▶ アーティストページ:Epik High
タブロはRolling Stoneのインタビューでこう語った。
「いちごは甘くて赤く、外から見ると完璧に見えるが、中は空洞で脆い。
それが今の俺たちの状態に似ている」。
EP「Strawberry」は、そういうアルバムだ。
2023年にリリースされた「Strawberry」は、エピカイの短編作品として、長編の「Epik High Is Here」二部作とは異なる空気を持っている。
コンパクトな収録曲の中に、「完璧に見えるが、中は脆い」というテーマが一貫して流れている。
HwaSa、Jackson Wangという国際的なアーティストを迎えたことで、エピカイの声がより広いリスナーに届く設計になっている。
「Strawberry」というタイトルが示す逆説は、このEPに収められた曲々に共通するテーマだ。
外から見ると成功しているように見える。
達成があり、名誉があり、認められている。
しかしその内側には、公には見えない脆さと空洞がある。
エピカイはその脆さを隠さず、むしろそれを誇りとして音楽にした。
【目次】
1. アルバム概要
2. リリース背景
3. 収録曲解説
4. アルバムの意義と評価
5. マルのひとこと
アルバム概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| アーティスト | Epik High (エピカイ) |
| アルバムタイトル | Strawberry |
| リリース年 | 2023年 |
| レーベル | HYBE / Big Hit Music |
| 収録形式 | EP (ミニアルバム) |
| 主なフィーチャリング | HwaSa、Jackson Wang |
| プロデュース | Tablo、Mithra Jin、DJ Tukuyo |
リリース背景
「Epik High Is Here」二部作の翌年にリリースされた「Strawberry」は、エピカイにとってより軽やかな実験の場として機能している。
二部作という大きなプロジェクトを終えた後、より凝縮された形式でメッセージを届けるEPは、長編映画の後に撮られた短編フィルムのような位置付けだ。
テーマは変わらず深いが、形式はよりシャープだ。
HwaSaとJackson Wangという、それぞれ異なる文化的文脈を持つアーティストとのコラボレーションは、このEPを単なる韓国音楽の枠を超えた作品にしている。
HwaSaはMamamooのメンバーとして韓国のエンターテインメント業界で独自の地位を築いてきたアーティストだ。
彼女はプロデビュー以来、セクシーかつ個性的なステージングで既存のアイドルのイメージを壊してきた。
Jackson WangはGOT7のメンバーとして活動しながら、中国・香港のリスナーにも強い影響力を持つグローバルなアーティストだ。
エピカイが「Strawberry」というコンセプトに、こういう二人を呼んだことには必然性がある。
タブロがRolling Stoneのインタビューでこのメタファーを語った背景には、エピカイ自身がキャリアの中で積み上げてきた「外から見た成功」と「内側の複雑さ」のギャップがある。
二十年のキャリア、タジンヨ事件、YGからHYBEへの移籍。
様々な転換点を経て、エピカイは「いちご」という小さな果物に自分たちの姿を見出した。
甘く美しいが、その内側は空洞で脆い。
その正直な自己認識が、このEPを表面的な作品に終わらせない力を与えている。
EPという短い形式は、エピカイにとって新しい創作の自由をもたらした。
フルアルバムでは担わなければならない「全体的な物語構造」という重さがない分、一曲一曲がより自由に発展できる。
「Strawberry」の収録曲はどれも、EPという器に収まることで本来の姿を発揮できている。
コンパクトさが欠如ではなく強みになっている、稀有な作品だ。
収録曲解説
Catch feat. HwaSa (ファサ)
「Catch」はHwaSaとの曲だ。
「どれだけ追いかけても、俺たちには追いつけない」という宣言。
タブロは歌詞の中で「俺のMBTIはIDGAF(どうでもいい)タイプだ」と、韓国人が熱中するMBTI診断を笑い飛ばす。
Mamamooとして自身もバッシング文化と戦ってきたHwaSa。
タブロは「この歌詞を生きている人が必要だった。
それがHwaSaだった」と語っている。
「捕まえられない」という言葉を、体で生きてきた二人の曲だ。
「Catch」というタイトルは逆説的だ。
誰かが「捕まえよう」とするから「捕まえられない」という状態が生まれる。
批判、レッテル、社会的な定義付け。
それらすべてを「お前には捕まえられない」という一言で蹴散らす。
HwaSaのパワフルな声とエピカイのラップが合わさることで、その宣言に揺るがない説得力が生まれる。
MBTIというポップカルチャーの言語を使いながら、それを「IDGAFタイプ」という造語で笑い飛ばすユーモアは、タブロのリリックセンスの真骨頂だ。
深刻なメッセージを、軽やかに、しかし確実に届ける能力。
「Catch」はその技術の結晶だと思う。
MBTIで人間を分類しようとする社会への批評が、「どうでもいい」という一言に凝縮されている。
HwaSaの起用について、タブロはいくつかのインタビューで詳しく語っている。
HwaSaはMamamooとして、また個人として、韓国のエンターテインメント業界で様々な圧力を受けながらも自分のスタイルを貫いてきたアーティストだ。
彼女のステージングや発言は常に「型を破る」ことで話題を呼んできた。
そのHwaSaが「捕まえられない」と歌うことの説得力は、歌詞の言葉を超えたリアルさを持っている。
二人のアーティストが声を重ねるとき、それぞれの経験が音楽に厚みをもたらす。
On My Way feat. Jackson Wang (ジャクソン・ワン)
「On My Way」はJackson Wangとのコラボだ。
Jackson Wangはこう歌う。
「Please baby can you gimme room to breathe / You don’t know what it feels like to be me」。
お願い、少し息のできる空間をくれ。
俺の気持ちは誰にもわからない。
エピカイはそこに乗せる。
「In the end, parting is something that can’t be avoided / Birth becomes death」。
結局、別れは避けられない。
誕生はいつか死となる。
「自由になりたい」という個人の叫びに、「それでも前に向かうしかない」という不変の真理を重ねる構造だ。
外から見ると完璧に見えるが、中は空洞で脆い。
「Strawberry」の名前に込めた言葉が、ここでも響く。
GOT7のメンバーとしての成功、ソロとしての活動、様々な文化間での活動。
Jackson Wangが「息のできる空間」を求める叫びは、成功の重圧という普遍的なテーマと共鳴する。
英語と韓国語が混在するこの曲は、K-POPとヒップホップの間に立つエピカイのポジションを自然に体現している。
どちらの言語でも語れる、どちらの文脈でも伝えられる。
その越境性が、「On My Way」という曲に国境を越えた普遍性を与えている。
Jackson Wangが国際的に活躍するアーティストとして感じる「どこにも属せない感覚」と、タブロが韓国の音楽シーンで感じてきた孤独感が、この曲の中で奇妙に共鳴する。
「On My Way」のプロダクションは、R&Bとヒップホップの中間に位置するサウンドで、Jackson Wangのボーカルスタイルとエピカイのラップを自然に橋渡しする。
このトラックのサウンドデザインは、国際共作ならではの柔軟さを示している。
特定の市場に特化するのではなく、どこにでも届きうる音楽を作る。
それがエピカイとJackson Wangが共有するアプローチだ。
Strawberry (タイトルトラック)
EPのタイトルトラックとなるこの曲は、いちごのメタファーを最も直接的に音楽化したものだ。
甘くて赤く、外から見ると完璧に見えるが、内側は空洞で脆い。
その矛盾を正直に歌うことで、「完璧に見せること」への社会的圧力そのものを問い直す。
タブロとミスラ・ジンのコントラストが、この曲でも明確だ。
タブロの詩的で内省的なラップと、ミスラ・ジンのより直接的なフロウが、同じいちごの別々の側面を照らし出す。
一方は内側の脆さを詩として語り、もう一方はその脆さをバッジとして掲げる。
その対話が「Strawberry」というEP全体のテーマを支えている。
サウンドプロダクションはEP全体で最もポップに近い設計で、重いテーマを重い音楽で表現しないというエピカイの方法論が活かされている。
聴きやすい音楽の中に、耳を傾ける価値のある言葉が仕込まれている。
それがエピカイの、二十年変わらぬ強みだ。
ポップとしての間口を維持しながら、内容に深度を与える技術は一朝一夕には身につかない。
EPのその他の楽曲とコンセプトの深化
「Strawberry」EPの各トラックには、いちごのメタファーが様々な角度から照射されている。
「甘さ」と「脆さ」という二項対立は、単なる成功と失敗の話ではない。
成功した状態においても存在する「脆さ」、それを認識することの誠実さがこのEPのコアにある。
エピカイがこのEPで問いかけているのは、「本当の強さとは何か」という問いだ。
外から見て「強そう」に見えることが強さではない。
内側の脆さを知りながら、それでも前に進むことが強さだ。
そのテーマは、HwaSaの「捕まえられない」という宣言にも、Jackson Wangの「息のできる空間をくれ」という叫びにも、共通して流れている。
短編作品であるがゆえに、「Strawberry」は一聴するだけでは全てを語り尽くさない。
繰り返し聴くたびに、いちごというメタファーの新しい側面が見えてくる。
外側の赤い美しさ、中の空洞、そして噛んだときの甘さ。
それらが「表層的な成功」「内側の虚無」「それでも感じる喜び」に対応している。
三層の意味が、コンパクトな楽曲群に詰め込まれている。
アルバムの意義と評価
「Strawberry」は、エピカイのキャリアにおいて「副章」のような位置を占める作品だ。
フルアルバムほどの規模はないが、「いちごの中は空洞で脆い」というメタファーに凝縮されたテーマは、他の作品に負けない深さを持っている。
HwaSaとJackson Wangというゲストの選択は、このEPの「見えない脆さ」というテーマを補強している。
韓国エンターテインメント業界で様々な圧力と戦いながら自分のスタイルを守ってきたHwaSa。
国際的な成功を収めながら自分のアイデンティティを問い続けるJackson Wang。
エピカイとの共演は、それぞれの「完璧に見えるが脆い」という経験を重ね合わせる。
韓国語ヒップホップの世界で生き続けてきたエピカイが、二十年後も同じ問いを立て続けているということ。
「内側の脆さを誇りにできるか」という問いは、2003年にも2023年にも変わらず有効だ。
「Strawberry」は小さなEPだが、その問いの普遍性においては、フルアルバムに引けを取らない。
また、Rolling Stoneでのインタビューが示すように、「Strawberry」は単なる音楽作品にとどまらず、エピカイのセルフ・ナラティブの一部でもある。
自分たちをいちごに例えるという行為は、ユーモアと自己批評が同居するタブロのリリックスタイルの延長だ。
笑いながら傷を見せる。
それがエピカイの二十年間の方法論だった。
「Strawberry」は「Epik High Is Here」二部作という大きな物語の後に来る、より小さくて正直な作品だ。
大きな物語を語り終えた後、静かに「でも俺たちはこういう状態だよ」と告白するような位置付けにある。
宣言や総括ではなく、今の自分たちの正直な姿を見せることへの勇気が、このEPには込められている。
エピカイが国際的なコラボレーターを積極的に迎えるようになったのも、HYBEというプラットフォームが持つグローバルなネットワークの恩恵だろう。
しかし単にプラットフォームの恩恵を受けているだけでなく、エピカイ自身が「グローバルな文脈で語れるテーマ」を持っているからこそ、HwaSaやJackson Wangとのコラボレーションが成立する。
「成功の脆さ」というテーマは、国や言語を超えて共感を生む普遍的なテーマだ。
韓国音楽批評においても、「Strawberry」は「Epik High Is Here」のトーンをより親密で人間的なスケールで継続する作品として評価された。
長大な二部作の後に来る短編として、このEPは完璧なポジションにある。
大きすぎず、小さすぎず、必要なことだけを語る。
エピカイのキャリアの中で、「Strawberry」はその「ちょうど良さ」において他に替えがたい一作だ。
「Strawberry」と現代の成功文化
「Strawberry」というEPのテーマは、2023年の現代社会と深く共鳴している。
SNSの普及により、誰もが「完璧に見える自分」を演出する時代。
インスタグラムに並ぶ美しい写真の裏側にある、リアルな生活の複雑さ。
「外から見ると完璧だが、中は空洞で脆い」といういちごのメタファーは、SNS文化への批評でもある。
エピカイが特にK-POPの文脈でこのメタファーを使うことには、さらなる皮肉がある。
K-POPのアーティストたちは、完璧に磨かれたイメージを世界に向けて発信することを要求される。
その「いちごのような美しさ」の内側には、デビュー前の厳しいトレーニング、プライバシーの欠如、常に監視される生活がある。
タブロはそのことを、長年の韓国芸能界の観察者として語っている。
HwaSaもJackson Wangも、こういったK-POPの構造と向き合ってきたアーティストだ。
HwaSaはMamamooというグループの一員として、セクシーで個性的なステージングで「アイドルらしくない」という批判を受けながら自分のスタイルを貫いてきた。
Jackson Wangは中国・香港・韓国という複数の市場で活動しながら、「どこにも完全には属さない」という感覚と向き合ってきた。
二人のアーティストが持つそれぞれの「外は完璧だが中は脆い」という経験が、「Strawberry」というEPに集約されている。
このEPがローリング・ストーン誌にフィーチャーされたことも重要だ。
韓国語の音楽作品が、英語圏の主要音楽メディアで本格的に取り上げられるようになったことを示している。
BTSがその道を開いたとすれば、エピカイのような長年のアーティストがその流れに乗って国際的な注目を集めることは、韓国音楽全体への敬意を示すものだ。
「Strawberry」は、K-POPの国際化の恩恵を受けながら、その国際化に批評的なまなざしを向けるという複雑な位置に立っている。
EPという形式の持つ強みが「Strawberry」では最大限に活かされている。
フルアルバムのような構造的な重さがないため、各曲がより自由に輝く。
「Catch」の宣言、「On My Way」の問いかけ、「Strawberry」のメタファー。
それぞれが独立した詩として機能しながら、「いちごのような存在」というテーマでゆるやかに結ばれている。
テーマの一貫性と各曲の独立性が、このEPを完成度の高い短編集として成立させている。
「Strawberry」が問いかける成功と脆さの関係
いちごという果物が持つメタファーは、現代の成功文化に対する鋭い問いを含んでいる。
SNSで発信される「完璧な生活」や「成功者の日常」は、いちごのように見た目が美しい。
しかし近づいて触れてみると、その表面は意外なほど傷つきやすく、時間が経てばすぐに傷む。
タブロがいちごをアルバムの中心的なイメージに選んだのは、そのような現代的な虚像への疑問があったからだと思われる。
「完璧に見えること」と「本当に強いこと」は同じではない、という洞察が全編を貫いている。
ファサ(MAMAMOO)とジャクソン・ワン(GOT7)というゲストの選択は、このテーマを強化している。
どちらも「成功した」アーティストでありながら、その成功の重さや代償について公に語ることを恐れない人物だ。
ファサは自身の病気や困難を隠さず、ジャクソンは国際的な活動の孤独を語ってきた。
そのような人物たちが「いちごのような脆さ」というテーマで集まったとき、曲の言葉に特別な重みが生まれる。
経験から来た言葉は、表面的な強がりとは全く異なる響きを持つ。
EPという形式を選んだことも重要だ。
フルアルバムとシングルの中間にあるEPは、アーティストが「言いたいことは明確にあるが、それほど大きな器は必要ない」と判断したときに選ばれる。
「Strawberry」の4〜5曲という構成は、いちごのような小ぶりな完成度を体現している。
一口で食べられる大きさの中に、凝縮された甘さと少しの酸味がある。
そのコンパクトさが、アルバムとして聴いたときの充実感を高めている。
「Epik High Is Here」二部作で大きなキャンバスに描いた後、小さな形式を選んだことにも意味がある。
エピカイはその時々に応じた規模で語ることができる。
二部作は長い沈黙の後の全力の叫びであり、「Strawberry」は日常の中でふと感じた洞察を静かに手渡すような作品だ。
大きな声でも小さな声でも、本質的なことを語れるアーティストはそう多くない。
「Strawberry」がリリースされた2023年は、韓国の音楽市場が世界規模での競争にさらされていた時期だ。
K-POPグループが次々とビルボードやグラミーを意識した楽曲を発表する中、エピカイは自分たちのペースで小さなEPを届けた。
その潔さが、かえってリスナーから「エピカイらしい」という評価を受けた。
流行に乗ることよりも、自分たちが感じていることを正直に表現することを選ぶ姿勢は、「99」の頃から変わっていない。
いちごのような脆さを認めながら、それでも美しくあろうとする意志が、このEPには込められている。
そしてその姿勢こそが、エピカイを長年にわたって特別な存在にしてきたものだ。
マルのひとこと
「いちごは外から見ると完璧に見えるが、中は空洞で脆い」というタブロの言葉を読んで、自分のことを言われているような気がした。
エピカイが二十年間、その脆さを隠さずに音楽にしてきたことが、僕にはずっと救いになっている。
このアルバムを聴くと、エピカイの音楽がいかに時代を超えているかを痛感する。
そのサウンドは今なお輝きを失わない。


