ユン・ミレと僕。 윤미래와 나

1世代

韓国ヒップホップに、「ラップが上手い女性」が現れるたびに、必ず言われる言葉がある。

「第2のユン・ミレだ」。

つまり、彼女が基準なのだ。
何十年も、韓国の女性ラッパーの「ものさし」であり続けている人。
ユン・ミレ(윤미래ユンミレ)。
別名、T。
タシャ。

ラップも、ボーカルも、両方が最上級。
アメリカのヒップホップで言えば、ローリン・ヒルのような存在。
「韓国ヒップホップの女王」と呼ばれる、ただ一人の女性だ。

うりぬんでは、彼女を ▶ ドランクンタイガーと僕。 の「Tiger JKの妻」として紹介した。
でも、それはあまりに失礼な話で。
彼女は、誰の妻である前に、彼女自身が、まぎれもないレジェンドだ。

そして彼女の人生には、一曲の名曲が、まるごと刻まれている。
「검은ゴンウン/ゴムウン 행복ヘンボッ/黒い幸福」。
これは、差別を誇りに変えた女性の物語だ。
「黒い」と「幸福」をつなげた人が、一人でいる。
それだけで、もう読む価値がある。
そしてその人が今も現役で、BTSと共演して、ドラマOSTを歌っている。
こんな話が、韓国ヒップホップの歴史の中に実在する。
それを知ることが、この音楽を聴く喜びの一つだと思う。
ユン・ミレがいてよかった、と心から思う。


目次

  • 基本情報
  • ユン・ミレという人物
  • 「검은コムン 행복ヘンボク」差別を、幸福に変えた歌
  • デビュー 14歳で見出された才能
  • Uptownという時代
  • タシャニ
  • ソロへ 初めての1位と、涙
  • オールラウンダーの女王
  • Tiger JKと、MFBTY
  • 韓国ヒップホップ史における位置づけ
  • 韓国でのイメージ
  • ディスコグラフィー
  • 余談
  • マルのひとこと

基本情報

項目 内容
名前 윤ユン미래ミレユンミレ(ユン・ミレ)
※別名 T / Tasha / Gemini
本名 ナターシャ・シャンタ・リード
(Natasha Shanta Reid)
生年月日 1981年5月31日(米テキサス州キリーン)
国籍 アメリカ
所属グループ 업타운オプタウン/1997〜99
타샤니タシャニ/1999〜2000
MFBTY(2013〜)
デビュー 1997年 업타운オプタウン1集『Represent』
所属 Feel gHood Music
家族 夫:Tiger JK
息子:ソ・ジョーダン
特記事項 「国家代表の女性ヒップホップ・ミュージシャン」。
ラップとボーカルのオールラウンダー

ユン・ミレという人物

ユン・ミレの本名は、ナターシャ・シャンタ・リード。
「윤(ユン)」は、韓国人である母の姓だ。

父は、駐韓米軍として服務したアフリカ系アメリカ人、トーマス・J・リード。
母は、韓国人。
1981年、アメリカ・テキサス州で、一人娘として生まれた。

父は、軍人でありながら部隊のクラブでDJをするほどの音楽好きだった。
だからユン・ミレは、生まれたときから音楽に囲まれて育った。
(この生い立ちは、後の「검은ゴンウン 행복ヘンボッ」にそのまま歌われている)

軍人の父に従い、アメリカ、韓国、ドイツと、いくつもの国を転々とした。
どこにいても、彼女は「どこの子」とも言い切れなかった。
アメリカ人、韓国人、黒人。
そのあいだで、アイデンティティは揺れ続けた。


「검은ゴンウン 행복ヘンボッ」 差別を、幸福に変えた歌

ここは、ていねいに書きたい。

1980〜90年代の韓国で、黒人の血を引く子どもが受けた差別は、今では想像しにくいほど厳しいものだった。
ユン・ミレは、韓国にいた頃、外国人学校に通っていた。
だが、その外国人学校の中ですら、黒人ハーフであることで差別を受け、途中で学校をやめることになった。

アメリカでも、韓国でも、どこか「よそ者」。
そのつらさを、彼女は誰よりも深く知っている。

でも、彼女はそれを、恨みや嘆きで終わらせなかった。

そのすべての哀しみと、それでもあった喜びを、一曲の歌にした。
それが「검은ゴンウン 행복ヘンボッ」。
タイトルからして、すごい。
「黒い」という、差別の言葉として投げつけられたかもしれない色を、「幸福」とつなげてみせた。

そして、この曲の途中に流れるナレーションは、父トーマスが、自ら吹き込んだものだという。
自分の出自を、痛みごと抱きしめて、「幸福」と名づける。
これ以上に強い自己肯定の歌を、僕は知らない。

今、ユン・ミレはこう言う。
韓国人の情緒をよく理解しているし、韓国人であることに、誇りを持っている、と。

「검은ゴンウン 행복ヘンボッ」は、彼女の音楽キャリアの中でも、最高の名曲として語り継がれている。
2020年には、この曲を題材にした絵本『검은행복ゴンウンヘンボッ/ゴムウンヘンボク』まで出版された。
痛みが、誇りになり、やがて子どもたちへの贈り物になった。


デビュー 14歳で見出された才能

ユン・ミレの才能が見出されたのは、1995年。
まだ14歳のときだった。

グループ「업타운オプタウン」のメンバーとして、1997年、韓国でデビューする。

ここで、ちょっと驚きの事実がある。
デビュー当時、彼女はまだ15歳。
ところが、19歳と偽って活動していた。
しかも、誰一人、その年齢を疑わなかった。

それくらい、彼女のラップとボーカルは、完成されていた。
ラップとR&Bを、一人で同時にこなす。
そんなボーカリストは、当時の韓国にほとんどいなかった。
15歳の少女は、最初から「本物」だった。


Uptownという時代

Uptown(업타운オプタウン)は、1997年にデビューした韓国の男女混成ヒップホップグループだ。
「韓国初の正統派ヒップホップグループ」のひとつとして、シーンに位置づけられる。

1集『Represent』は、当時の韓国のダンスポップ全盛期に、正面からヒップホップを打ち出した作品だった。
ソテジと아이들アイドゥルのインパクトによって韓国でもヒップホップへの関心が高まっていたが、Uptownはより本格的なアメリカのヒップホップ・R&Bの文法で楽曲を作り、ユン・ミレのラップとボーカルがその中核を担っていた。

Uptownの活動は1999年ごろまで続き、グループとして2集も発表した。
「열정ヨルジョン/ヨルジョン/情熱」「이별공식イビョルゴンシッ/離別の公式」などの楽曲は、後にヒップホップファンの間で再評価される名曲として語り継がれている。
ユン・ミレはこの時期、「15歳でこの完成度」という衝撃を業界に与え続けた。

Uptownという経験が、ユン・ミレのアーティストとしての基礎を作った。
グループの中で男性ラッパーたちと対等に戦い、「女性だから、若いから」という言い訳を一切排除して実力で存在感を示した3年間は、後のソロキャリアを支える土台になった。


타샤니タシャニ

Uptownを一時離れ、ユン・ミレは애니エニ/エニーと「타샤니(タシャニ)」という女性デュオを組む。

タイトル曲は当時ヒットしなかったが、「하루하루ハルハル/ハルハル」「경고ギョンゴ/キョンゴ」といった曲は、後年「埋もれた名曲」として再発掘され、今も愛されている。

そして、この타샤니タシャニには、こんな裏話がある。

実は当初、타샤니タシャニは3人組として準備されていた。
その3人目の候補がなんと、イ・ヒョリ(이효리イヒョリ)だった。

ところがイ・ヒョリはDSPへ移籍し、Fin.K.Lのメンバーになる(▶ Fin.K.Lと僕。)。
逆にエニーは、もともとDSPの練習生だったが、Fin.K.Lの色と合わないと考えてDSPを離れ、ユン・ミレ側へ来た。

もしあのとき、イ・ヒョリが타샤니タシャニに入っていたら。
Fin.K.Lも、ユン・ミレのキャリアも、まったく違う形になっていたかもしれない。
1世代の人脈は、本当にどこまでも絡み合っている。

타샤니の活動自体は短かったが、この時期にユン・ミレはソロ表現者としての土台を固めた。
Uptownというグループの一員として磨いてきたラップとボーカルを、今度はデュオという形でさらに前面に押し出す経験は、その後のソロ活動に直接つながっていく。
「타샤니でヒットしなかった」という事実が、逆に「自分の音楽をどう伝えるか」という課題を彼女に与え、2001年のソロ1集での大ブレイクへの準備期間になったとも言える。


ソロへ 初めての1位と、涙

2000年、Uptownが解散。
ユン・ミレは、ソロへと転向する。

2001年、1集『As Time Goes By』を発表。
これが大ヒットし、彼女はソロアーティストとして確固たる地位を築いた。

タイトル曲「시간이シガンイ 흐른フルン 뒤ドィ/時が流れて」が、SBS『人気歌謡』で1位候補に。
そして、予想を覆して、1位を獲る。
歌手キャリアで、初めての1位だった。

その瞬間、ユン・ミレは感極まって、受賞コメントを言えなかった。
ただ、涙を流した。
ようやく言葉を絞り出して、こう言った。
「夢を見ているみたい。
ありがとうございます」。

美しいのは、その後だ。
1位を争った相手は、샾シャプ/Shopというグループだった。
彼女のアンコール舞台に、샾のメンバー全員が上がってきて、祝福した。
そして翌週、今度は샾が1位を奪い返すと、ユン・ミレも샾のアンコール舞台に上がり、メンバーのラップパートを一緒に歌って返した。

勝った、負けたじゃない。
リスペクトを、リスペクトで返す。
ユン・ミレという人の人柄が、この一件に全部出ている。


オールラウンダーの女王 ラップも、ボーカルも、OSTも

ユン・ミレの本当の凄みは、その「振れ幅」だ。

硬派なヒップホップで、男性ラッパーをも黙らせるラップを聴かせたかと思えば、心を溶かすようなR&Bのボーカルも歌える。
夫のTiger JKいわく、「あまりに隙がなくて、気の強い男性ラッパーですら、ユン・ミレには音楽的に何も言えない」。

そしてもう一つ、彼女には「ドラマOSTの女王」という顔がある。

『主君の太陽』の「Touch Love」。
『太陽の末裔』の「ALWAYS」。
『愛の不時着』の「Flower」。
『梨泰院クラス』の「Say」。

韓国ドラマを観る人なら、名前は知らなくても、必ず彼女の声を聴いている。
ヒップホップの女王が、国民的なバラードも歌う。
このオールラウンドさが、ユン・ミレを「替えのきかない存在」にしている。

特に『愛の不時着』のOST「Flower」は、日本でもドラマの爆発的な人気とともに広く知られるようになり、「ユン・ミレ」という名前が韓国ドラマファンの間で改めて注目されるきっかけになった。
何十年もキャリアを重ねてきたアーティストが、新しい世代のファンに出会う。
そういう出来事が、彼女には繰り返し起きている。


Tiger JKと、MFBTY

ユン・ミレとTiger JKは、Uptownの時代から親しくなった。
そして2007年に結婚し、2008年に息子ジョーダンが生まれる。

2013年からは、夫Tiger JK、ラッパーBizzyとともに「MFBTY」を結成。
自分たちのレーベル Feel gHood Music で、後進のアーティストを育てている。

ヒップホップの大父と、ヒップホップの女王。
「韓国のJAY-Zとビヨンセ」と呼ばれる、この夫婦の物語は ▶ ドランクンタイガーと僕。 にも書いた。
それぞれが一人で伝説なのに、二人そろうと、もっと伝説になる。
こんな夫婦は、なかなかいない。

MFBTYはBTSと共演したこともあり、世代を超えた韓国ヒップホップの継承という側面でも重要な存在だ。
ユン・ミレが先輩として若いアーティストたちに接する姿は、「女王」でありながら「仲間」でもあるという、彼女の音楽家としての誠実さを示している。

MFBTYの名前は「My Fans Better Than Yours(私のファンはあなたのファンより良い)」の略で、ファンへの愛情と軽いユーモアが込められている。
夫婦とBizzyの三人が、それぞれの個性を発揮しながら作るMFBTYのサウンドは、ヒップホップを核にしながらもR&B・エレクトロニック・実験音楽まで幅広い要素を取り込んだ、自由な音楽だ。
「ルールを自分で決める」というアティチュードは、ユン・ミレがUptown時代から持ち続けてきた姿勢そのものでもある。


韓国ヒップホップ史における位置づけ

ユン・ミレの功績は、はっきりしている。

「女性が、ヒップホップのど真ん中で戦える」ことを、最初に証明したことだ。

男性中心だった韓国ヒップホップで、彼女はラップでも実力で頂点に立った。
2011年には、アメリカのMTVが選ぶ「注目すべき海外の女性ラッパー」に選ばれ、「韓国ヒップホップ界の女王」と紹介された。

そして冒頭に戻る。
韓国で、ラップの上手い女性が出てくるたびに、「第2のユン・ミレ」と言われる。
これは、彼女が「比較される側」ではなく、「基準そのもの」だということだ。

ローリン・ヒルが世界の女性ラッパーの一つの到達点なら、ユン・ミレは韓国のローリン・ヒル。
後に続くすべての女性ラッパー、女性ボーカリストが、彼女の背中を見て育っている。

2024年には、BTSのj-hopeの「NEURON」にも、개코ゲコ/ゲコと並んで参加した。
デビューから四半世紀を超えてなお、彼女は現役の「女王」であり続けている。


韓国でのイメージ

韓国でユン・ミレは、「実力の代名詞」として、絶対的な尊敬を集めている。

ラッパーとしての凄み、ボーカリストとしての深さ、そして「검은ゴンウン 행복ヘンボッ」に象徴される、自分の出自を誇りに変えた強さ。
その全部が、「かっこいい女性」の一つの理想像になっている。

Tiger JKとのおしどり夫婦ぶりも含めて、彼女は「強くて、温かくて、ぶれない人」。
派手なゴシップではなく、その実力と生き方で愛され続けている、稀有なアーティストだ。

また、ユン・ミレが韓国社会で尊敬を集める理由の一つに、「後進への敬意と支援」がある。
韓国のオーディション番組やバラエティでは、若いラッパーやシンガーたちが「ユン・ミレさんが目標」と語る場面が繰り返し映し出される。
彼女はそういう若いアーティストたちをSNSでシェアしたり、自らのレーベルで一緒に仕事をしたりと、「女王」であることに驕らない姿勢を一貫して持ち続けている。

韓国では、女性アーティストが長くトップを保ち続けることが難しいとも言われてきた。
事務所の力関係、世代交代のプレッシャー、プライベートへの過剰な注目。
ユン・ミレはそのすべての壁を、実力と姿勢で乗り越えてきた。
「時代が変わっても、本物は残る」ということを、彼女はデビューから30年近く経った今もなお、体現し続けている。

ユン・ミレが「第2のユン・ミレ」という言葉を生み出した、ということ自体が面白い。
彼女の名前が「形容詞」になってしまっている。
「ローリン・ヒル的」という表現が英語圏で使われるように、「ユン・ミレ的」という言葉が韓国語で使われる日が来るかもしれない。
それは、一人のアーティストがジャンルを定義したということだ。
女性ラッパーというジャンルの、韓国における定義は、ほぼ彼女一人が作った。

ユン・ミレの息子ジョーダンは、2008年生まれで、今や16歳になる。
彼がどんな音楽を聴いて育ったのか、いつか音楽の道を歩むのかどうか。
Tiger JKとユン・ミレという二人を親に持つ子どもの音楽的な才能については、韓国の音楽ファンの間でもっぱら期待が膨らんでいる。
「韓国ヒップホップ界最強の遺伝子」という声もあるほどだ。


ディスコグラフィー(主要作)

タイトル 年 特記 記事
As Time Goes By 2001 ソロ初・「시간이シガンイ 흐른フルン 뒤」初の1位 準備中
Gemini 2002 「끝없는ックッオプヌン/クッオプヌン 바다バダ 저편에ジョピョンエ」 準備中
To My Love 2002 準備中
t 3 YOONMIRAE 2007 「검은ゴンウン 행복ヘンボッ」収録 準備中
Gemini 2 2018 「You & Me」 準備中

余談

別名の「T」「タシャ」は、本名ナターシャ(Natasha)から来ている。

ロールモデルは、ローリン・ヒルと、女性ラッパーのDa Brat。
特にローリン・ヒルとは、ラップとボーカルのスタイルが本当によく似ている。

夫はマイケル・ジョーダンの大ファンで、息子の名前は「ジョーダン」。
そして二人は宗教が違う(夫は仏教、ユン・ミレはプロテスタント)が、結婚のとき「互いの宗教を尊重し、どちらにも合わせない」と決めたという。
このあたりの、無理に一つにしない感覚も、彼女らしい。

2022年には、コンビニのCUから、彼女をモデルにした「T 미래ミレ 소주ソジュ/ティ ミレ ソジュ」という焼酎まで発売された。

ユン・ミレはInstagramやSNSでも積極的に活動しており、家族との日常や、社会的な問題に対する自分の考えを発信することもある。
「アーティストとして影響力を持つことは、責任でもある」という意識が、彼女の発言の端々に見える。
それも、ただの「かっこいいラッパー」ではなく、「生き方そのものを尊敬される人」として彼女が愛される理由だ。


マルのひとこと

「黒い幸福」。

このタイトルを初めて見たとき、胸を掴まれた。
「黒い」と「幸福」は、普通はつながらない。
むしろ、ぶつかる言葉だ。

でもユン・ミレは、自分に投げつけられたかもしれない言葉を、自分の手で「幸福」に書き換えてみせた。
痛みを、隠すんじゃなくて、抱きしめて、歌にした。
しかもその歌のナレーションを、お父さんがやっている。
もう、それだけで泣ける。

僕は、ラップが上手いとか、歌が上手いとか、そういう物差しの先にあるものを、彼女に見る。
自分が何者かを、誰かに決めさせない。
自分で名づける。
それができる人が、本当に強い人なんだと思う。

韓国でいちばんラップの上手い女性は誰か、と聞かれたら、いつもユン・ミレが頭をよぎる。
でも僕がいちばん尊敬するのは、その実力よりも、「黒い幸福」と言い切れる、その生き方のほうだ。
ここまで書いてきて、申し訳ない気持ちになるが彼女の曲で一番好きな曲は愛の不時着OST Flowerなのは許してほしい。
うりぬん、ユンミレの誇りを、ちゃんと受け取りたい。
アメリカとも韓国ともどこにも完全には属せない場所から始まった彼女の音楽が、今や「韓国ヒップホップの基準」になっている。
その軌跡は、自分の居場所を自分で作ることができる、という話だ。
それを聴くたびに、何か背筋が伸びる気がする。

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