ドランクンタイガーと僕。 드렁큰 타이거와 나

1世代

너희가ノヒガ 힙합을ヒプハプウル 아느냐アヌニャ/ノヒガ ヒパプル アヌニャ.
(お前ら、ヒップホップを知ってるか)

うりぬんでは、これまで何人もの韓国ヒップホップを書いてきた。
Kid Milli、BewhY、Giriboy。
SMTMで頂点に立った、現代のスターたち。

でも、彼ら全員の「根」にあたる存在を、まだ書いていなかった。

ドランクンタイガー(드렁큰ドゥロンクン 타이거タイゴ/ドゥロンクン タイゴ)。
そのリーダー、Tiger JK(タイガー・ジェイケイ)。
韓国で「힙합의ヒプハプエ 대부デブ/ヒップホップの大父」と呼ばれる、ただ一人の男だ。

今でこそ、韓国ヒップホップは世界が注目する文化になった。
だが、彼が始めた頃、韓国に「ヒップホップ」という音楽は、存在しなかった。
ダンスやファッションは知られていても、音楽としてのヒップホップは、誰も分かっていなかった。
「黒人と何やってるんだ」「韓国語もできないくせに」。
そう言われて、門前払いされた。

これは、誰も理解しなかった荒れ地に、たった一人でヒップホップの種を蒔いた男の物語だ。


目次

  • 基本情報
  • メンバー
  • Tiger JKという人物 音楽一家に生まれた、タイガーの化身
  • 始まりは、怒りのラップだった
  • 門前払いの時代 「韓国語もできないくせに」
  • 1999年、『Year Of The Tiger』
  • 教科書に「悪い例」として載った曲
  • 「민들레ミンドゥルレ」と「SOUL FOOD」 言葉の力
  • アルバムで追う、20年の歩み
  • DJ Shineのこと
  • 大父として 育てる側へ
  • 病の季節を乗り越えて
  • K-POP / ヒップホップ史における位置づけ
  • 韓国でのイメージ
  • ディスコグラフィー(主要作)
  • 余談
  • ライブという名の聖域
  • マルのひとこと

基本情報

項目 内容
グループ名 드렁큰ドゥロンクン 타이거タイゴ タイゴ
(Drunken Tiger)
デビュー 1999年2月2日(正規1集『Year Of The Tiger』)
解散 2018年11月14日(正規10集)
メンバー Tiger JK
DJ Shine(2005年に脱退)
ジャンル ヒップホップ
活動期間 約20年
特記事項 韓国ヒップホップ大衆化の口火を切った歴史的グループ。
「大父」

メンバー

Tiger JK(タイガー・ジェイケイ)|韓国ヒップホップの大父
本名はソ・ジョンクォン。
ドランクンタイガーの中心であり、すべての始まり。
2005年にDJ Shineが抜けてからは、実質的に一人でドランクンタイガーの名前を背負い続けた。
ライブでの圧倒的なカリスマから「韓国ヒップホップ・ライブの帝王」と呼ばれる。
妻は、これまた韓国音楽界の伝説、Yoon Mi-rae(ユン・ミレ)。
二人は「韓国のJAY-Zとビヨンセ」と称される、唯一無二の夫婦だ。

DJ Shine(ディージェイ・シャイン)|もう一人の創設者
本名はマーク・イム。
ニューヨーク出身で、Wu-Tang ClanやMobb Deepといった東海岸ヒップホップの影響を受けた、重く硬派なスタイルの持ち主。
Tiger JKとともにドランクンタイガーを結成し、「난ナン 널ノル 원해ウォンヘ」の大ヒットを生んだ。
5集を最後に、音楽的な方向性の違いからグループを離れた。


Tiger JKという人物 音楽一家に生まれた、タイガーの化身

Tiger JKは、1974年、ソウルに生まれた。

実は、彼は生まれながらの「タイガー」だ。
1974年生まれの寅年。
しかも誕生日の7月29日は、「国際トラの日(International Tiger Day)」。
ここまで来ると、もう運命である。

そして、音楽一家の子でもあった。
父は著名な音楽評論家、母は1970年代のグループ「ワイルド・キャッツ」のリーダー。
(母は、映画『ゴーゴー70』のヒロインのモデルになった人でもある)
音楽は、生まれたときからそばにあった。

小学生で渡米。
父の勧めで、一人マイアミの叔父のテコンドー道場で育ち、なんと公認4段になる。
その後LAのビバリーヒルズ高校へ(同級生にアンジェリーナ・ジョリーがいたという)。
やがてUCLAで文芸創作を学ぶ。

テコンドーの蹴りと、言葉を操る力。
この二つが、後の「Tiger JK」をつくることになる。


始まりは、怒りのラップだった

Tiger JKがラップを始めた瞬間は、はっきりしている。

1992年。
彼が尊敬していたヒップホップの中に、韓国人を否定的に描いた曲があった。
西海岸で名のしれた、氷の立方体が歌う「黒いナントカ」って曲。
高校生だったTiger JKは、それに「音楽」と「知性」で答えることを選ぶ。

歴史の授業で、その曲への反論をラップにして発表したのだ。
それが校内で表彰され、噂が広がり、ヒップホップフェスティバルに招待される。
そこで披露した「Call Me Tiger」(テコンドーの蹴り技が韓国語で出てくる)で、即興ラップ部門を受賞した。

偏見に、暴力ではなく、ラップで返す。
この瞬間に、Tiger JKというラッパーが生まれた。
そしてここで、同じ韓国系アメリカ人のDJ Shineと出会い、後のドランクンタイガーへとつながっていく。

ヒップホップの本質は、抵抗だ。
彼のキャリアは、その本質そのものから始まっていた。


門前払いの時代 「韓国語もできないくせに」

1995年、Tiger JKはEP『Enter The Tiger』を引っさげて、韓国にやって来る。

結果は、惨敗だった。

当時の韓国に、音楽としてのヒップホップを理解する土壌は、まったくなかった。
放送局を回っても、返ってくるのは心ない言葉ばかり。

「黒人と、何やってるんだ」。
「ダンスがないから、ダメだ」。
「韓国語もできないくせに、何をするつもりだ」。

あるプロデューサーは、「ヒップホップとはこういうものだ」と言って、まったく別のグループの曲を流してみせたという。
当時の韓国は、ヒップホップのファッションとダンスは知っていても、ヒップホップという「音楽」を、知らなかったのだ。

放送はたった一度きりで、失敗。
Tiger JKは、いったんアメリカへ戻る。

でも、彼は諦めなかった。

1997年、再び韓国へ。
ストリート公演や小さな行事で、地道に名を売っていく。
ちょうどその頃、Jinusean(지누션ジヌション/ジヌション)らによって、ヒップホップが少しずつ大衆に知られ始めていた。
アンダーグラウンドのコミュニティも育ちつつあった。
1995年の荒野は、少しずつ、耕されはじめていた。

そして1999年。
ついに、その時が来る。


1999年、『Year Of The Tiger』

1999年2月2日、ドランクンタイガーは1集『Year Of The Tiger』でデビューした。

「난 널 원해ウォンヘ」。
「너희가ノヒガ 힙합을ヒプハプウル 아느냐アヌニャ」。

この2曲が、韓国の大衆を撃ち抜いた。

特に「너희가ノヒガ 힙합을ヒプハプウル 아느냐アヌニャ」というタイトルが、すべてを象徴している。
門前払いされ続けた男が、「お前ら、本物のヒップホップを知ってるか?」と、世間に突きつけたのだ。
挑発であり、宣言だった。

このアルバムは、後に「1990年代の100大名盤」に選ばれている。
荒野に蒔かれた種が、ついに芽を出した瞬間だった。


教科書に「悪い例」として載った曲

ここで、笑えるような、笑えないような話がある。

「너희가ノヒガ 힙합을ヒプハプウル 아느냐アヌニャ」という曲は、当時の高校の社会・文化の教科書に載った。
それも、「ヒップホップを否定的に紹介する」文脈で、だ。

つまり、まだ社会全体が「ヒップホップ=よく分からない不良の文化」と見ていた時代の象徴として、この曲が引用されたのだ。

でも、考えてみてほしい。
その「教科書に悪い例として載った音楽」が、25年後、韓国を代表する文化になった。
Show Me The Moneyが国民的番組になり、BewhYやKid Milliがスターになる、その未来を。

教科書が、間違っていた。
Tiger JKが、正しかった。
歴史が、そう証明した。


「민들레ミンドゥルレ」と「SOUL FOOD」 言葉の力

Tiger JKを語るとき、ひとつのキーワードが常についてくる。
「뿌리ップリ/根」。

4집チプのタイトルがそのまま「根」だったように、彼の音楽は常に、自分がどこから来たかを問い続ける。
韓国系アメリカ人として、二つの文化の間で育った人間が、「自分の根はどこにあるのか」を歌い続けてきた。

その象徴が、「민들레ミンドゥレ/タンポポ」という曲だ。
踏まれても根を張り続けるタンポポを、自分自身に重ねた歌詞。
ヒップホップという形式を借りながら、誰もが共感できる普遍的な痛みと希望を歌った。
この曲は、ラップをほとんど聴かない層にも届いた。
「好きな曲を教えて」と言われたとき、Tiger JKの名前と一緒にこの曲を挙げる韓国人は、今も少なくない。

「SOUL FOOD」は、また別の意味で重要な曲だ。
ヒップホップという音楽が、彼にとって何であるかを正面から語った一曲。
食事が体を養うように、ヒップホップは魂を養う。
その信念が、20年のキャリアを通じてブレなかった理由を、この曲は教えてくれる。


アルバムで追う、20年の歩み

1집ジッ『Year Of The Tiger』(1999) 
난 널 원해ウォンヘ / 너희가ノヒガ 힙합을ヒプハプウル 아느냐アヌニャ。
すべての始まり。

2집チプ『위대한ウィデハン 탄생タンセン/偉大なる誕生』(2000)
韓国語のラップに本格的に挑み始めた時期。

3집チプ『The Legend Of…』(2001)
Good Life。
名曲として今も愛される。

4집チプ『뿌리ップリ/根』(2003)
남자기ナンジャギ/ナムジャギ 때문에ッテムンエ/テムンエ。
Tiger JKの韓国語の歌詞が完全に花開き、人気が絶頂に達した一枚。
タイトルの「根」が、彼の立ち位置そのものだ。

5집チプ『하나하면ハナハミョン 너와나ノワナ/ハナハミョン ノワナ』(2004)
この作品を最後に、DJ Shineが脱退。

6집チプ『1945 해방ヘバン/解放』(2005)
ここからTiger JK一人体制に。
Dynamic Duoらが客演し、シーンの仲間との絆を示した。

7집チプ『Sky Is The Limit』(2007)
8:45 Heaven。

8집チプ『Feel gHood Muzik: The 8th Wonder』(2009)
「Monster」は、Tiger JK、Yoon Mi-rae、海外の名ラッパー陣が集結した、ヒップホップの教科書のような一曲。

10집チプ『Drunken Tiger X: Rebirth Of Tiger JK』(2018)
最後のアルバム。

ドランクンタイガーは、韓国のヒップホップミュージシャンとして、初めて「10集」に到達したグループになった。
後にEpik HighやDynamic Duoらも10集にたどり着くが、その道を最初に切り開いたのは、彼らだった。
誰も道がなかったところから始めた男が、誰よりも遠くまで歩いた。
それを証明する、数字だ。


DJ Shineのこと

5集を最後にグループを離れたDJ Shine。
その理由をめぐっては、当時いろいろな噂が流れた。

でも、本人がインタビューで、はっきり語っている。
ただ、追求する音楽の方向性が違っただけ。
Tiger JKへの悪感情なんて、何もない、と。

実際、ドランクンタイガーが最後の10集を出したとき、DJ ShineはTiger JKに「お疲れさま」と連絡をしている。
今は、バリでリゾートを営みながら暮らしているという。

二人で荒野を切り開いた事実は、別々の道を歩いても、消えない。


大父として 育てる側へ

Tiger JKがすごいのは、自分が成功しただけで終わらなかったことだ。

2013年からは、妻のYoon Mi-rae、ラッパーのBizzyとともにMFBTYを結成。
そして自身のレーベル「Feel gHood Music(필굿뮤직ピルグッミュジッッ/Feel Good Music/フィルグッミュジッ)」を通じて、後進のヒップホップ・R&Bアーティストを育てている。

プレイヤーとして頂点に立ち、そして「育てる人」へ。
韓国ヒップホップという文化そのものを、根から育て、次の世代へ手渡してきた。

数々の事件や噂もあったが、それでもTiger JKが大衆から愛され続けるのは、その音楽の温かさと、人柄の良さゆえだと言われている。
荒々しいだけの男ではない。
礼儀正しく、品があり、誰よりも家族を愛する人。
それが、大父の素顔だ。


病の季節を乗り越えて

Tiger JKは、キャリアの途中で、深刻な健康問題に直面した時期があった。

免疫系の難病と診断され、長期の闘病を余儀なくされた。
ステージに立てない時間が続き、周囲も先行きを心配した。
韓国のファンにとっては、「大父」が突然倒れたような衝撃だった。

でも彼は、その経験を音楽に変えた。
体が動かなくなっても、言葉は残る。
ラッパーにとって、声と言葉こそが武器だということを、病床で改めて確認したはずだ。

回復後に彼が語った言葉が、印象に残っている。
「生きているうちに、やりたいことをやれ」。
荒野を耕した男が、病を経て、さらに深くなって戻ってきた。
MFBTY結成も、自身のレーベル活動も、その確信から生まれたことだと思う。


K-POP / ヒップホップ史における位置づけ

Tiger JKの功績は、ただ一つの言葉で足りる。

「韓国にヒップホップを、根付かせた」。

彼が荒野を耕さなければ、今の韓国ヒップホップは、まったく違う形になっていた。
いや、存在すらしなかったかもしれない。

Show Me The Moneyで競い合うラッパーたち。
BewhY、Kid Milli、Giriboy。
彼らが当たり前のように立っているステージは、Tiger JKが「黒人と何やってる」と笑われながら、一人で踏み固めた地面の上にある。

YG系のJinusean、そして1TYM(▶ 1TYMと僕。)が「ポップとしてのヒップホップ」を大衆に広めたとすれば、ドランクンタイガーは「本物のヒップホップ・カルチャー」そのものを韓国に植えた。
この二つの流れが合わさって、今の韓国ヒップホップがある。

大父、という呼び名は、伊達じゃない。


韓国でのイメージ

韓国でTiger JKは、「힙합의ヒプハプエ 대부デブ」として、ジャンルを超えた尊敬を集めている。

ラッパーたちにとっては、絶対的な先駆者であり、目標。
大衆にとっては、ライブの帝王であり、人格者。
そして、윤미래ユンミレ/ユン・ミレとの夫婦は、韓国芸能界で最も愛される「おしどり夫婦」の一つだ。

若いラッパーがリスペクトを語るとき、必ずと言っていいほど、Tiger JKの名前が出てくる。
彼は「過去の人」ではなく、今も現役の「根」として、シーンの真ん中に立っている。
それは、25年以上かけて積み上げた、本物の信頼だ。


ディスコグラフィー(主要作)

集 タイトル 年 特記 記事
1집チプ Year Of The Tiger 1999 デビュー・90年代100大名盤 準備中
3집チプ The Legend Of… 2001 「Good Life」 準備中
4집チプ 뿌리ップリ(根) 2003 韓国語歌詞が花開く・絶頂期 準備中
5집チプ 하나하면ハナハミョン 너와나ノワナ 2004 DJ Shine最後の参加 準備中
8집チプ Feel gHood Muzik 2009 「Monster」 準備中
10집チプ Drunken Tiger X 2018 最終作・韓国HIPHOP初の10集 準備中

余談

Tiger JKは、1974年生まれの寅年で、誕生日の7月29日は「国際トラの日」。
名前も、生まれも、まるごとタイガー。

母は1970年代のバンド「ワイルド・キャッツ」のリーダーで、映画『ゴーゴー70』のヒロインのモデル。
音楽の血は、母から受け継いだものだ。

息子の名前は「ソ・ジョーダン」。
Tiger JKが大のマイケル・ジョーダン好きだから、というのが由来だ。

Tiger JKと妻ユン・ミレ/윤미래ユンミレは、「韓国のJAY-Zとビヨンセ」と呼ばれる。
ヒップホップとR&B、それぞれの頂点に立つ二人が、夫婦。
これ以上の組み合わせは、なかなかない。


ライブという名の聖域

Tiger JKを語るとき、「ライブ」という言葉を外せない。

韓国のヒップホップイベントで、客がステージに飛び乗ることがある。
ラッパーが手を出して引き上げる。
そういう光景を最初に作ったのが、Tiger JKだと言われている。
堅い管理された空間ではなく、ステージと客席が溶け合う熱い場所。
それがTiger JKのライブの本質だ。

MFBTY名義でリリースした「Sweet Dream」のパフォーマンスもそうだった。
妻ユン・ミレ、Bizzy、Tiger JKが三者三様の個性を持ちながら、舞台の上でひとつになる。
「韓国のJAY-ZとビヨンセとNas」とも言える布陣で、韓国ヒップホップが世界基準になり得ることを証明してみせた。

20年にわたってステージに立ち続けたTiger JKが、最後の10集でグループ活動を締めくくるとき、コンサート会場には涙を拭うファンの姿があったという。
「大父」と呼ばれる人間のライブには、単なる音楽以上の何かがある。
荒野を切り開いた男が、そこに立っているという事実そのものが、その場の意味になる。

今も後輩ラッパーたちが、自分のライブにTiger JKを呼ぶ。
そして彼がマイクを持つと、会場の空気が変わる。
根というのは、見えないが、その存在を感じるときがある。
Tiger JKのライブは、まさにそういう時間だ。
荒野を切り開いた男が、今もマイクを握り続けている。
それ自体が、一つの答えだ。
韓国ヒップホップという文化は、この男のステージとともに育ってきた。
その歴史は、まだ終わっていない。


マルのひとこと

「お前ら、ヒップホップを知ってるか」。

このタイトルを初めて知ったとき、なんて挑発的なんだ、と思った。
でも、Tiger JKの来た道を知ると、これは挑発じゃなくて、叫びだったんだと分かる。

誰も分かってくれない。
「黒人と何やってる」「韓国語もできないくせに」と笑われる。
教科書にまで「悪い例」として載せられる。
そんな中で、たった一人、「本物はこれだ」と言い続けた人がいた。

僕がいちばんしびれるのは、彼が「根(뿌리ップリ)」というアルバムを作ったことだ。
自分が何者か、ちゃんと分かっている。
俺は、根なんだ、と。

今、韓国ヒップホップは世界中で聴かれている。
BewhYもKid Milliも、当たり前にスターだ。
でもその全員が立っている地面は、25年前にこの男が、笑われながら一人で踏み固めた場所だ。

花は目立つ。
でも、根がなければ、花は咲かない。

ヒップホップを言語として使って、韓国と黒人文化の間で自分の立ち位置を探した人。
その誠実さが、20年のキャリアを貫いた理由だと思う。
今の時代、韓国ヒップホップが世界で聴かれるのは、当たり前のことになった。
でも、その「当たり前」を最初に作ったのは誰だったか。
忘れたくない。

うりぬん、その根を、ちゃんと覚えていたい。
너희가ノヒガ 힙합을ヒプハプウル 아느냐アヌニャのおかげで、少しは分かるようになったHIPHOPを記していきたい。

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