『9컷』を聴いた日。

K-HIPHOP

▶ アーティストページ:Giriboyと僕。

2020年12月23日リリース。
「9컷コッ/9カット」。
映画のワンシーンを切り取るように、9曲が並んでいる。
16分32秒という圧倒的な短さで、別れの9つのシーンを切り取った、ギリボイのバラード路線の完成形だ。

Just Music所属時代の8枚目のフルアルバム。
前作『치명적인チミョンジョギン 앨범3』でバラードへの転換を果たしたギリボイが、より洗練されたアプローチでロマンスと別れを描いた一枚。
Zion.T、Heize、THAMAという豪華な客演陣と共に、短編映画のような世界観を作り上げた。


目次

  • 作品概要
  • アルバムタイトルについて
  • アルバムの流れ
  • 各曲紹介
  • Zion.Tとの関係
  • 総評
  • THAMAについて
  • 16分という長さについて
  • 「연기ヨンギ(煙・演技)」の多義性
  • 「사랑이었나봐(愛だったみたい)」系譜
  • 「9컷」後のギリボイ
  • 個人的ランキング
  • ギリボイの比喩の発明
  • 「9컷」が教えてくれること
  • 마音에 남는ナムヌン 가사カサ(心に残る歌詞)
  • マルのひとこと

作品概要

項目 内容
発売日 2020年12月23日
形態 8thフルアルバム(全9曲)
ジャンル ヒップホップ / バラード / ボサノバ
所属 Just Music
タイトル曲 사랑이었나봐サランイオッナボァ(愛だったみたい)
客演 THAMA / Zion.T / Heize
収録時間 16分32秒

アルバムタイトルについて

「9カット」は映画・テレビの撮影用語で、9つのカット(シーン)を意味する。
1カット=1曲として、9つの別れのシーンを映画的に並べる。
このコンセプトが、アルバムの統一感を生んでいる。

映画は断片的なカットの積み重ねで感情を伝える。
音楽も、一曲一曲が断片的なシーンで、全体を通して一つの物語になる。
ギリボイはその類似性を「9カット」というタイトルで明示した。
「短編映画のサウンドトラック」として聴くと、このアルバムの完成度がさらによく見えてくる。

アルバムの流れ

コンセプトは「人はどこまで別れを繰り返せるのか」。
全9曲、ほぼ全編がラブソングと別れのテーマで統一されている。

「9컷(9カット)」というタイトルは、映画の撮影カットから来ている。
9つの別れのシーンを、9曲で切り取る。
総再生時間はわずか16分32秒。
コンパクトだが、それゆえに一息で聴ける濃さがある。

Zion.T、Heize、THAMAという豪華な客演陣。
後にZion.Tのレーベルに移籍するギリボイが、このアルバムですでに息が合っている。
特にZion.Tとのコラボは、後の移籍を予言するかのような親密さだ。

16分という短さは意図的なものだ。
予告編の長さ。
9つのカットが全部観られても、「もっと観たい」と思わせる。
その計算がギリボイのプロデュース力だ。

各曲紹介

01 사랑이었나봐サランイオッナボァ★タイトル曲

フィンガースタイルのギターが静かに鳴る中、過去の恋愛を「愛だったみたいだ」と振り返る。
確信ではなく、推測で語る、「みたい」という言葉に、ギリボイのラブソングの正直さが凝縮されている。

「愛だった」と断言できないのが、ギリボイの恋愛観の核心だ。
終わってから振り返って「あれは愛だったのかな」と思う。
その曖昧さは、弱さではなく正直さだ。
「愛だった」と言い切ってしまえば、何か大切なものが失われる気がする。
「みたい」という推量の助詞が、失った何かへの敬意のように機能している。

02 술없이는아무것도못하는놈スルオプイヌンアムゴッドモッハヌンノン feat. THAMA(酒なしでは何もできない奴)

かつての自分への自虐。
酒がないと何もできない、感情的な脆弱さを依存という形で正直に書く。
THAMAとの掛け合いが、その弱さをほんの少し笑えるものにしている。

このタイトルの長さも、ギリボイらしさのひとつだ。
「酒なしでは何もできない奴」という自己分析を、臆面なく曲名にしてしまう。
THAMAとのコラボで、自虐が共感へと変換される。
「それ、俺のことだ」と思える人間が、この地球上にどれだけいることか。

03 휴지ヒュジ(ティッシュ・休止)

「휴지ヒュジ」は「ティッシュ」でもあり「休止(ポーズ)」でもある。
加工したボーカルとギターエフェクトを使った実験的なトラック。
涙を拭くティッシュか、感情が止まる休止か、どちらにも読める。

「9カット」というアルバムの中で、このトラックだけが少し異質だ。
実験的なサウンドプロダクションが、感情の混乱を音で表現している。
ティッシュという日常品に、泣いた後の空虚さと、何かが「休止」してしまった感覚を重ねる。
この二重性が、ギリボイの言葉の使い方の面白さだ。

04 내자리ネジャリ feat. Zion.T(私の居場所)

ミニマルなピアノの上で、音楽キャリアへの率直な感情を内省的に語る。
Zion.Tとのコラボが実現したこの曲は、後の「Standard Friends移籍」という事実を知ってから聴くと、また違う重みを持つ。

Zion.Tは「Standard Friends」というレーベルを主宰するアーティストで、独自の音楽性で韓国音楽シーンに存在感を放ってきた。
ギリボイが後にそのレーベルに移籍することを考えると、この曲での共演は単なるコラボ以上の意味を持つ。
「私の居場所」というテーマを、後の師弟関係となる二人が歌う。
時間を超えて聴き返すと、まるで予言のように聞こえる一曲だ。

05 인터루드イントルドゥ(インターリュード)

インストゥルメンタルの幕間。
ここで一呼吸して、後半へ。
「9カット」という映画的なアルバムの中で、このインターリュードは「上映中断」のような役割を果たす。
前半の5つのカットを処理して、後半の4つのカットへ向かう準備をする時間だ。
わずかな時間の沈黙が、次のカットへの期待感を高める。

06 찰칵チャルカッ(パシャ)

ボサノバの影響を受けたサウンドに、恋愛の一瞬をシャッター音に例えた歌詞。
「찰칵チャルカッ」というシャッターの擬音語が、記憶を写真として残したいという気持ちを音で表している。

「9カット」という映画的なテーマの中に、写真的なトラックが入ることが面白い。
映画は動くカットで、写真は止まった瞬間。
「찰칵」はその「止まった瞬間」を音にした擬音語だ。
ボサノバの軽やかなリズムと、シャッター音の永遠性の組み合わせが、この曲を柔らかく詩的にしている。
アルバムの後半戦の中で最も「軽い呼吸」ができる一曲だ。

07 연기ヨンギ feat. Heize(煙・演技)

「연기ヨンギ」は「煙」でもあり「演技」でもある。
Heizeとのデュエットで描く、別れと感情の揺らぎ。
煙のように消えていくものか、演じていたものか、どちらの意味も成立する、重層的な一曲だ。
6집チプ(6枚目)に続きHeizeとのコラボがまた素晴らしい。

「연기ヨンギ」という韓国語の二重の意味を最大限に活かした歌詞が秀逸だ。
煙のように消えていく感情、あるいは愛していると演じていた関係。
Heizeの声はこの曖昧さを包み込むように温かく、ギリボイの声は乾いていて少し遠い。
ふたつの声が交差する瞬間に、「연기ヨンギ」という言葉の意味が揺れる。

08 라식ラシッ(レーシック)

視力矯正手術「レーシック」を比喩に使い、恋愛によって「見え方」が変わってしまうことを歌う。
こういう比喩のセンスが、ギリボイが「천재チョンジェ/天才」と言われる理由だ。

「レーシック手術を受けると、世界の見え方が変わる」。
恋愛もそれと同じで、誰かを好きになると、その人を通して世界が違って見える。
そして別れた後も、その「見え方」がなかなか元に戻らない。
医療行為を恋愛の比喩に使う発想は、ギリボイ以外の誰かが書ける歌詞ではない。
「레이저로 내 눈을 고쳐줘(レーザーで僕の目を直してくれ)」という一節の切なさ。

09 우리서로사랑하지는말자ウリソロサランハジヌンマルジャ(お互いに愛し合うのはやめよう)

「愛し合うのはやめよう」と言いながら、その提案自体が既に愛情の証拠だ。
踏み出せない、でも離れられない、その複雑さを長いタイトルに詰め込んだアルバムの締め曲。

「お互いに愛し合うのはやめよう」という言葉を、愛していない人が言うはずがない。
愛しているからこそ、「愛し合ってしまうのが怖い」と言う。
その矛盾が、このアルバム最後のカットだ。
「愛だったみたい」という始まりから「愛し合うのはやめよう」という終わりまで、9つのカットが別れの全体像を描き切っている。

Zion.Tとの関係

「내자리」でのZion.Tとのコラボは、単なる一つのフィーチャリング以上の意味を持つ。
Zion.TはStandard Friendsというレーベルを主宰し、独自の音楽性と美学を持つ韓国の重要なアーティストだ。
ギリボイは2023年にJust Musicを離れ、Standard Friendsに移籍する。

2020年の「9컷」での共演が、その後の移籍への伏線だったかどうかは定かでない。
しかし音楽的な親和性は明らかで、Zion.Tのミニマルで洗練されたアプローチは、ギリボイのバラード路線と非常に相性がいい。
「私の居場所」という曲を、後の「師匠」となる人物と歌っていたことに、後から気づく。

総評

16分32秒。
短い。
でもこの短さが、映画の予告編のような切れ味を生んでいる。

「愛だったみたい」から「愛し合うのはやめよう」まで、9曲が別れの9つのカットを切り取る。
ギリボイのバラード路線がここで完全に花開いた一枚だ。

「レーシック」「ティッシュ」「シャッター音」、日常の言葉を比喩として使う技術が、このアルバムで最も研ぎ澄まされている。
短いアルバムだから、無駄な一曲がない。
9つのカット全部が必要で、全部が意味を持っている。
16分で「別れ」の全体を見せてしまう、恐ろしい密度のアルバムだ。

THAMAについて

「술없이는아무것도못하는놈(酒なしでは何もできない奴)」でギリボイとコラボしたTHAMAは、韓国のR&Bシーンで活躍するアーティストだ。
柔らかいボーカルと、感情の機微を捉えた表現が持ち味で、ギリボイの自虐的な歌詞を「笑えるもの」に変換する温かさを持っている。
この曲でのTHAMAの貢献は、ギリボイの脆弱さを批判でも同情でもなく、「共感」として受け取ることにある。

16分という長さについて

「9컷(9カット)」の16分32秒という短さは、アルバムとしては珍しい。
一般的なフルアルバムは40分から60分が標準とされるが、ギリボイはこのアルバムで16分を選んだ。
それは「短編映画」のコンセプトを最後まで貫く決断だ。

短いアルバムは聴くハードルを下げる。
「時間がない」という言い訳ができない。
16分なら、通勤電車の中でも、昼休みの隙間でも、寝る前の10分でも聴ける。
そのアクセスのしやすさが、このアルバムを多くの人に届けた要因の一つだ。
長さの選択そのものが、このアルバムのメッセージだ。
「別れは16分で語れる」という、ある種の宣言だ。

「연기ヨンギ(煙・演技)」の多義性

「연기ヨンギ(ヨンギ)」という韓国語が持つ二重の意味について、もう少し掘り下げたい。
「煙(연기ヨンギ)」は視覚的なイメージで、消えていくもの、形を持たないもの、掴もうとしても掴めないもの。
「演技(연기ヨンギ)」は行為の偽りで、本当の感情ではなく演じていた感情。
この二つが同じ発音を持つことが、韓国語の詩的な力だ。

ギリボイとHeizeがこの曲で歌う「연기ヨンギ(ヨンギ)」は、聴く人によって異なる意味で届く。
「別れが煙のように消えていく」と聴く人もいれば、「二人の関係が演技だったかもしれない」と聴く人もいる。
その多義性を利用した作詞が、ギリボイの言葉の魔術だ。
Heizeとのデュエットで、その多義性が声の厚みとして重なっていく。

「사랑이었나봐(愛だったみたい)」系譜

ギリボイのラブソングの特徴として、「断言しない」ことが挙げられる。
「愛だったみたい」「愛なのかもしれない」「愛し合うのはやめよう」。
これらのタイトルはすべて、「愛している」という確信から一歩引いた場所から語られている。

この「一歩引いた場所」がギリボイのラブソングに独特の温度をもたらしている。
熱くなりすぎない、でも冷めているわけでもない。
確信がないからこそ、言葉が慎重で、その慎重さが誠実さに見える。
「애(愛)だったみたい」というアルバムのタイトル曲は、その「一歩引いた正直さ」の代表作だ。
Heize、THAMA、Zion.Tと共に、その正直さを16分で完璧に表現した。

「9컷」後のギリボイ

「9컷」の翌年2021年にリリースされた「avante」でも、ギリボイのバラード路線は続く。
しかし「9컷」の徹底的なコンパクトさから、「avante」は10曲のより幅広い構成に移行する。
「9カット」という映画的な制約から解放された次のアルバムは、より自由に広がっていく。

その変化の流れを追うことが、ギリボイというアーティストを理解する喜びだ。
一枚一枚が前作への応答であり、次作への種まきになっている。
「9컷」はその連鎖の中の完璧な一コマだ。
前後のアルバムと合わせて聴くことで、その完璧さがさらに輝く。

個人的ランキング

1位 연기ヨンギ feat. Heize
2位 사랑이었나봐サランイオッナボァ
3位 라식ラシッ

ギリボイの比喩の発明

「9컷(9カット)」に収録された曲のタイトルを見ていくと、ギリボイの比喩の選び方のユニークさが際立つ。
「술없이는아무것도못하는놈(酒なしでは何もできない奴)」の直接性、「휴지(ティッシュ・休止)」の二重性、「찰칵(パシャ)」の擬音語、「연기ヨンギ(煙・演技)」の多義性、「라식(レーシック)」の意外性。
これだけ多様な比喩が9曲に凝縮されている。

ギリボイが「天才」と呼ばれる理由の核は、この比喩の発明力にある。
誰もが知っている日常の言葉や物事を、感情の比喩として使う。
「レーシック」「ティッシュ」「シャッター音」「酒」。
これらは誰の日常にもあるものだが、ギリボイが歌うとそれが感情の器になる。
その変換の瞬間に、聴いている人は「なるほど」と膝を打つ。
その「なるほど感」がギリボイの音楽の中毒性だ。

「9컷」が教えてくれること

このアルバムを聴いて学べることがひとつあるとすれば、「短さは制約でなく選択だ」ということだ。
16分という短さで、ギリボイは「別れ」というテーマを完璧に描き切った。
それは能力の欠如ではなく、能力の証明だ。
何も削らずに長くするのは簡単だ。
本当に必要なものだけを残して短くするのは、はるかに難しい。

「9カット」というタイトルの通り、9つのシーンだけがある。
その前も後ろもなく、9つのカットだけが記録されている。
その余白が、聴く人に「前後」を想像させる。
「우리서로사랑하지는말자(お互いに愛し合うのはやめよう)」という最後のカットの後に、何があったかを想像するのは、聴く人の仕事だ。
音楽が言わないことを、聴く人が埋める。
それが「9컷」という名前のアルバムが持つ、映画的な余白だ。

마音에 남는ナムヌン 가사カサ(心に残る歌詞)

このアルバムの中で、特に心に残る歌詞をいくつか挙げたい。
「사랑이었나봐(愛だったみたい)」の「みたい」という一言。
確信ではなく推測で語る、その一語が、このアルバムの温度を決めている。

「라식(レーシック)」の「너로 인해 세상이セサンイ 달리 보여서(あなたのせいで世界の見え方が変わって)」という一節。
恋愛による認知の変化を「レーシック手術」と呼ぶことで、その変化の取り返しのつかなさが強調される。
手術は戻せない。
だから「レーシック」なのだ。

「연기ヨンギ(煙・演技)」でHeizeとギリボイが重ねる声の交差点。
どちらが「煙」で、どちらが「演技」なのか。
二つの声が交わる瞬間、その区別が溶けていく。
言葉の二重性が、二つの声の重なりでさらに深まる。
このアルバムの最高の瞬間だ。

マルのひとこと

「라식(レーシック)」という比喩を思いついた時点で、ギリボイはこの曲に勝っていた。
レーシック手術で見え方が変わるように、恋愛で世界の見え方が変わってしまうという感覚、僕も心当たりがありすぎて、初めて聴いた時に苦笑いしてしまった。
このアルバムを聴いてから、「ティッシュ(휴지)」も「シャッター音(찰칵)」も、もとの意味でだけ聴けなくなってしまった。
それがギリボイの魔術だ。
「9컷」という16分のアルバムが、僕の中では何十時間分もの感情を内包している。
それが短編映画の力で、このアルバムが映画的なコンセプトを選んだことの必然性だ。
16分のアルバムで、これだけの感情の旅ができる。
ギリボイだからできることだ。

「9컷」は2020年12月23日、クリスマス前に届けられた。
クリスマスという季節に「別れ」の音楽を届けるギリボイの感性が、また一つ彼らしい。
クリスマスに誰かといる人にも、ひとりでいる人にも、このアルバムの16分は等しく届く。
そして「연기ヨンギ(煙・演技)」のHeizeとの声が交差する瞬間は、その夜の何かを補ってくれる。
そういうアルバムだ。
年末に、静かに、一人で聴く16分のアルバムとして、僕は毎年このアルバムに戻ってくる。
「愛だったみたい」から「愛し合うのはやめよう」まで、9つのカットが終わるたびに、何かが少しだけ整理されていく気がする。
それがこのアルバムが持つ、静かな治癒力だ。
ギリボイが16分で作り上げた世界に、毎年12月に入り込む。
それが僕の「9컷」との付き合い方だ。
このアルバムを知らないギリボイファンはいないし、このアルバムだけ知っているという人もいる。
それほど独立した完成度を持つ一枚だ。
ギリボイのディスコグラフィーを知らない人に、まず「9컷(9カット)」を渡したい気持ちがある。
16分という入口の低さと、そこに詰まった感情の密度が、ギリボイとはどんなアーティストかを最もコンパクトに伝えてくれるからだ。
「愛だったみたい」という推測の言葉で始まり、「愛し合うのはやめよう」という矛盾した提案で終わる。
その9つのカットの旅が、ギリボイというアーティストへの最初の扉になる。
ぜひ、この16分を体験してほしい。
ギリボイのアルバムを一枚だけ選べと言われたら、多くのファンがこの名前を口にするだろう。
それだけ「9컷」はギリボイというアーティストの核心をついた作品だ。
音楽が映画になる瞬間を、このアルバムで何度も味わった。
16分で始まり、16分で終わるこの短編映画を、また今夜も観たいと思う。
別れを経験した後の人間が、どう感情を整理するか。
ギリボイは音楽という形式でその答えを提示する。
答えは人によって違うが、このアルバムがそのプロセスに寄り添ってくれることは確かだ。
感情を9つのカットに分けて眺め直す作業、それがこのアルバムとの対話だと僕は思っている。
何年経っても、このアルバムは新しい言葉でその時の感情を説明してくれる。
それがギリボイの、そして「9컷」の力だ。

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