K-HIPHOPを語るとき、たいてい人々は2000年代以降の話から始める。
Epik HighだとかDynamic Duoだとか、そういう名前が出てくるわけだ。
でも待ってほしい。
その前に、誰かが「インターネット」という荒野に一人で立ってラップを撃ち込んでいた。
1998年、まだ「ストリーミング」なんて言葉すら存在しない時代に、PC通信のダウンロードフォルダから這い出してきた男がいた。
조PD (チョPD)、本名・조중훈 (チョ・ジュンフン)。
韓国ヒップホップの最初期、そのど真ん中に立っていた人物だ。
スター性、プロデュース力、そしてアングラとメインストリームを同時に泳ぎ切る異様な嗅覚。
PSY、버벌진트 (Verbal Jint)、도끼 (Dok2) といった後の巨人たちを発掘した目利きでもある。
要するに、今の韓国ヒップホップの地図を最初に描いた男の一人、それが조PD だ。
日本で言えば、インターネット黎明期に個人サイトでデモ音源を配布し続け、それが爆発的に広まって気づいたらメジャーデビューしていた、という感覚に近いかもしれない。
でも조PD の場合、そこから先が桁違いだった。
ただヒットしただけじゃない。
レーベルを作り、後進を育て、K-HIPHOPというジャンルそのものの土台を整備していった。
一人のラッパーが、産業ごとデザインしてしまったわけだ。
そういう人間の話を、今日は丁寧にしていきたいと思う。
目次
- プロフィール
- 主要ディスコグラフィー
- インターネットから生まれたラッパー
- スタイルと声、그리고 怒り
- スタードム帝国、その建設
- PSY、Verbal Jint、Dok2 발굴의 천재
- 2010年代以降の조PD
- マルのひとこと
プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 조중훈 (チョ・ジュンフン) |
| 活動名 | 조PD / ZoPD / ChoPD |
| 生年月日 | 1976年1月27日 |
| 出身 | 韓国・釜山広域市 |
| ジャンル | ヒップホップ、オルタナティブ・ヒップホップ |
| 職業 | ラッパー、プロデューサー、レーベルオーナー |
| 所属レーベル | Stardom Entertainment (창업자) |
| デビュー | 1998年 (PC通信でのインターネットデビュー) |
| 正式デビュー | 1999年1月、1stアルバム「In Stardom」 |
主要ディスコグラフィー
| 年 | タイトル | 備考 |
|---|---|---|
| 1999 | In Stardom | 正式デビューアルバム、インターネット配布から生まれた1枚 |
| 1999 | In Stardom Version 2.0 | 1集の拡張版、ほぼ同年にリリース |
| 2000 | ChoPD.Net / Best In East | チャート首位を続ける怒涛の時期 |
| 2001 | Stardom in Future Flow | レーベルとの一体化、スタードム全盛期 |
| 2004 | Great Expectation ChoPD Pt.1: Politics And Social Change | 社会批評色が濃い2部作の前編 |
| 2004 | Great Expectation ChoPD Pt.2: Love And Life | 2部作後編、愛と生活をテーマに |
| 2005 | Brooklyn Mix Tape Vol.1 | NY・ブルックリンの匂いを持ち込んだ意欲作 |
| 2006 | Hold The Line (with Brown Eyed Girls) | コラボ作、ブラウンアイドガールズとの異種格闘技 |
| 2007 | Money Talks | ストリート色の強い作品 |
| 2011 | State of the Art | 2010年の引退宣言から復帰後の1作目 |
| 2011 | Art of Business | 同年連続リリース、プロデューサーとしての自意識が強く出た |
インターネットから生まれたラッパー
1998年、韓国の「PC통신 (ピーシー通신)」というシステムがあった。
日本で言えばニフティサーブやPC-VANみたいなもの、そう、インターネット前夜の掲示板文化だ。
そこに조PD は自分で作ったラップの音源をアップロードし始めた。
顔も出さない、レーベルもない、ただ音源だけが存在する男。
いわゆる「사이버 가수 (サイバー歌手)」の走りである。
この時代の感覚を今の人間に説明するのは難しい。
YouTubeもSoundCloudも存在しない世界で、ダウンロードに数十分かかるWAVファイルを人々は待ち続けた。
それでも広まった。
口コミが口コミを呼び、BBS上の투고 (投稿) が何万回とコピーされた。
今で言うバイラルヒット、でも回線速度は56kbpsだ。
そういう時代に、조PD の音楽は火がついた。
1999年1月、正式デビューアルバム「In Stardom」がリリースされる。
これが韓国の音楽チャートで首位を獲得した。
インターネット発の音楽がメインストリームを席巻する、という事件が起きた瞬間だ。
そこから先は坂道を転がる石のように、リリースするたびにチャートを塗り替えていった。
1999年8月の2集も同様に首位。
「新人賞」「人気賞」「大賞」を総なめにした、という記録が残っている。
普通じゃない。
全然普通じゃない。
もっと重要なのは、조PD がこのデビューで何を証明したか、ということだ。
音楽業界にレーベルを通さなくてもスターになれる。
インターネットという場所は、才能と根性があれば出口になる。
1998年の韓国にそういうことを体で示した人間が、조PD だった。
これは単純に「インターネット先進的だった人」という話ではない。
アングラ、つまりK-HIPHOPという文化そのものが持っていた「既存の業界に頼らなくていい」という精神を、最初に大きな声で叫んだ存在だったということだ。
当時の韓国音楽業界は、大手レーベルとテレビ局が強固に結びついた構造の中にあった。
SM Entertainmentや DSP Mediaといった会社がアイドルシステムを構築し始めていた時代だ。
その中でヒップホップという音楽は「辺境」に追いやられていた。
テレビで流れない、ラジオでもかかりにくい、若者文化の中でもマイノリティだった。
そこに조PD はインターネットという「裏口」から侵入した。
大手の扉を叩かなかった。
最初から別のルートで市場を作ってしまった。
これはただのラッキーな話ではなく、시대를 읽는 눈 (時代を読む目) があった、ということだ。
スタイルと声、그리고 怒り
조PD の音楽を初めて聴いたとき、まず声に圧倒される。
低く、くぐもっていて、ガレージの匂いがする。
日本で言えば、スタジオの防音も微妙なアパートの一室で録音したような、あの「生々しさ」だ。
でも그 거칠음 (その荒々しさ) は弱さではなく、武器だった。
ラップのスタイルは「가라지 힙합 (ガレージ・ヒップホップ)」と形容されることが多い。
洗練を嫌い、むしろ粗を前面に出す。
歌詞は社会批評、政治、街の現実、それと愛の話が入り乱れる。
特に2004年の「Great Expectation」2部作は、その傾向が強く出た作品として知られている。
Pt.1が「政治と社会変革」、Pt.2が「愛と生活」というテーマで2枚同時に発表するという、今でいえばダブルアルバム的な野心的なプロジェクトだった。
怒りについて少し話したい。
조PD の音楽を聴き込むと、そこには一貫した怒りの感情が流れている。
社会に対する怒り、音楽業界に対する怒り、既存の秩序に対する怒り。
ただしその怒りは爆発するのではなく、言葉に変換されてラップとして撃ち出される。
冷静に計算された怒り、とでも言えばいいか。
韓国語がわからなくても、そのトーンと圧力はビートを通じて体に届く。
これが조PD のラップが「聴いたことある感じ」を超えて「刺さる」理由だと僕は思っている。
ビートメイキングの観点から見ると、조PD の初期作品は当時の韓国のヒップホップとしては非常に実験的だった。
アメリカの東海岸ヒップホップからの影響が色濃い、重く暗いサンプリングが特徴だ。
派手なエフェクトをかけるのではなく、一つ一つの素材の質感を残しながら組み上げていくアプローチ。
日本で言えば、ZEEBRAや般若が持っていた「ゴリゴリの地で行く」感覚に近い。
花より根っこ、という美学だ。
その後の2007年「Money Talks」では、よりストリートに根ざしたサウンドへと変化している。
リリース間隔は決して短くなかったが、出すたびに何かが変わっていた。
同じ場所に留まる気がない、という意志が音に滲み出ている。
一枚聴いて「なんか違う」と感じたら、別のアルバムを試してほしい。
조PD は一枚じゃ語れない人だ。
2005年の「Brooklyn Mix Tape Vol.1」では、アメリカ・ブルックリンのヒップホップカルチャーへの直接的なオマージュが見られる。
ニューヨーク、特にブルックリンは1990年代後半から2000年代前半にかけてヒップホップの聖地中の聖地だった。
Notorious B.I.G.が生まれ、Jay-Zが出てきた場所。
조PD がそこを意識していたことは、韓国ヒップホップが本場のカルチャーを真剣に研究していたことの証明でもある。
ただコピーするんじゃなく、吸収して自分のものにしようとしていた痕跡がある。
スタードム帝国、その建設
조PD の話は、ラッパーとしての話だけでは終わらない。
彼はラッパーであると同時に、「스타덤 엔터테인먼트 (Stardom Entertainment)」というレーベルを立ち上げた経営者でもある。
これが韓国ヒップホップの歴史において非常に重要な意味を持つ。
日本のヒップホップシーンで言えば、LIBRA Recordsやdischargesが独立レーベルとしてアングラを支えてきた歴史があるように、韓国でも「自分たちの場所」を作ることがシーンの自律に不可欠だった。
스타덤 (Stardom) はまさにそういうレーベルだった。
조PD 自身の音楽を出すだけでなく、仲間たちの作品を世に出す場所として機能した。
2000年代初頭から中盤にかけて、스타덤は韓国ヒップホップシーンの重要な拠点の一つとなった。
ここから続々とアーティストが輩出されていく。
その一覧を見ると、後の時代に大きな名前になる人物たちがずらりと並ぶ。
음악을 만드는 곳 (音楽を作る場所) というより、文化を醸造するタンクのようなものだったと言えるかもしれない。
レーベル運営をするということは、アーティストの生活を支えるということでもある。
韓国でヒップホップが「職業」として成立するためには、それを支えるビジネスの仕組みが必要だった。
조PD はそれを作ろうとした。
「음악으로 먹고 살 수 있다 (音楽で食べていける)」ということを、自分がモデルになって証明しようとしていた。
ラッパーがビジネスマンになることへの抵抗感は、ヒップホップカルチャーの中では根強い。
でも조PD にとって、レーベルを作ることは「売れたから経営者になった」のではなく、「仲間を食わせるために経営者にならざるを得なかった」側面もあったのだろうと思う。
アーティストとして最前線に立ちながら、同時に組織を動かし続けるというのは並大抵のことではない。
その二足のわらじを20代から30代にかけて履き続けたことが、今の조PD の厚みになっているのだろうと思う。
また조PD は、2019年には「ChoCo Entertainment」という新しいレーベルも設立した。
こちらはAIを活用した仮想アイドルプロジェクトを中心に展開しており、2023年には「ChoCo」という複数のサブユニットから成るK-POPプロジェクトも発表している。
1998年にインターネットで音楽を配布した男が、2020年代にはAIアイドルを作っているという話は、時代の変遷を体現しているようで面白い。
結局、常に「次のメディア」を意識し続けている人間なのだと思う。
PSY、Verbal Jint、Dok2 発掘の天才
조PD を語る上で外せないのが「発掘者」としての側面だ。
PSY、버벌진트 (Verbal Jint)、도끼 (Dok2)、라디 (Ra.D)。
これだけの名前を挙げれば、K-HIPHOPのファンはどれほど異常な「目利き」かが分かるはずだ。
PSYについては今さら説明の必要もないかもしれない。
「강남스타일 (カンナムスタイル)」でYouTube世界記録を更新し、K-POPという概念を世界中に広めた男。
あのPSYの初期キャリアを支えたのが조PD のスタードムだった。
人を見る目と言うが、これはもう人を見る目というレベルではない。
虎の子を山の中から見つけてきた、そういう話だ。
버벌진트 (Verbal Jint) は、韓国ヒップホップにおいて「ライリシスト」の基準を作った人物として尊敬されている。
言葉の密度、ダブルミーニング、韓国語の音韻を最大限に活かしたリリックの構築。
その버벌진트も、조PD のもとで育った。
日本で言えば、BUDDHA BRANDやRHYMESTERが生まれてきた土壌を作った人物、というイメージが近いかもしれない。
도끼 (Dok2) は言わずと知れた韓国のトップラッパーの一人で、現在も第一線で活躍している。
彼もまた조PD の影響下でキャリアを積んだ世代だ。
결국, 조PD がいなければ韓国ヒップホップの2000年代以降の発展はかなり異なる形になっていただろう。
그것은 과언이 아니다 (それは過言ではない)。
라디 (Ra.D) については特にソウルフルな歌声が特徴のアーティストで、조PD がプロデューサーとして手がけた仕事の中でも、純粋にプロデューサーとして関わった代表例だ。
ヒップホップだけでなく、R&Bやソウルの領域でも耳が利いていたことを示している。
ラッパーとプロデューサーを両立するだけでも難しいのに、ジャンルをまたいで才能を発掘し続けた。
体が3つあったのか、この人は。
ここで少し立ち止まって考えたい。
なぜ조PD はこれほど多くの才能を見抜けたのか。
一つ考えられるのは、조PD 自身がアウトサイダーとしてスタートした、という経験だ。
既存の業界の「目利き」とは違う基準で音楽を聴いていたから、業界の目には映らない原石が見えたのかもしれない。
PSYも、デビュー当初は「この人が世界的スターになるとは誰も思わなかった」という話があるくらいだ。
そこを見えた、というのは普通ではない。
結果、조PD が育てた面々は韓国ヒップホップとK-POPを両方変えてしまった。
発掘者の才能は、発掘された側の成功によって初めて証明される。
조PD の場合、その証明が何度も何度も積み重なった。
それはもう才能というより、사명 (使命) と呼んだほうが近いのかもしれない。
2010年代以降の조PD
2010年、조PD は突然の「은퇴 선언 (引退宣言)」を行う。
理由はさまざまに語られているが、シーンの変化、個人的な状況、そして「一度区切りをつけたかった」という感覚もあったようだ。
日本のミュージシャンに例えれば、活動休止を宣言してしばらく姿を消す、あの感じだ。
ただし조PD の場合、翌2011年に2枚のアルバムを引っさげてすぐに戻ってきた。
引退、1年、復帰。
休暇だったのか充電だったのかはわからないが、とにかく音楽を離れられなかったことだけは確かだ。
「State of the Art」と「Art of Business」は、復帰後の조PD がプロデューサーとしての自意識を前面に出した作品だ。
タイトルにも「アート」「ビジネス」という言葉が使われていることからわかるように、このころになると조PD は自分が何者であるか、どういう存在としてシーンに立っているかを非常に意識的に表現するようになっていた。
20代のころの野性的な怒りとは異なる、経験を積んだ男の冷静な自己証明という趣がある。
現在の조PD は、AIアイドルプロジェクトを中心に活動を続けている。
これについては賛否両論あるだろう。
「なんでラッパーがAIアイドルを?」という声もあるだろうし、「でも彼はずっと新しいメディアを使い続けてきた人だ」という見方もできる。
僕は後者の見方が正しいと思っている。
1998年のPC通信、2000年代のインターネット配信、そして2020年代のAI。
毎回、「今の技術で音楽はどこまでいけるか」を試し続けている人間なのだと思うから。
今のK-HIPHOPシーンを見るとき、Drunken Tiger とともに조PD の名前が「始祖」として語られることが多い。
KHA (K Hip Hop Archive) のような文化アーカイブの文脈でも、조PD の存在は欠かせない参照点となっている。
現代のラッパーたちが「ヒップホップをやる」という選択をするとき、その道は조PD たちが切り拓いたものだ。
誰かが最初に「これでいい」と言わなければ、文化は始まらない。
조PD はその「最初の言葉」を発した人間の一人だった。
今の10代、20代のK-HIPHOPリスナーで조PD の名前を知っている人がどれくらいいるかはわからない。
でもそれでいいと思っている。
道路を毎日使う人が、その道路を最初に敷いた人の名前を知らなくても、道路は機能する。
조PD が作った道の上を、今日も誰かが走っている。
それで十分だ。
ただ、知っている人間には伝えたい。
あなたが今好きな韓国のラッパーが、なぜ今のスタイルでラップできているのか、その理由の一部は確実にここにある。
ヒップホップはチェーンだ。
誰かから受け取って、誰かに渡す。
조PD はそのチェーンの、韓国側の最初のリングの一つだ。
そのリングが1998年にインターネットという荒野に落ちていなければ、今とは違う世界があった。
僕たちが今聴いているものの重さには、そういう積み重ねが詰まっている。
それを知ってから聴くと、また少し音楽の聴こえ方が変わる気がする。
マルのひとこと
조PD の音源をSpotifyで探すと、今でもけっこうな数が聴けるんだけど、あの1999年の荒削りなビートを聴くたびに「これが26年前の韓国のガレージから出てきたのか」と毎回驚く。
プロダクションの粗さが逆にタイムカプセルみたいで、あの時代の空気が音の中に閉じ込められている感じがするんだよね。
PSYもDok2も、ここから始まったんだと思うと、ヒップホップという文化の連鎖がリアルに感じられて、なんか嬉しくなる。
K-HIPHOPが好きな人は、一度でいいから1999年の「In Stardom」を聴いてみてほしい。
現代のサウンドと比べたらチープに聴こえるかもしれない。
でもあのチープさの中に、全部が詰まっているから。
もしそこから興味が湧いたら、「Brooklyn Mix Tape Vol.1」まで飛んでみてほしい。
1999年から2005年の間に起きた変化が、あの2枚の間に凝縮されている。
これは韓国ヒップホップの歴史を6年分ぎゅっと圧縮して聴く体験でもある。



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