ジェクスキスと僕。 젝스키스와 나

1世代

「H.O.T.か、젝스키스ジェックスキス/ジェクスキスか」。

90年代後半の韓国の教室では、この二択が、友情を試す踏み絵だった。

日本で言えば、光GENJIか、いや、もっと熱い。
学校が真っ二つに割れて、下敷きの裏に推しのメンバーを貼って、休み時間に殴り合い寸前まで議論する。
そういう時代の、片方の主役だ。

젝스ジェクス키스キス/ジェクスキス。
ドイツ語の「6(젝스ジェクス/sechs)」と「水晶(키스キス

デビューして3年で、絶頂のまま、解散した。
そして16年後、ある伝説のバラエティ番組がきっかけで、まるごと戻ってきた。

黄色い風船と、赤い雨ガッパ。
그때グテ 그グ 시절シジョル/あの頃を、韓国人がまるごと思い出す合図みたいなグループだ。
今日は、その6つの水晶を、ぜんぶ書く。


基本情報

項目 内容
グループ名 젝스키스ジェックスキス
デビュー 1997年4月15日(1집ジプ『학원별곡ハクウォンビョルゴク』)
所属(当時) 대성기획デソンギヘク/現 DSPメディア
活動期間 1997〜2000年、2016〜2024年(YG)
ジャンル ダンスポップ、バラード、ラップ/ヒップホップ
メンバー 은지원ウンジウォン/ウン・ジウォン
이재진イジェジン/イ・ジェジン
김재덕ギンジェドク/キム・ジェドク
강성훈ガンソンフン/カン・ソンフン
고지용ゴジヨン/コ・ジヨン
장수원ジャンスウォン/チャン・スウォン
特記事項 H.O.T.と並ぶ1세대セデアイドルの双璧。
ファンダム文化の原型をつくった片割れ

まず、6人を紹介させてほしい

젝스키스ジェックスキスの面白さは、キャラが渋滞するほど濃いことにある。

グループ内では、メンバーを3人ずつ「블랙ブルレク 키스キス キス(ブラックキス)」と「화이트ハイトゥ 키스キス キス(ホワイトキス)」に分けていた。
6つの水晶を、黒と白で二分する。
中二心をくすぐる、90年代らしい世界観だ。

そして面白いのが、解散後にいちばん有名になったのが、デビュー当時いちばん目立たなかった子だったりすること。
一人ずつ、いってみよう。

은지원ウンジウォン リーダー・メインラッパー

1978年生まれ、젝스키스ジェックスキスの顔でありリーダー。
グループのラップを一手に引き受けた、設計担当だ。

キャスティングの経緯からして、この人が起点だった。
ハワイに留学中、クラブでDJのアルバイトをしていた은지원ウンジウォンを、대성기획デソンギヘクの社長イ・ホヨンが見初める。
最初は강성훈ガンソンフンとの「男性デュオ」でデビューする計画だったという。
それがH.O.T.のブレイクを見て「6人組アイドル」に路線変更され、젝스키스ジェックスキスになっていく。

この人がすごいのは、解散後の第二の人生だ。
バラエティ『1박バク 2일イル/1泊2日』で、予測不能キャラとして大化けする。
あだ名は「은초딩ウンチョディン/ウン小学生」。
その後も『新西遊記』『ザ・ジーニアス』と渡り歩き、젝스키스ジェックスキスのメンバーで唯一、가요대상ガヨデサン/歌謡大賞と연예ヨンイェ/芸能대상デサンヨンイェデサン(ヨンイェデサン)/ヨネデサン(バラエティ大賞)の両方を獲った男になった。
ドランクン・タイガーと組んだ「만취マンチ in melody/マンチィ イン メロディ」など、ソロのヒップホップでも結果を出している。

이재진イジェジン リードボーカル・メインダンサー

1979年生まれ。
甘い声とダンスを兼ね備えた、젝스키스ジェックスキスの歌の柱のひとり。

解散後は、DOUBLE Jなどソロのダンス曲で活動したのち、兵役や闘病など、いくつもの試練をくぐった。
その後は絵の道に進みたいと美術を学び、静かに自分を立て直していく。
再結合後は、そのぶん厚みを増した歌声でグループを支えている。

김재덕ギンジェドク リードダンサー・サブラッパー

1979年生まれ。
ダンスとパフォーマンスで젝스키스ジェックスキスのステージを引き締めた一人。

解散後は、末っ子・장수원ジャンスウォンと同じ大学に通ううちに、現役時代よりむしろ仲良くなる。
二人でデュオ「J-Walk/ジェイウォーク」を結成し、2002年にデビューして人気賞を獲った。
後輩グループ클릭비クルリクビ/クルリッビの振付を担当したり、ダンス学院を開いたりと、裏方としても韓国の現場を支えてきた人だ。

강성훈ガンソンフン メインボーカル

1980年生まれ。
デビュー当時、이재진イジェジンと並ぶ二枚看板のメインボーカル。
澄んだ高音で、젝스키스ジェックスキスのバラードを何度も上位に押し上げた声だ。

彼のソロバラードも愛されたが、長い空白のあいだに活動をめぐる論争が起き、2019年1月、グループを離れることになった。
現在の젝스키스ジェックスキスは、彼を除いた4人で歩みを続けている。
ここでは、彼の高音が黄金期のバラードを支えた、というその一点だけを、そっと置いておきたい。

고지용ゴジヨン ビジュアル・ボーカル

1979年生まれ。
甘いマスクで絶大な人気を誇った、젝스키스ジェックスキスのビジュアル担当のひとり。

彼の人生は、いちばん劇的な曲がり方をする。
解散後、2004年に「芸能界を辞める」とファンページに自ら綴り、きっぱり引退。
留学を経て、10年以上メディアに一切姿を見せない”完全な一般人”として生きた。
医師の女性と結婚し、育児バラエティ『スーパーマンが帰ってきた』に息子スンジェくんと出て、”いいパパ”として再ブレイク。
2016年の再結合には「もう芸能人ではないから」と加わらなかったが、2025年には25年ぶりに은지원ウンジウォンと劇的に再会する様子が報じられ、韓国のファンを沸かせた。

장수원ジャンスウォン メインボーカル

1980年生まれ、最年少。
デビュー当時はいちばん静かで、目立たないメンバーだった。

加入のエピソードが、もう젝스키스ジェックスキスで一番好きな話かもしれない。
장수원ジャンスウォンは、友達のオーディションに付き添いで行っただけだった。
ところが友達は落ちて、本人が受かってしまう。
しかも二次オーディションで「得意なことは?」と聞かれ、「아무것도アムゴッド 없는데요オプヌンデヨ?/アムゴット オンヌンデヨ(何もないんですけど?)」と正直に答えたら、社長が「正直でいい」と、そのまま合格させたという。
何もないと言った子が、25年後もステージに立っている。

解散後は俳優に転身し、あるドラマのロボットのような棒読み演技が「발연기バルヨンギ/足の演技=大根役者」としてネットで一大ミームに。
すると彼はそれを逆手に取り、「大根役者」をコンセプトにしてバラエティで大活躍した。
そして강성훈ガンソンフンが抜けたあとの젝스키스ジェックスキスでは、中低音の効いたメインボーカルとして、いちばんの伸びしろを見せている。


結成 / データデビューの舞台裏

젝스키스ジェックスキスの生まれ方は、H.O.T.の影とセットで語られる。

1996年、SMがH.O.T.をデビューさせ、韓国に「アイドル」という新種を放った。
CDが飛ぶように売れ、中高生が熱狂する。
これを見た대성기획デソンギヘクの社長イ・ホヨンが、「うちも」と動いた。

もともとは、ハワイでスカウトした은지원ウンジウォンと강성훈ガンソンフンの「男性デュオ」計画だった。
それがH.O.T.の大成功を目の当たりにして、急きょ6人組アイドルへ路線変更。
장수원ジャンスウォン、이재진イジェジン、김재덕ギンジェドク、そして最後に고지용ゴジヨンが加わって、6つの水晶が揃う。
つまり젝스키스ジェックスキスは、企画の出発点からしてH.O.T.への”回答”だったのだ。

そして1997年4月15日、彼らは世に出る。
H.O.T.のSMと、젝스키스ジェックスキスのDSP。
少年少女の人気を二分する、90年代の”双璧”がここから始まる。


1집チプ『학원별곡ハクウォンビョルゴク』(1997) 黄色い旋風の始まり

1997年5月、デビューアルバム『학원별곡ハクウォンビョルゴク/ハグォンビョルゴッ』。

タイトル曲「학원별곡ハクウォンビョルゴク」は、受験に追われる10代の鬱屈を、そのまま歌にした曲だ。
「俺たちは点数を取る機械じゃない」。
そういう若者の叫びを、激しいダンスに乗せた。

これが、教室の子どもたちに刺さらないわけがない。
H.O.T.が「戦士の末裔」で学校暴力を叫んだのと同じ季節に、젝스키스ジェックスキスは「学園」というキーワードで10代の心をつかんだ。

シンボルも決まっていく。
公式カラーは黄色。
ファンクラブは「옐로우키스イェルロウキス/イェルキ)。
会場を黄色い風船が埋め尽くした。
そこに、赤い雨ガッパ(우비ウビ/雨具/ウビ)という不思議な風物詩まで加わる。
黄色いグループのファンが、なぜか赤いレインコートを着て応援する。
今見ると謎だが、これも熱狂の記録だ。


2집チプ『Welcome To The Sechskies Land』(1997) 「폼생폼사ポムセンポムサ」で頂点へ

1997年11月、2집チプ。

ここで젝스키스ジェックスキスは、社会現象クラスのヒットを出す。
「폼ポン생폼사センポムサポンセンポンサ/ポンセンポンサ」だ。

「폼(ポン)」は、見栄えとかスタイルとか、格好つけのこと。
「폼에ポンエ/ポムエ 살고サルゴ 폼에ポンエ 죽는다ジュクヌンダ/格好で生き、格好で死ぬ」を縮めた造語がタイトルになっている。
黒い衣装で群舞するこの曲は、젝스키스ジェックスキスの代名詞であり、90年代アイドルダンスの一つの完成形になった。

公式のタイトル曲として賞を運んだのは、騎士道を歌ったもう一枚看板の「기사도ギサド/騎士道」。
甘く守ってくれる젝스키스ジェックスキスの一面を象徴する曲で、この年の서울가요대상ソウルガヨデサン/ソウルガヨデサン・10大歌手賞は「기사도」で受けている。

この頃には、H.O.T.との人気争いも本格化する。
音楽番組の1位を、毎週この2組が奪い合った。
正直に言えば、ファンダムの規模ではH.O.T.が頭一つ抜けていた。
でも젝스키스ジェックスキスの強みは、そこじゃない。
コアなファン以外の、一般の大衆にまで届く”大衆性”。
そこで彼らは、何度も勝負をひっくり返していく。


3집チプ『Road Fighter』(1998) アイドル史に残る”3曲同時1位”

1998年7月、3집チプ『Road Fighter』。

このアルバムで、젝스키스ジェックスキスはとんでもない記録を打ち立てる。
アイドルグループとして初めて、ひとつのアルバムから3曲が地上波の音楽番組で1位を獲ったのだ。

タイトル曲は、疾走感のあるダンス「Road Fighter(ロードファイター)」。
続く「무모한ムモハン 사랑サラン/無謀な愛」「지금이야ジグンイヤ/今だよ」も立て続けにヒットした。
タイトル曲だけを宣伝して収録曲はファンだけが聴く、という今のアイドルとは違う。
젝스키스ジェックスキスは、1枚のアルバムから、次々にヒットを取り出せるグループだった。

「무모한ムモハン 사랑サラン」は、この年のKBS歌謡大賞・本賞をもたらした一曲でもある。
ダンスで攻めて、バラードで沁みさせる。
その振れ幅こそが、젝스키스ジェックスキスの武器だった。


スペシャル3.5집チプ『SechsKies Special』(1998) 「커플コプル」で大賞

1998年10月、スペシャルアルバム。
通称、3.5집チプ/ジッ(集)。

ここに、젝스키스ジェックスキス史上もっとも国民的な一曲が入っている。
「커플コプル/コプル(Couple)」だ。

恋人たちを軽やかに歌ったこの曲は、ファンの枠を軽々と越えて、老若男女に届いた。
その大衆性が評価され、1998年の서울가요대상ソウルガヨデサン젝스키스ジェックスキスはついに「대상デサン/テサン(大賞)」を受賞する。
受賞作は、この「커플コプル」だった。

面白いのは、これが正規アルバムじゃなく”3.5집チプ”という変則リリースの曲だったこと。
番外編みたいな一枚から、キャリア最大のスタンダードが生まれた。
「커플コプル」の振り付けは、今も再結合ライブの鉄板であり、韓国人なら世代を問わず口ずさめる。


4집チプ『Com’ Back』(1999) 絶頂の中で

1999年9月、4집チプ『Com’ Back』。

タイトル曲「Com’ Back(カムバック)」で、젝스키스ジェックスキスは人気を維持し続ける。
デビューから3年目に入っても、彼らはまだ韓国の少年少女の中心にいた。

アルバムを出せば売れ、コンサートをやれば埋まる。
1997年の初コンサート『ジェクスキスのクリスマス』は予約開始5時間で完売。
黄色い風船の海は、いつまでも続くように見えていた。

でも、その海は、次の年に突然、引いてしまう。


解散 絶頂のままの、幕切れ

2000年5月18日。

젝스키스ジェックスキスは、記者会見を開いて突然の解散を発表する。
そして드림콘서트ドゥリンコンソトゥ/ドリームコンサートのステージを最後に、6人はばらばらになった。

デビューからわずか3年1か月。
人気は、まだ全然、落ちていなかった。
解散会場となったソウル五輪主競技場には、約5万人のファンが押し寄せたという。

解散の理由は、当時はっきり語られず、大きな論争になった。
メンバーそれぞれの進路。
事務所との、契約や待遇をめぐる溝。
90年代アイドルの多くが直面した、あの構造的な問題だ。
3年ほどの活動で、正規・非正規あわせて5枚のアルバムが数百万枚売れた。
それでも、若い彼ら自身の手元に、正当な分がちゃんと渡っていたのか。
そこには、今も語り継がれる韓国芸能界の”影”がある。

子どもだったファンにとって、それは「初めての推しを失う日」だった。
そして、ここからが젝스키스ジェックスキスの物語の、本当に面白いところだ。


再結合 16年後、『無限挑戦』が起こした奇跡

2016年。

国民的バラエティ『무한도전ムハンドジョン/無限挑戦』が、伝説の企画をやる。
「토토가トトガ/土曜日 土曜日は歌手だ」。
90年代のスターを、もう一度ステージに立たせる企画だ。

その第2弾で、무한도전ムハンドジョンは動いた。
バラバラになっていた젝스키스ジェックスキスのメンバーに、こっそり連絡を取り、16年ぶりの再会をセッティングしたのだ。

番組の中で、メンバーが一人ずつ集まっていく。
そして黄色い風船を持ったファンの前に、あの6人(のうち5人)が、もう一度立った。
このステージは、韓国中を涙させた。
当時子どもだったファンは、もう30代、40代の大人になっていた。
その大人たちが、また黄色い風船を握りしめて泣いた。

この再結合は、一度きりで終わらなかった。
젝스키스ジェックスキスはそのままYGエンターテインメントと契約し、正式に活動を再開する。
2016年9月の再結合コンサート『Yellow Note』は、チケットが5分で完売。
新しいアルバム『ANOTHER LIGHT』(2017)まで出し、”あの頃の思い出”は堂々たる現在進行形に戻った。

ただし、事業家として成功していた고지용ゴジヨン
「もう芸能人ではないから」。
その選択もまた、彼らしい誠実さだった。

そして2024年3月、젝스키스ジェックスキスはYGとの契約満了とともに、8年間の第二幕をそっと閉じる。
グループとしての活動は、いまは一区切りついている。
それでも縁は切れない。
2025年、あの고지용ゴジヨンと은지원ウンジウォンが25年ぶりに再会する姿が報じられ、6つの水晶は、まだ物語を続けている。


K-POP史における位置づけ

젝스키스ジェックスキスを語るとき、必ずセットで出てくるのがH.O.T.だ。

この2組がいたから、韓国の「アイドルファンダム」という文化が形になった。
公式カラーを決め、風船の色でファンダムを可視化し、事務所どうしが人気を競う。
今のK-POPの応援文化の”型”は、この双璧の時代に生まれた。

BTSのアーミーも、SEVENTEENのカラットも、その源流をたどれば、90年代の黄色い風船と白い風船の海に行き着く。
젝스키스ジェックスキスは、その片方の海をつくった張本人だ。

そしてもうひとつ。
젝스키스ジェックスキスは「解散したアイドルが、何年経っても戻れる」という前例をつくった。
絶頂で消えたグループが、16年後にまるごと帰ってきて、ちゃんと通用する。
神話(SHINHWA)が”解散しない”長寿を証明し、g.o.dが再結合の先例を示したのと並んで、젝스키스ジェックスキスは「16年の空白すら越えられる」ことを証明した。
この復活の物語は、後の多くの1세대セデ・2세대セデグループに希望を与えている。


韓国でのイメージ

韓国で젝스키스ジェックスキスは、「懐かしさ」そのものの記号だ。

「폼생폼사ポムセンポムサ」や「커플コプル」のイントロが鳴った瞬間、30代以上の韓国人はほぼ全員、当時の教室を思い出す。
それくらい、あの時代の空気と結びついている。
ゲームセンターのリズムゲーム「펌프ポンプ/ポンプ」の定番曲でもあったから、歌手を知らない世代の体にも、あのメロディは刻まれている。

面白いのは、メンバーそれぞれが、今も違う顔で愛されていることだ。
은지원ウンジウォン예능인イェヌンイン/バラエティの人」として。
고지용ゴジヨン
장수원ジャンスウォン
歌手としての젝스키스ジェックスキスを知らない若い世代も、メンバー個人のことは知っている。

そして何より、彼らは「초심을チョシンウル/チョシムウル 잃지イルジ 않은アンウン/初心を忘れない」グループとして敬われている。
16年ぶりに戻ってきても、ファンへの態度が当時のままだった。
黄色い風船を、ちゃんと覚えていた。
だから韓国のファンは、今も彼らを「우리ウリ 젝키ジェクキ/私たちのチェッキ」と呼ぶ。


ディスコグラフィー(主要作)

集 アルバム 年 TITLE曲 記事
1집チプ 학원별곡ハクウォンビョルゴク 1997 학원별곡ハクウォンビョルゴク 準備中
2집チプ Welcome To The Sechskies Land 1997 기사도ギサド 準備中
3집チプ Road Fighter 1998 Road Fighter 準備中
スペシャル3.5집チプ SechsKies Special 1998 커플コプル 準備中
4집チプ Com’ Back 1999 Com’ Back 準備中
5집チプ ANOTHER LIGHT 2017 특별해トゥクビョルヘ, 웃어줘ウッオジョ 準備中

余談

グループ名「젝스키스ジェックスキス」は、ドイツ語だ。
「Sechs(6)」+「Kies(水晶)」で「6つの水晶」。
ただし、実は文法的には少し崩れたドイツ語で、発音のインパクト重視の造語だった。
当時、英語じゃなくドイツ語から名前を取るのは、かなり尖った選択で、その読みづらささえ個性になっていた。

デュオになるはずが6人になった、というデビュー秘話も面白い。
もしH.O.T.があんなに売れていなかったら、젝스키스ジェックスキスは은지원ウンジウォンと강성훈ガンソンフンの2人組だったかもしれない。
ライバルの成功が、ライバルを6人組に変えた。
90年代韓国アイドルの狭さと濃さが、ここに詰まっている。

そして双璧とはいえ、SMとDSPは、じつは持ちつ持たれつだった。
ライバル構図があったからこそ両者とも人気が跳ね上がり、SMのイ・スマン社長が젝스키스ジェックスキスのマネージャーに食事をおごって労った、なんて逸話まで残っている。
本気で殴り合っていたのはファンだけで、大人たちは、案外わかり合っていたのかもしれない。


マルのひとこと

推しを選ぶ、というのは、たぶん人生で最初にする「自分で決めた重い選択」だ。

H.O.T.か、젝스키스ジェックスキスか。
その二択で友だちと本気で喧嘩した人が、韓国にはごまんといる。
くだらないと笑うのは簡単だけど、あれは、初めて何かを本気で好きになった記録でもある。

젝스키스ジェックスキスは、その熱を裏切らなかった。
3年で消えて、16年黙って、それでも戻ってきて、また黄色い風船の前に立った。
待っていた子どもたちは、もう大人になっていた。
それでも風船は、ちゃんと黄色いままだった。

うりぬん、その黄色をずっと覚えておきたい。

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