Fin.K.Lと僕。 핑클과 나

1世代

韓国のガールグループ史を語るとき、必ず出てくる対立構図がある。
「S.E.S. vs Fin.K.L」。

1990年代後半、この二組がチャートとお茶の間を二分し、韓国の10代は「どちらの派か」で分かれた。

そのもう一方の山脈、Fin.K.L(핑클ピンクル/ピンクル)。
SMのS.E.S.が「神秘・清純」なら、DSPのFin.K.Lは「健康的で、親しみやすく、人間味がある」。

そしてこのグループには、後に韓国で最も巨大な女性ソロスターになる女性がいた。
イ・ヒョリだ。

これは、4人の妖精(요정ヨジョン/ライブの妖精/ヨジョン)と、彼女たちが時代に残したものの物語だ。

▶ S.E.S.と僕。 とあわせて読むと、90年代の熱が二倍になる。


目次

  • 基本情報
  • メンバー
  • 結成秘話 最後の枠に、滑り込んだイ・ヒョリ
  • 妖精なのに、面白い 「自由」を体現したグループ
  • S.E.S.との「二大山脈」
  • アルバムで追う
  • 記録 アイドルガールグループ、初の「大賞」
  • メンバーのその後、特に「イ・ヒョリ」という現象
  • 2019年、14年ぶりの再結合と「캠ケン/ケム핑클ピンクルピンクル럽ロプ/キャンピングクラブ」
  • K-POP史における位置づけ
  • 韓国でのイメージ
  • ディスコグラフィー(主要作)
  • 余談
  • Fin.K.Lが残した曲たち バラードという武器
  • マルのひとこと

基本情報

項目 内容
グループ名 Fin.K.L(핑클ピンクル
名前の由来 Fine Killing Liberty
(自由を抑圧するすべてを終わらせる)
デビュー 1998年5月12日
所属 DSP(대성기획デソンギヘッ/現/デソンギフィッ)
メンバー 이효리イヒョリ
옥주현オクジュヒョン
이진イジン
성유리ソンユリ
公式カラー 펄ポル 레드レドゥ/パールレッド
ファンダム 핑키ピンキ/ピンキー
活動 1998〜2005(2019に再結合)
通称 国民の妖精
90年代ガールグループの二大山脈

メンバー

이효리イヒョリ|RED・国民の女神になった人
グループのビジュアルとセンター、そしてリーダー。
後に韓国を代表するソロスターへと飛躍する。
「10 Minutes」で社会現象を巻き起こし、2000年代の韓国でいちばん輝いた女性のひとりになった。
その後は済州島に移住し、動物愛護・環境・素朴な暮らしの象徴として再び国民的な存在に。
彼女の人生そのものが、ひとつの時代の物語だ。

옥주현オクジュヒョン|BLACK・歌の女王、ミュージカルの女王
グループのメインボーカル。
圧倒的な歌唱力でFin.K.Lのバラードを支えた。
実は、自由人のヒョリに代わって、グループの実質的なまとめ役を担っていたのも彼女だ。
解散後はミュージカルの世界へ進み、『アイーダ』『エリザベート』など数々の大作で主演を務める、韓国ミュージカル界のトップ女優になった。

이진イジン|BLUE・健やかな存在感
ダンスとビジュアルを担い、バラエティでは独特の天然キャラで愛された。
解散後は女優としても活動。
2016年に韓国系アメリカ人と結婚し、その後は芸能活動を離れてアメリカで暮らしている。

성유리ソンユリ|WHITE・妖精から女優へ
愛らしいビジュアルで「妖精」と呼ばれた最年少メンバー。
面白いことに、年下なのにグループ内の序列1位は彼女だったという。
後の「末っ子最強(막내ネ온탑オンタッ/マンネオンタッ)」という、ガールグループの伝統の、いわば元祖だ。
解散後は女優に転身し、ドラマや映画で活躍した。


結成秘話 最後の枠に、滑り込んだイ・ヒョリ

Fin.K.Lを生んだのは、DSP(大成企画)と、その創業者イ・ホヨン社長だ。
DSPはこの後、KARAなどを輩出し、韓国アイドル史に名を刻む事務所になっていく。

結成の物語で、どうしても語りたいのが、イ・ヒョリの加入だ。

実は、最初に決まっていた4人のデビュー組は、ソン・ユリ、イ・ジン、オク・ジュヒョン、そしてチェ・ウンジョンだった。
ところが、チェ・ウンジョンが録音中、プロデューサーに叱られて、つい暴言を吐いてしまう。
よりによって、マイクがオンのまま。
それが原因で、彼女はデビュー組を外れることになった(後にCLEOでデビューする)。

DSPは、最後の一枠を急いで探した。
そこに、デビューわずか1ヶ月前に滑り込んだのが、イ・ヒョリだった。

面白いのは、最初の顔合わせだ。
ヒョリは、先に決まっていた3人のプロフィール写真(当時のちょっと垢抜けない衣装)を見て、加入をためらったという。
ところが実際に会うと、残りの3人はヒョリの美しさに驚いた。
特にソン・ユリは、ヒップホップ姿に清純な顔立ちのヒョリを見て、心の中で「これは、いける」と思ったらしい。

後に韓国でいちばん有名な女性になる人が、ギリギリ最後に、滑り込むようにグループに入った。
運命というのは、いつもそういう細い糸の上にある。


妖精なのに、面白い 「自由」を体現したグループ

ここに、Fin.K.Lという存在の、本当の個性がある。

グループ名「Fin.K.L」は、Fine Killing Liberty の略。
意味は「自由を抑圧する、すべてを終わらせる」。
妖精のイメージとは裏腹に、ものすごく反骨的な名前だ。

そして彼女たちは、その名前の通りに生きた。

当時のガールグループは、「神秘主義」が当たり前だった。
手の届かない、夢のような、ミステリアスな存在。
ライバルのS.E.S.も、その路線だった。

ところがFin.K.Lは、真逆を行く。
おならもするし、大食いだし、バラエティで体を張って笑いを取る。
社長から「망나니マンナニ/暴れん坊姉妹」と呼ばれたほど、自由奔放だった。

これが、革命だった。

「妖精は、飲まず食わずで、ただ美しい」という当時の常識を、Fin.K.Lは笑い飛ばした。
歌って踊るだけでなく、バラエティで国民を笑わせる。
彼女たちは「개그테이너ゲグテイノ/ギャグテイナー걸그룹ゴルグルッ/ガールグループ」、つまり「お笑いもできるガールグループ」の、まぎれもない元祖になった。

「Fin.K.Lが番組に出ると視聴率が上がる」。
そう言われて、SBSが彼女たちの名前を冠した番組まで作ったほどだ。

S.E.S.が「憧れ」なら、Fin.K.Lは「親しみ」。
この「隣のお姉ちゃん」のような距離感は、後のKARAの「동창돌ドンチャンドル/同級生アイドル」路線へと受け継がれていく。
飾らないことを、武器にする。
それを最初にやったのが、Fin.K.Lだった。


S.E.S.との「二大山脈」

1998年5月、Fin.K.LはR&Bバラード「Blue Rain」でデビューした。

ここに、ライバルS.E.S.との明確な戦略の違いがある。
同時期にヒップホップ調の「I’m Your Girl」で攻めたS.E.S.に対し、Fin.K.Lはあえてバラードで登場した。
音楽性で真っ向から色を分けることで、二組は共存しながら覇を競った。

当時の10代は「S.E.S.派かFin.K.L派か」で語り合った。
男性側の「H.O.T. vs Sechs Kies」と並ぶ、1世代の黄金カードだ。

ただ、勝った負けたを数字で断じるのは野暮だろう。
大事なのは、この二組が並び立ったことで、韓国のガールグループ市場そのものが一気に成熟したこと。
ライバルがいたから、互いに高め合えた。
それは、どちらのファンも、きっと分かっている。


アルバムで追う

1집ジッ『Blue Rain』(1998年)
デビューアルバム。
Fin.K.Lの初期の武器は、オク・ジュヒョンのボーカルが牽引するR&Bバラードだった。
それを象徴するのがタイトル曲「Blue Rain」。
続くヒット曲「내 남자친구에게ナンジャチングエゲ/私の彼氏へ」は、より王道のポップソングで、当時の流行に乗った親しみやすい一曲。
さらに「루비ルビ/ルビー」も愛された。
バラードとポップ、その二枚看板でいきなり国民的人気を掴んだ。

2집チプ『White』(1999年)
約70万枚を売り上げた大ヒット作。
この2集から、二つのヒットが生まれた。
「영원한ヨンウォンハン 사랑サラン/永遠の愛」と「자존심ジャジョンシン/プライド」。
特に「자존심ジャジョンシン」は、今もFin.K.L屈指の名バラードとして、カラオケで歌い継がれている。
グループの人気が、本格的に爆発した一枚だ。

3집チプ『Now』(2000年)
韓国チャートで2位を記録した、人気絶頂期の作品。
よりダンサブルで華やかな方向へ進み、表現の幅を広げた。
そしてこのタイトル曲「Now」は、2017年、アメリカのBillboardが選ぶ「歴代最高のガールグループ曲100」に、堂々の88位で選ばれている。
20年近く前のK-POPが、世界の物差しで評価された。
これは、地味にとんでもないことだ。

3.5집チプ「당신은ダンシンウン 모르실거야モルシルゴヤ/あなたは知らないでしょう」(2001年)
ウェディングドレスのコンセプトで放ったこの曲は、地上波3社の音楽番組すべてで1位を獲る「グランドスラム」を達成。
次にこの記録が出るのは、なんと12年後のINFINITEだった。

4집チプ『Forever』(2002年)
Fin.K.Lとして最後のオリジナルアルバム。
タイトル曲「영원ヨンウォン/Forever」のバラードが、後から振り返ると切ない。
この活動を経て、彼女たちはそれぞれの道へ向かっていく。

デジタルシングル『Forever Fin.K.L』(2005年)
2005年のこの作品を最後に、Fin.K.Lは正式な「解散」を宣言することなく、各自の個人活動に入った。
このとき出した『Forever Fin.K.L』のDVDは、韓国のガールグループとして初めて制作されたDVDでもある。
解散ではなく、それぞれの旅立ち。
この「解散と言わなかった」姿勢が、後の再結合への伏線になる。


記録 アイドルガールグループ、初の「大賞」

Fin.K.Lには、忘れてはいけない記録がある。

彼女たちは、アイドルのガールグループとして、史上初めて「大賞(歌謡大賞)」を受賞したグループだ。
韓国の女性グループ全体でも、1969年のパール・シスターズ以来、実に30年ぶり、史上2組目の快挙だった。

「妖精」「親しみやすい」というイメージで語られがちだが、その実力と人気は、当時のシーンの頂点にあった。
笑いも取れて、大賞も獲る。
それが、Fin.K.Lだった。


メンバーのその後、特に「イ・ヒョリ」という現象

Fin.K.Lの物語は、解散後のほうがむしろ巨大になる。
とりわけイ・ヒョリの飛躍は、韓国芸能史に残る現象だった。

2003年8月、イ・ヒョリは1stソロアルバム『STYLISH…E hyOlee』でソロデビュー。
その中の「10 Minutes」が、社会現象を巻き起こす。
セクシーで自信に満ちたパフォーマンスは、それまでの「清純な妖精」のイメージを完全に塗り替えた。

彼女はCM界を席巻し、「이효리イヒョリ 신드롬シンドゥロン/イ・ヒョリ・シンドローム」という言葉まで生まれた。
アイドル出身のソロ歌手が、その年の大賞級の評価を受ける。
当時としては画期的な出来事だった。
「国民の女神」「韓国を代表するit-girl」。
その称号は、すべて彼女のものになった。

そして驚くべきは、その後の転身だ。
芸能界の頂点を極めたイ・ヒョリは、やがて済州島へ移住。
動物愛護、菜食、環境、素朴な暮らしを大切にするライフスタイルの象徴として、再び国民の心を掴んだ。
リアリティ番組『효리네ヒョリネ 민박ミンバッ/ヒョリの民宿』での飾らない姿は、華やかなスター時代とはまったく違う、新しい「国民的な好かれ方」を生んだ。

一人の女性が、二度まったく違う形で国民に愛される。
これは、本当に稀有なことだ。

他のメンバーも、それぞれの場所で輝いた。
オク・ジュヒョンは韓国ミュージカル界のトップ女優に。
ソン・ユリは女優として、イ・ジンも女優を経てアメリカでの生活へ。
4人の「その後」が、それぞれ充実していることも、Fin.K.Lが愛され続ける理由だ。


2019年、14年ぶりの再結合と「캠ケン/ケム핑클ピンクル럽ロッ/キャンピングクラブ」

2019年5月、Fin.K.Lは14年ぶりに完全体で活動を再開した。

その方法が、実にFin.K.Lらしかった。
派手な復活コンサートではなく、その夏、JTBCのバラエティ『캠핑클럽ケンピンクロッ/キャンピングクラブ』に出演。
4人がキャンピングカーで全国を旅し、昔を語り合うという、親密で素朴な内容だった。
メンバーは「これをビジネスにしない」と決め、ファンがより身近に再会を感じられる形を選んだという。

そして2019年9月、「남아있는ナンアイッヌン/ナムアイッヌン 노래처럼ノレチョロン/残っている歌のように」を発表。
2005年以来、実に14年ぶりの新曲となった。

儲けるためでも、話題作りのためでもない。
ただ「もう一度、4人で」という気持ちだけで集まった再結合。
それが、多くの人の胸を打った。


K-POP史における位置づけ

Fin.K.Lの功績は、大きく三つある。

ひとつは、S.E.S.とともに「韓国ガールグループ市場そのものを成熟させた」こと。
二組のライバル関係がなければ、韓国の女性アイドル文化はここまで早く確立しなかった。

ふたつは、「개그테이너ゲグテイノ
神秘主義が当たり前だった時代に、飾らず、笑いを取る親しみやすさを武器にした。
この路線は、後のKARAへと受け継がれていく。

みっつは、イ・ヒョリという「アイドル後のロールモデル」を生んだこと。
アイドルがグループ解散後にソロで国民的スターになる、その最初にして最大の成功例が彼女だった。

そしてもうひとつ、面白い事実がある。
「핑클ピンクル」という名前は、今や韓国で「固有名詞」として扱われ、誰も商標登録できないという。
事務所が2004年に登録を試みたが叶わず、今では「あの4人のグループ」として、法的にも誰のものにもならない名前になった。

自分の名前を取り戻すために12年も裁判を戦った神話(▶ 神話と僕。)とは、まったく対照的だ。
かたや、闘って取り戻した名前。
かたや、誰にも奪えないほど愛されて、固有名詞になった名前。
名前の守られ方にも、それぞれの物語がある。

そしてDSPは、この後SS501、KARAなどを輩出していく。
Fin.K.Lは、DSPという事務所の礎でもあった。


韓国でのイメージ

韓国でFin.K.Lは、「国民の妖精」「90年代の青春」として、深い愛情とともに記憶されている。

特に「자존심ジャジョンシン」「영원한ヨンウォンハン 사랑サラン」といったバラードは、世代を超えて歌い継がれる名曲だ。
そしてイ・ヒョリが今なお国民的な存在であり続けていること、オク・ジュヒョンがミュージカルの女王であり続けていることが、Fin.K.Lの名前を「過去」にしない。

2019年の『캠핑클럽ケンピンクロッ』が大きな反響を呼んだのも、4人への愛情が25年経っても色褪せていない証拠だ。

S.E.S.が「洗練された憧れ」なら、Fin.K.Lは「親しみと共感」。
韓国の人々にとって、Fin.K.Lは遠いスターではなく、自分たちの青春のすぐ隣にいた4人の妖精なのだ。


ディスコグラフィー(主要作)

集 タイトル 年 特記 記事
1집チプ Blue Rain 1998 デビュー・「내 남자친구에게ナンジャチングエゲ」 準備中
2집チプ White 1999 「영원한ヨンウォンハン 사랑サラン」「자존심ジャジョンシン」約70万枚 準備中
3집チプ Now 2000 「Now」韓国2位・Billboard 88位 準備中
3.5집チプ 당신은ダンシンウン 모르실거야モルシルゴヤ 2001 地上波3社グランドスラム 準備中
4집チプ Forever 2002 「영원ヨンウォン」最後のオリジナル 準備中
デジタルシングル Forever Fin.K.L 2005 個人活動へ・初の걸그룹ゴルグルッDVD 準備中

余談

グループ名「Fin.K.L」はFine Killing Libertyの略。
「自由を抑圧するすべてを終わらせる」という、妖精らしからぬ挑戦的な意味だが、彼女たちは本当にその通りに自由だった。

実は、グループの実質的なまとめ役はオク・ジュヒョンで、序列1位は末っ子のソン・ユリだったという。
「末っ子最強」という、今のガールグループの伝統の元祖が、ここにある。

「자존심ジャジョンシン」は、今もカラオケで歌い継がれるFin.K.L屈指の名バラード。

2019年の再結合を「ビジネスにしない」と決めた4人の姿勢は、韓国で深い共感を呼んだ。


Fin.K.Lが残した曲たち バラードという武器

Fin.K.Lをひとことで言うなら「バラードが本当に上手いガールグループ」だ。
オク・ジュヒョンの圧倒的なボーカルを軸に、彼女たちは何度もチャートを制した。
その代表が「자존심ジャジョンシン(プライド)」だ。
失恋した女性が自分のプライドを守ろうとする歌詞は、今もカラオケで歌い継がれ、世代を超えて共感を集める。

「영원한ヨンウォンハン 사랑サラン(永遠の愛)」は、壮大なサビのスケール感が特徴的だ。
バラードでありながら、スタジアムを満たせるような高揚感がある。
オク・ジュヒョンの声が、この曲の感情の振れ幅を完全に支配していた。

そして「당신은ダンシンウン 모르실거야モルシルゴヤ(あなたは知らないでしょう)」。
ウェディングドレス姿で、まるで初めての恋のように瑞々しく歌う四人の姿は、当時の韓国の視聴者に鮮烈な印象を刻んだ。
地上波3社グランドスラムという記録は、映像の完成度と楽曲の強さが一致した結果だった。

バラードで大賞を獲り、バラードでグランドスラムを達成し、バラードで時代を語る存在になった。
飾らない自由さとコメディセンスが表の顔なら、上質なバラードは裏の武器だった。
その二面性こそが、Fin.K.Lという唯一無二のグループの本当の強さだったのかもしれない。
そしてその両方を持ったグループは、後にも先にも彼女たちだけだ。


マルのひとこと

Fin.K.Lは偉大だ。

でも、イ・ヒョリがもっと偉大だ。

普通、グループは解散したら少しずつ忘れられていく。
でもFin.K.Lは逆だった。
イ・ヒョリは国民の女神になった。
日本だとどうだろう、SMAP解散の後に木村拓哉が大ブレイク的な感じかな。

さらに、4人がそれぞれの場所で、ちゃんと幸せそうに輝いている。
だから「あの妖精たち、今どうしてるんだろう」じゃなくて、「あの人たち、今もすごいよね」と言える。

そして2019年、お金のためでも話題のためでもなく、ただ4人でキャンピングカーに乗って旅をした。
あの飾らなさが、Fin.K.Lのすべてを物語っている気がする。
妖精は、年を重ねても妖精のままだった。

うりぬん、パールレッドのピンキーを忘れない。

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