

韓国で솔리드ソリドゥというと、大半の人が김조한ギムジョハンを思い浮かべる。

「R&Bの大父」「ご先祖様」。
バラエティに出るたび、後輩たちが頭を下げる、その対象だ。
パク・ジョンヒョンは彼を「アッパ(パパ)」と呼ぶし、나얼ナオル/ナオル、휘성ヒソン/フィソン、박효신バクヒョシン/パク・ヒョシンら、今の韓国R&Bを担う名前の多くが、솔리드解散の”後”に出てきている。
これは、偶然じゃない。

そして「이 밤의バンエ 끝을ックッウル 잡고ジャプゴ」は、世代を問わず誰もが歌える国民的スタンダード。
若者向けの音楽番組『슈가맨シュガメン/シュガメン』でも、イントロが鳴った瞬間に観客が満点で立ち上がった。
30年近く経っても、あの夜は、まだ終わっていないらしい。


ディスコグラフィー(主要作)

集 アルバム(한국어ハングゴ/韓国語/English) 年 代表曲 記事
1집チプ Give Me A Chance 1993 이젠イジェン 나를ナル 準備中
2집チプ The Magic of 8 Ball 1995 이 밤의バンエ 끝을ックッウル 잡고ジャプゴ 準備中
3집チプ Light, Camera. Action! 1996 넌 나의ナエ 처음이자チョウンイジャ 마지막이야マジマクイヤ 準備中
4집チプ Solidate 1997 끼리끼리ッキリッキリ 準備中
5집チプ Into the Light 2018 Into the Light 準備中

余談

「이 밤의バンエ 끝을ックッウル 잡고ジャプゴ」には、ちょっと笑える”国語の話”がある。
김조한ギムジョハンは曲中、「끝을ックッウル」を「끄츨ックチュル/クッチュル」と発音していて、これが大ヒットしたせいで、間違った発音が広まってしまった、とよく言われる。
本場のR&Bを持ち込んだ男が、はからずも韓国語の発音論争まで持ち込んでしまったわけだ。

솔리드ソリドゥの象徴である八番玉のステッキは、活動当時に2本作られたという。
1本は盗まれ、もう1本は이준イジュンがアメリカへ戻るとき親戚に預けられ、後に折れてしまった。
再結合のとき、ステッキは新しく作り直されている。

そして、솔리드ソリドゥは楽曲の作詞・作曲・編曲・演奏まで、ほぼ3人だけでやっていた。
정재윤ジョンジェユンいわく「99%、自分たちの力で作った」。
本場のR&Bを”借り物”で終わらせなかった理由は、たぶんここにある。


솔리드が拓いた後継者たちの系譜

솔리드ソリドゥの解散後、韓国R&Bシーンに何が起きたかを追うと、彼らの遺産がいかに広がったかが見えてくる。

나얼ナオル、휘성フィソン、박효신パクヒョシン。
今の韓国R&Bを代表するこれらの名前は、いずれも솔리드ソリドゥ解散後にデビューしている。
偶然ではない。
솔리드ソリドゥが耕した土壌の上に、次の世代の芽が出たのだ。

特に김조한ギムジョハンのソロ活動は、グループ解散後も途切れなかった。
2001年のソロデビューから現在まで、一貫してR&Bの良心として活動し続けている。
MBC『나는ナヌン 가수다ガスダ/私は歌手だ』に出演したとき、他の出演者たちが競争相手として緊張するなか、彼だけが自然体で歌い続けた、という話が残っている。
プレッシャーを感じる理由が、ない。
既に「先祖様」の域にいるのだから。

また、솔리드ソリドゥのサウンドは、韓国の後発R&Bグループにも直接影響を与えた。
1990年代後半から2000年代にかけてデビューした바이브バイブ/バイブや서인국ソインクッのようなアーティストたちが、自分たちのルーツとして솔리드ソリドゥの名を挙げている。
「韓国系アメリカ人がR&Bをやる」という前例が存在したことで、後に続く人たちにとっての壁が低くなった。
最初にその壁を壊したのが、LAの教会で出会った3人だったという事実は、何度でも繰り返す価値がある。
彼らが「借り物の音楽」ではなく、本当に自分たちのR&Bとして作り上げた音楽は、時代が変わっても質が落ちなかった。
だから、後輩アーティストたちの心にも、届き続けている。


マルのひとこと

曲名も歌手名も知らないまま、どこかで流れていて、気づけば体が覚えていた。
そういう曲って、稀によくある。

後から、これが韓国系アメリカ人の3人組で。
真夏にバラードで1位を獲った”事件”の主犯で。
しかも本人たちの知らないところで解散させられていた、と知った。

なんだそれ、と思った。
あんなに優しい声で、あんなに理不尽な目に遭うのか、と。

でも彼らは21年後、誰に頼まれたわけでもなく、自分の足で戻ってきた。
チケットは、5分で売り切れた。
ちゃんと、待っている人がいたのだ。

彼らは一方的に解散させられた側だ。
それでも音楽の質を下げなかった。
声を腐らせなかった。
21年後、きちんとした形で戻ってきた。
そのことが、一番かっこいいと思う。

うりぬん、ソリッドの声を覚えておきたい。

コメント