韓国の音楽が「ヒップホップ」という言葉を覚えた、その最初の瞬間に、二人組がいた。
DEUX(듀스/デュス)。
キム・ソンジェと、イ・ヒョンド。
高校の同級生で、親友だった二人。
ソ・テジとアイドゥルが「時代を変えた」と語られるとき、必ずもう一組、同じ重さで名前が挙がるのがDEUXだ(▶ ソ・テジと僕。)。
アメリカで生まれたばかりの「ニュージャックスウィング」を持ち込み、ダンスのおまけだった”ラップ”を、本物のラップにした。
韓国に黒人音楽を根付かせた、まぎれもない開拓者。
活動期間は、たった2年あまり。
なのに、彼らが残したものは、今の韓国ヒップホップの土台そのものになっている。
そして、この物語には、続きがある。
2025年、28年ぶりに、DEUXがまた動き出した。
もう会えないはずの、あの声とともに。
目次
- 基本情報
- メンバー
- 始まり「현진영ヒョンジンヨン/ヒョン・ジニョン과グァ 와와ワワ/ヒョンジニョングァ ワワ」からの独立
- 韓国に、ヒップホップを”植えた”二人
- 代表曲が語るもの
- ニュージャックスウィングとは何か、DEUXがやったこと
- ライブとパフォーマンス – ステージの二人
- 解散、そして、突然の別れ
- イ・ヒョンド、”ミダスの手”へ
- 2025年、28年越しの再会
- 後輩たちの証言 – リスペクトは今も続く
- K-POP史における位置づけ
- 韓国でのイメージ
- ディスコグラフィー(主要作)
- 余談
- マルのひとこと
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| グループ名 | DEUX(듀스 ※フランス語で「2」 |
| メンバー | 김성재/キム・ソンジェ 이현도 |
| デビュー | 1993年(1集『DEUX』) |
| 活動期間 | 1993〜1995 (解散後も新プロジェクト進行中) |
| ジャンル | ヒップホップ / ニュージャックスウィング |
| 特記事項 | ソ・テジと並ぶ、韓国ヒップホップ 黒人音楽の開拓者 |
メンバー
김성재(キム・ソンジェ)|時代を先取りしたアイコン
グループの”顔”であり、イメージメイキングの全担当。
作詞作曲がイ・ヒョンドの役目なら、振付・衣装・スタイルはすべて彼の領域だった。
幼い頃から海外を転々とし、日本語も英語も堪能。
そして何より、90年代を代表する、本物のファッショニスタだった。
彼が自らコーディネートしたチェック柄の衣装は、当時カンナム一帯の服屋で飛ぶように売れたという。
이현도|音楽のすべてを作った頭脳
DEUXの楽曲を、ほぼ一人で作詞作曲・プロデュースした天才。
韓国語ラップで本格的に韻(ライム)を踏んだ、先駆者の一人。
そして後で詳しく書くが、DEUX解散後、彼はJinusean、룰라/ルーラ、유승준らを次々ヒットさせる、伝説の作曲家になる(▶ Jinuseanと僕。)。
二人は高校の同級生で、プラモデル好きという共通点で意気投合した、本物の親友だった。
始まり「현진영ヒョンジンヨン/ヒョン・ジニョン과グァ 와와ワワ/ヒョンジニョングァ ワワ」からの独立
DEUXの二人は、もともとデビュー前、歌手ヒョン・ジニョン(현진영)のバックダンサーチーム「와와」の2期メンバーだった。
(WaWaの1期は、後にクローンになるカン・ウォンレとク・ジュンヨプ)
そのヒョン・ジニョンの活動が止まったことで、二人は独立し、自分たちのグループを作ることを決める。
グループ名がなかなか決まらなかったとき、知り合いだった映画監督シン・サンオクの娘の提案で、フランス語で「2」を意味する「DEUX」を英語読みした「듀스
二人組だから、「2」。
シンプルで、強い名前だった。
韓国に、ヒップホップを”植えた”二人
1993年、DEUXは1集でデビューする。
彼らがやったことは、当時の韓国では衝撃だった。
1980年代後半にテディ・ライリーが生んだ「ニュージャックスウィング」を、そのまま韓国に持ち込んだのだ。
洗練された、都会的な黒人音楽。
バラードとロックしか知らなかった韓国の耳に、それは新しすぎた。
そして、ラップ。
当時の韓国で、ラップは「ダンス曲に添える、速くしゃべるおまけ」くらいに思われていた。
それを二人は、フロウを生かし、適切に韻を配置した「本物のラップ」として聴かせた。
今の僕らが思う”ラップらしいラップ”を、最初に韓国でやってのけた。
ソ・テジとアイドゥルが時代を変えたのと、まさに同じ時期。
この二組が、韓国大衆音楽に「ヒップホップ」というジャンルを根付かせた。
その実力は、後世の評価が証明している。
2集『DEUXISM』は、韓国大衆音楽の「100大名盤」で堂々の84位。
3集『FORCE DEUX』も、名盤として名を刻んでいる。
代表曲が語るもの
DEUXの楽曲は、アルバムを追うごとに確実に進化している。
どの曲も、今聴いても色あせない。
1集の「나를 돌아봐/私を振り返って」は、DEUXのデビュー曲だ。
ニュージャックスウィングらしい跳ねるビートに、韓国語のラップがすっと乗る、鮮烈な一曲。
当時の韓国のリスナーにとって、「こんな音楽があるのか」という驚きを最初に与えた曲だった。
今聴くと、30年以上前の音とは思えない都会的なセンスが、鮮やかに残っている。
そして2集の「우리는/私たちは」。
このサイト「うりぬん」の名前は、ここからヒントを得ている。
「우리는」というフレーズは韓国語で「私たちは」という意味で、DEUXの曲名であり、K-HIPHOPという「私たちの音楽」を扱うこのサイトのテーマとも重なる。
曲自体は、グルーヴ感とメッセージの両立が見事で、2集の中でも特に完成度が高い。
100大名盤に選ばれたのも、この2集だ。
2.5集(ミニアルバム)の「여름 안에서/夏の中で」は、DEUXの中でもとびきり特別な一曲だ。
まず、メロディーが抜群にキャッチーで、ラップパートとメロディーパートの絡み方が洗練されている。
そしてイ・ヒョンドの作曲センスが特に輝いた曲で、これ一曲だけで毎年夏に相当な著作権料が発生し続けているという。
韓国で「夏の名曲」といえば、30年経った今も必ずこの曲の名前が挙がる。
それが、本物の名曲ということだ。
3集の「굴레를 벗어나/しがらみを脱して」は、DEUXがロックやファンク的なアプローチに踏み込んだ意欲作だ。
歌詞も、自分たちの音楽への確信と反骨精神が滲んでいて、当時の韓国の画一的な音楽シーンへの挑戦状みたいな意味合いがある。
ヒップホップの「言いたいことを言う」精神を、韓国語で体現した曲として、後世のラッパーたちにも高く評価されている。
これだけの楽曲を、わずか2年あまりの活動期間に生み出した。
それだけで、DEUXが「天才」と呼ばれる理由は十分だ。
しかも、どの曲も当時の韓国では「前例がない」タイプの音だった。
参考にできる先輩がいない中で、自分たちだけで答えを出し続けた。
それが、DEUXの本当の凄さだと思う。
ニュージャックスウィングとは何か、DEUXがやったこと
DEUXを語るうえで、「ニュージャックスウィング」という言葉は避けて通れない。
でも、この言葉、実際には何を指しているのかを、あらためて整理しておきたい。
ニュージャックスウィングとは、1980年代後半にアメリカで生まれた音楽スタイルだ。
プロデューサーのテディ・ライリーが生み出し、マイケル・ジャクソン、ボビー・ブラウン、ガイ、ジョデシィらが体現した。
R&B(ソウル・ファンク)のメロディーラインに、ヒップホップのビートとラップを組み合わせた、ハイブリッドなサウンド。
踊れて、かっこよくて、韻も踏める。
その都会的な洗練さが、1990年代前半の韓国の若者に、強烈な衝撃を与えた。
DEUXの偉いところは、「それを持ってきた」だけじゃないことだ。
イ・ヒョンドは、テディ・ライリー的なプロダクションの文法を理解したうえで、韓国語にフィットするアレンジを自力で編み出した。
英語のラップは、音節の構造が韓国語と根本的に異なる。
英語で成立するフロウをそのまま韓国語に当てはめると、どこかぎこちなくなる。
それを、韓国語の音節の特性を生かした独自のフロウとして再構築したのが、イ・ヒョンドの仕事だった。
キム・ソンジェは、そのサウンドに合うビジュアルをゼロから作り上げた。
チェック柄のオーバーサイズな衣装、ドゥーラグ、逆さにかぶったキャップ、ゆったりしたシルエットのボトムス。
それまでの韓国のアイドルとは一線を画す、本場のヒップホップカルチャーのスタイルを、ソウルの街に持ち込んだ。
ファッション誌より先に、キム・ソンジェのステージが流行を作っていた。
サウンドとスタイル、両方を同時に革新する。
それが、DEUXというグループの本質だった。
だから「開拓者」と呼ばれる。
ただ”早かった”のではなく、やるべきことを全部やり切っていたのだ。
ライブとパフォーマンス – ステージの二人
DEUXの音楽を語るとき、レコードだけではなく、ステージを語らなければならない。
キム・ソンジェのパフォーマンスは、映像が今も残っていて、見れば一発でわかる。
彼は、ステージに立つと別人になった。
当時の韓国の歌番組でよく見られた「立ってマイクを持って歌う」スタイルとは、まるで違った。
全身を使い、空間を支配し、観客を引き込む。
ニュージャックスウィングの音楽に合わせた動きは、ダンスというより「全身で音を表現する」という印象だった。
ヒョン・ジニョンのバックダンサー出身だけのことはある、という評価は当時から高かった。
一方のイ・ヒョンドは、ステージよりも音楽制作の場で輝くタイプだった。
だが、二人がそろってステージに立つとき、その対比が化学反応を起こした。
動き回るキム・ソンジェと、落ち着いて音楽を支えるイ・ヒョンド。
二人のバランスが、DEUXの魅力の核心だった。
ラップデュオとして、それぞれの個性がぶつかり合うのではなく、補い合っていた。
そのかけ合わせが、DEUXというグループを「ユニット」から「化学反応」へと昇華させていた。
解散、そして、突然の別れ
1995年、DEUXは解散する。
ネガティブな別れではなかった。
イ・ヒョンドはプロデューサーへ、キム・ソンジェはエンターテイナーへ。
それぞれが、自分の専門の道を、もっと自由に進むための解散だった。
実際、ソンジェのソロ曲のプロデュースはイ・ヒョンドが担当する予定で、二人は形を変えて一緒に進むはずだった。
そして1995年11月、キム・ソンジェはソロデビュー曲「말하자면/言ってみれば」で、初めてのソロ舞台に立つ。
その、わずか翌日。
彼は宿泊先のホテルで、23歳の若さで、この世を去った。
その死は、今も完全には解明されていない。
韓国で長く語られる「疑問死」として、謎を残したまま、彼は逝ってしまった。
時代を先取りしすぎたアイコンが、これからという瞬間に、いなくなった。
DEUXの物語は、ここで、いったん止まる。
(※うりぬんは、この出来事の詳細には踏み込みません。
ただ、一人の若き才能が早すぎる別れを迎えた、その事実だけを、静かに記します)
イ・ヒョンド、”ミダスの手”へ
親友を失ったイ・ヒョンドは、しばらくアメリカに渡り、喪に服した。
そして彼は、立ち上がる。
自分が表に立つよりも、後輩たちの音楽を作る「プロデューサー」として。
ここからの彼の仕事が、とんでもない。
- 룰라 表絶論争で沈みかけたグループを、再起させた一曲
- そして、Jinuseanの1集(▶ Jinuseanと僕。)。
ヤン・ヒョンソクと共同プロデュースし、傾きかけたYGを救った - 유승준/ユ・スンジュン、엄정화/オム・ジョンファ、김범수/キム・ボンス、휘성/ヒィソン…
彼が手がけた曲は、次々と1位を獲った。
「ミダスの手(마이더스의 손/マイドスエ ソン)」と呼ばれた。
つまり、DEUXで撒かれたニュージャックスウィングの種は、イ・ヒョンドを通じて、Jinusean(YG)へ、そして韓国ポップスの隅々へと、広がっていったのだ。
DEUXは、終わっていなかった。
形を変えて、シーン全体に流れ込んでいた。
2025年、28年越しの再会
そして、2025年11月27日。
信じられないニュースが流れた。
DEUXが、28年ぶりの新曲「Rise」を発表したのだ。
どうやって?
イ・ヒョンドは、AIの技術で、亡きキム・ソンジェの声を復元した。
声のAI専門会社と組み、ソンジェの声色や質感を、もう一度よみがえらせた。
サウンドは、もちろんDEUXの代名詞、ニュージャックスウィング。
イ・ヒョンドは、こう語っている。
「亡き성재と、また一緒に作業しているような気分だった」。
そしてこの「Rise」は、フルアルバム。
ずっと作れなかったDEUXの4集の、始まりの一曲だという。
4集は、2026年に世に出る予定だ。
30年近く前に止まった物語を、親友が、テクノロジーの力で、もう一度動かそうとしている。
「もし1990年代の終わりに、DEUXの4集が出ていたら?」
その”if”を、本当に形にしようとしている。
これは、ただの懐古でも、ただの話題作りでもない。
親友との、約束の続きだ。
後輩たちの証言 – リスペクトは今も続く
DEUXへのリスペクトは、亡くなってからも、世代を超えて続いている。
それがどれほど本物かを、後輩たちの言葉が証明している。
ZICOは、キム・ソンジェを「韓国最初のSWAG」と公言した。
SWAGとは、ただのかっこよさではない。
自分だけのスタイルを持ち、それをブレずに体現する、本物の自己表現のことだ。
ZICOの目には、30年前のキム・ソンジェが、今のヒップホップの基準で見ても「本物」だと映っている。
RAINもロールモデルとして名を挙げ、BTSは追悼ステージを捧げた。
韓国を代表するエンターテイナーたちが、口を揃えてキム・ソンジェの名前を出す。
その事実が、DEUXの影響力の深さを、何よりも雄弁に物語っている。
そして、こうしたリスペクトの連鎖は、ただの懐古趣味ではない。
現在進行形のK-POPアーティストたちが、自分たちの音楽のルーツとして、DEUXの名前を挙げる。
それは、韓国ポップスの歴史の中で、DEUXが「起点」の一つだということを、業界全体が認識しているということだ。
どんなに時代が変わっても、誰かが必ずDEUXを語り継ぐ。
本物の影響力というのは、そういうものだと思う。
K-POP史における位置づけ
DEUXの功績は、ソ・テジと並ぶ「韓国ヒップホップの開拓者」であること。
これに尽きる。
ニュージャックスウィング、ファンク、そして本物のラップ。
韓国の耳に馴染みのなかった黒人音楽を、大衆のものに翻訳した。
2000年代にヒップホップが韓国の主流になっていくにつれ、彼らの「時代を先取りした音楽」の評価は、どんどん上がり続けている。
そしてもう一つ。
イ・ヒョンドという稀代のプロデューサーを残したこと。
彼がいなければ、Jinuseanも、その先のYGの隆盛も、形が違っていたかもしれない。
ソ・テジが「カリスマ」として時代を変えたなら、DEUXは「職人」として、ヒップホップを地道に根付かせた。
韓国ヒップホップの族譜(ファミリーツリー)は、ここから始まっている。
その族譜は、今も枝を伸ばし続けている。
DEUXという名前を知らない世代のアーティストたちも、その枝の先にいる。
韓国でのイメージ
韓国でDEUXは、「90年代そのもの」「時代を先取りしすぎた伝説」として記憶されている。
キム・ソンジェのファッションとダンスは、今のアイドルが見ても古びない。
ジコ(ZICO)は彼を「韓国最初のSWAG」と呼んで尊敬を公言し、ピ(RAIN)も彼をロールモデルに挙げる。
BTSが追悼ステージを捧げたこともある。
世代を超えて、後輩たちがリスペクトを捧げ続ける。
それが、DEUXという存在の大きさだ。
そして2025年のAI復活は、その伝説に、思いがけない”続き”をくれた。
30年という時間を超えて、DEUXはまだ動いている。
それ自体が、彼らの音楽が持つ普遍性の証明だと思う。
ディスコグラフィー(主要作)
| 集 | タイトル | 年 | 特記 | 記事 |
|---|---|---|---|---|
| 1집 | DEUX | 1993 | デビュー・「나를 돌아봐」 | 準備中 |
| 2집 | DEUXISM | 1993 | 「우리는」100大名盤84位 | 準備中 |
| 2.5집 | RHYTHM LIGHT BEAT BLACK | 1994 | 「여름/ヨルム 안에서」 | 準備中 |
| 3집 | FORCE DEUX | 1995 | 「굴레를 벗어나」100大名盤 | 準備中 |
| ベスト | DEUX FOREVER | 1997 | 「사랑, 두려움/ドゥリョウム」最後の曲 | 準備中 |
| 4집 | (制作中) | 2025〜 | 「Rise」AIで復活 | 準備中 |
余談
DEUXの夏の名曲「여름 안에서/ヨルン アネソ(夏の中で)」は、今も毎年夏になると流れる定番。
作者のイ・ヒョンドには、この一曲だけで毎年夏に相当な著作権料が入るという。
時代を超える曲、というのはこういうことだ。
韓国で「夏の歌」を10曲選べと言われたら、必ずこれが入る。
30年経っても夏になると流れてくる。
それが本物の名曲の証明だ。
キム・ソンジェは、後にDIVAでブレイクする「ジニ」を、ニューヨークで見出した張本人。
踊れる子を一目で見抜く、その目利きもまた一流だった。
(▶ DIVA記事もいずれ、うりぬんで)
才能を見つける才能もまた、天才の証だと思う。
最後の曲「사랑, 두려움ラップを重ねて完成させたもの。
活動もないのに、40万枚を売った。
マルのひとこと
「時代を先取りする」って、よく褒め言葉で使われる。
でも本当は、すごく寂しい言葉でもある。
誰も追いついてくれない場所に、一人で立つことだから。
DEUXは、まさにそれだった。
1993年に、誰も分かってくれないヒップホップを鳴らして、20年後にやっと「あれは正解だった」と言われる。
僕がこの二人で一番グッとくるのは、イ・ヒョンドのことだ。
親友を失って、表舞台から退いて、それでも裏方として、韓国の音楽を支え続けた。
Jinuseanも、룰라も、全部この人の手から出ている。
派手じゃない。
でも、いなかったら今がない。
そして2025年。
彼は、AIで親友の声を呼び戻して、ずっと作れなかった4枚目を作り始めた。
「また一緒に作業してる気分だった」。
この一言に、30年分の友情が詰まってる。
AIで声を復元は賛否両論あるけれども。
会えなくなった人と、もう一度音楽を作る。
それが切ないのか、あたたかいのか、僕にはまだうまく言えない。
ハジマン、
うりぬん、その続きを、聴いてみたいと思う。



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