▶ アーティストページ:Kid Milliと僕。
2016年2月3日。
Kid Milliという男の、一番最初の3曲。
目次
- 作品概要
- はじまりの3曲
- 2016年という時代
- 各曲紹介
- Kid Milliのラップスタイルについて
- Indigo Musicというレーベル
- 総評
- 余談
- 2016年の韓国ヒップホップシーンの空気
- ヒップホップのデビュー作が持つ独自のルール
- デビュー作から学ぶ、Kid Milliのラップ哲学
- 「10:41」の謎と、謎が持つ力
- デビュー作を聴く意味
- 「3曲しかない」という強さ
- アーティストの「最初の声」が持つもの
- マルのひとこと
作品概要
発売日:2016年2月3日
形態:デビューシングル(全3曲)
ジャンル:ヒップホップ / トラップ
所属:Indigo Music
Kid Milli:ラップ・作詞
客演:DSEL(「10:41」)
はじまりの3曲
アーティストの「最初の一作」には、独特の価値がある。
まだ誰にも知られていなくて、売れる売れないも関係なくて、ただ「これが俺だ」とだけ言いたかった頃の音。
Kid Milliにとって、それがこの『TN』だ。
後の彼は、SMTM777で全国区になり、バラエティで愛され、ファッションアイコンになる。
その全部が始まる前の、いちばん最初の声がここにある。
3曲しかない。
でも、3曲で十分だった。
2016年という時代
2016年の韓国ヒップホップシーンを振り返ると、「Show Me The Money 5」が大きなインパクトを与えた年だった。
BewhYがその年のSMTM5で優勝し、シーン全体が活性化していた。
アンダーグラウンドから大衆の舞台へ、という動きが加速していた時期だ。
Kid Milliがデビューした2016年2月は、そのSMTM5の放送よりも前だ。
まだKid Milliの名前を知る人は少なかった。
Indigo Musicというレーベルの名前を知っていれば「あのレーベルの新人か」という反応はあったかもしれない。
しかし全国区には程遠い。
その状況で、彼は「これが俺の音楽だ」と言い切る3曲をリリースした。
23歳のデビュー。
韓国では스물셋(スムルセッ)、つまり23歳での出発だ。
遅いとも早いとも言えない年齢だが、すでに「これが俺だ」と言い切れるだけの自分のスタイルを持っていた。
その自信の根拠が、この3曲には滲んでいる。
各曲紹介
01 내 음악은 내 음악 / 俺の音楽は俺の音楽
Kid Milliの第一声がこのタイトルだ。
これ以上ないほどまっすぐな宣言。
「俺の音楽は俺の音楽」という、誰かの真似でも、流行に乗ったものでもない、自分だけの音楽を作るという意志表明がタイトルそのものになっている。
デビュー曲でこれを言い切れるということは、それだけ自分への信頼があったということだ。
音の遊びは激し目で、ただ感情を歌うのではなく言葉そのものを玩具にするような感覚が早くも出ている。
23歳のKid Milliが過去の自分に語りかけ、その23歳が未来の自分と対話する構造は、時間の輪を作るような独特の感覚だ。
「昔の俺に言いたいことがある」という形式のラップは珍しくないが、Kid Milliの場合、それが説教くさくならないのが特徴だ。
過去・現在・未来が同じ地平に並んでいて、どれかが偉くて他が劣るという関係性がない。
韓国語の音の響き、フロウの崩し方、英語と韓国語の混ぜ方。
後に「Kid Milliらしさ」と呼ばれるようになるすべての要素が、デビュー曲の時点でほぼ完成形で出てきている。
本当の意味での「天才のデビュー」とはこういうものかもしれない。
02 10시41분 / 10時41分 feat. DSEL
「10時41分」という、妙に具体的な時刻をタイトルにした一曲。
客演はDSELで、Indigo Music仲間との共演だ。
この具体的な時刻に何があったのか。
歌詞の中でも明確には語られない。
「10:41に何があったのか教えてくれ」というリクエストを何度もSNSで受けたらしいが、Kid Milliは一貫して説明しなかったと言われている。
説明しすぎないこの感覚こそが、いかにもKid Milliらしい。
「11:11」という、願い事を叶えてくれると言われる時刻が世界中でポップカルチャー的に使われる中、Kid Milliは「10:41」という誰も特別な意味を与えていない時刻を選んだ。
そのずらし方が好きだ。
ロマンチックな時刻を選ぶのが「らしくない」と思ったのかもしれないし、ただ自分の記憶の中の具体的な時刻が10:41だったのかもしれない。
いずれにせよ、Kid Milliらしい選択だ。
ジャジーなトラックにKid Milliのフロウが刺さる感覚が気持ちいい。
2016年時点のDSELとKid Milliの掛け合いは荒削りだが、それが逆に「あの頃の熱」として機能している。
03 새벽 / 夜明け
邦題は「夜明け」。
必殺の「説明しすぎない」スタイルが炸裂するトラックで、正直なところ理解不能な部分もある。
でもそれで良いと思わせるのがKid Milliの魔法だ。
説明なさすぎて理解不能はご愛嬌ㅋㅋ、と笑える程度には受け入れられている。
R&Bを感じる前半と、ノイジーな独り言が続く後半で、まったく表情が変わる。
前半はメロウで、夜明け前の静けさが漂う。
後半は一転して混沌としていて、頭の中でひとりごちているような乱れた言葉が続く。
夜明けという時間帯が持つ両面性、つまり静けさとざわめきを一曲の中で体現している。
個人的には前半のR&B的な部分が好きだ。
かなり良き、という言葉以外に適切な表現がない。
ノイジーな後半のかっこよさも捨てがたいが。
Kid Milliのラップスタイルについて
この3曲を聴くと、Kid Milliというラッパーの特徴がよく分かる。
まず、フロウの崩し方が独特だ。
ビートに対してきっちりハメるのではなく、意図的にずらしたり、溜めたりする。
そのずれが不快ではなく、むしろ快感になっている。
これは技術の問題であり、同時にセンスの問題でもある。
ただずらせばいいわけではなく、「どこでずらすか」「どのくらいずらすか」の判断が、そのまま個性になる。
次に、言葉の選び方だ。
韓国語の中に英語を混ぜるのは現代の韓国ヒップホップでは当然のことだが、Kid Milliの混ぜ方は量でも場所でも独特だ。
日本語も混じる。
それが違和感なく自然に聞こえるのは、彼の語感の良さによるものだ。
そして、感情の表現方法だ。
多くのラッパーは怒り、プライド、欲望を前面に出す。
Kid Milliもそれをやるが、同時に「愛」や「孤独」も語る。
しかもそれをドラマチックに演出するのではなく、日常の言葉の中に混ぜ込む。
「愛しかないから愛だけあればいい」というラインは、この3曲にはないが、後の作品で繰り返し登場するテーマで、その萌芽はここにある。
Indigo Musicというレーベル
Kid Milliのデビューを理解するためには、Indigo Musicというレーベルについて触れる必要がある。
Indigo Musicは韓国のインディーヒップホップを代表するレーベルのひとつで、アーティストの個性を尊重する姿勢で知られている。
大手レーベルのような資本はないが、その分アーティストが自分の音楽を自由に作れる環境がある。
DSELもこのレーベルの所属で、Kid Milliがデビューシングルに客演として呼んだのも、同じ場所にいる仲間だったからだ。
インディーズから全国区へ、という軌跡は韓国ヒップホップの歴史の中で何度も繰り返されたが、Kid Milliのそれは特に鮮明だ。
2016年に3曲でひっそりとデビューし、2018年のSMTM777で一気に知名度を上げる。
その2年間、彼はIndigo Musicの空気の中で自分の音楽を磨いていた。
総評
『TN』は、Kid Milliの「ゼロ地点」だ。
3曲しかないこのシングルには、まだ何も足されていない、何も削られていない、混じりけのないKid Milliがいる。
崩れたフロウ、意味を説明しすぎない言葉、自分の音楽への自負。
後に彼を「分類できない異才」にする要素の種が、すべてここに蒔かれていたと言える。
完成度で言えば、後の『AI, THE PLAYLIST』や『Beige』の方が断然上だろう。
でも「はじまり」は、完成度では測れない。
誰も知らなかった頃の、この3曲の手探りの熱は、後からは絶対に作れない。
Kid Milliを深く知りたいなら、ここから聴くのも悪くない。
Kid Milliのすべては、この2016年2月3日から始まった。
余談
個人的に言えば、断然3曲目の前半が好きだ。
口は良くないし(悪いし)、才能は充分見える。
스물셋(23)でデビューか、大人だ。
11:11じゃなくて10:41。
Kid Milliらしい。
日本語入ってなくない?くらい。
でも後の作品を知ってから聴き直すと、確かにその種が見える。
種は、花が咲く前は地味だ。
だからこそ「花が咲いた後」に種の時代に戻ることが面白い。
2016年の韓国ヒップホップシーンの空気
Kid Milliがデビューした2016年は、韓国ヒップホップにとって重要な転換点の年だった。
「Show Me The Money 5」(2016年)は、BewhYが優勝したことで特に記憶される。
BewhYは宗教的・哲学的な歌詞を持ちながら、圧倒的な技術でオーディエンスを圧倒した。
その年のSMTM5の放送は、アンダーグラウンドのラッパーたちを一気に全国区へと押し上げる装置として機能した。
一方でSMTM5に参加しなかったラッパーたちも、それぞれの場所で音楽を作り続けていた。
Kid Milliもその一人だ。
テレビの舞台に上がらなくても、自分の音楽を出し続けることで存在を示す。
その選択が、後のSMTM777での評価とデビュー作の純粋さを両立させることになる。
Indigo Musicというレーベルの存在も、この文脈で重要だ。
大手メジャーレーベルとは異なるインディー精神を持つこのレーベルは、所属アーティストが自分のペースで音楽を出せる環境を提供していた。
3曲でデビューし、4ヶ月後にEPを出し、2年後に1stフルアルバムを出す、というKid Milliのペースはその環境なしには成立しなかった。
2016年の韓国ヒップホップシーンは、テレビの舞台と路地裏のアンダーグラウンドが並走していた。
Kid Milliの『TN』は、その路地裏から生まれた声だ。
テレビに向かわずに、ただ「これが俺の音楽だ」と言い続ける声。
その声が2年後にテレビの舞台に上がるとき、路地裏の声のままの強さを持っていた。
ヒップホップのデビュー作が持つ独自のルール
ヒップホップというジャンルにおいて、デビュー作は特別な意味を持つ。
バンドやシンガーソングライターのデビュー作と違い、ラッパーのデビュー作は「俺はこういう人間だ」という自己紹介の側面が強い。
どんなフロウを使うか、どんな言葉を選ぶか、誰と組むか、これらすべてが「俺はこういうラッパーだ」という宣言になる。
Kid Milliの場合、デビュー曲のタイトルが「俺の音楽は俺の音楽」というほぼ宣言そのものだった。
普通は宣言を曲の中に込めるが、Kid Milliはタイトルの時点で宣言している。
その直接さが、彼のスタイルの核心を示している。
「10:41」という具体的な時刻を持つ曲2曲目は、「意味を説明しない」という逆説的な宣言だ。
「この時刻に何があったの?」という質問をするとき、リスナーはすでにKid Milliの世界に引き込まれている。
答えが分からないままでも、その引力が残る。
それがKid Milliというラッパーの最初の「技」だった。
デビュー作から学ぶ、Kid Milliのラップ哲学
この3曲を通して、Kid Milliのラップ哲学がどういうものかが浮かび上がってくる。
第一に、「説明しすぎない」という姿勢だ。
タイトルの意味を説明しない。
歌詞の背景を説明しない。
「10:41に何があったのか」を問われても答えない。
リスナーに委ねる、というより、「気になるなら自分で考えろ」という態度だ。
これはアーティストとしての自信の表れでもあり、リスナーへのある種の挑戦でもある。
第二に、「自分の音楽は自分が決める」という宣言だ。
デビュー曲のタイトル「俺の音楽は俺の音楽」が、そのまま彼の哲学になっている。
誰かの期待に応えるために音楽を作るのではなく、自分が出したいものを出す。
この姿勢は後のアルバムでも一貫していて、SMTM777で全国区になった後も変わらなかった。
第三に、「言語そのものを玩具にする」感覚だ。
韓国語、英語、時に日本語まで、言語の境界を軽々と越えながら、音の面白さを追求する。
「何語を使うか」ではなく「この音の組み合わせが気持ちいいか」を優先する。
その結果、翻訳不可能な「Kid Milliの音楽」が生まれる。
「10:41」の謎と、謎が持つ力
「10:41」という時刻について、もう少し考えてみたい。
世の中には、特定の時刻に特別な意味を見出す文化がある。
「11:11」は世界中で「願い事の時刻」として知られている。
時計を見て11:11だったら願い事をする、という習慣は日本でも韓国でも欧米でも見られる。
「4:44」はJay-ZがアルバムタイトルにするほどBigな数字の組み合わせで、「4」が繰り返す特別感がある。
でも「10:41」には、そういう文化的な特別感がない。
誰も「10:41に何かが起きる」と思っていない。
だからこそ、Kid Milliがこれをタイトルにした時、「10:41に何があったの?」という純粋な疑問が生まれる。
「11:11」だったら「願い事の時刻か」で終わるが、「10:41」では終われない。
この「終われない感覚」こそがKid Milliの狙いだったかもしれない。
リスナーが曲のタイトルで立ち止まり、「この時刻に何があったのか」と考え始める。
その瞬間から、リスナーはすでにKid Milliの世界に入っている。
謎を謎のままにしておくことで、曲の外側に広がる余白が生まれる。
その余白に、リスナーは自分自身の「10:41の記憶」を持ち込むことができる。
あなたにとっての「10:41」は何だろうか。
Kid Milliがその答えを教えてくれない代わりに、この問いがあなたの中に残る。
デビュー作を聴く意味
アーティストのデビュー作を聴くことには、独特の価値がある。
完成度の高い後期の作品を聴いてから、デビュー作に遡る。
すると「あの要素の原型がここにある」という発見がある。
後の作品で磨かれた技術の荒削りな最初の形が、デビュー作には残っている。
種が花になる前の姿を見るような体験だ。
逆に、デビュー作から聴き始めて後の作品に進む場合、成長の軌跡が鮮明に見える。
「2016年はこうだったのに、2018年にはここまで進化した」という比較の楽しさがある。
どちらの方向から聴いても、デビュー作『TN』はKid Milliという地図の重要な基点になる。
ここを知らずして「Kid Milliを知っている」とは言いにくい、そういう一枚だ。
「3曲しかない」という強さ
デビュー作が3曲しかないということは、弱点ではない。
多くのアーティストが、デビュー作でできる限り多くの曲を詰め込もうとする。
自分の音楽の多様性を示したい、リスナーに多くの面を見せたい、という意図があるからだ。
しかし3曲という選択は、「これだけあれば伝わる」という自信の表れでもある。
「俺の音楽は俺の音楽」で自分の哲学を宣言し、「10:41」で謎を提示し、「새벽(夜明け)」で世界観を広げる。
3曲でその構造が完成している。
これ以上の曲を入れる必要がなかった。
あるいは、入れなかった。
デビューしたばかりのアーティストが3曲を選んで世に出す。
その「選択の潔さ」が、Kid Milliというアーティストの最初のメッセージだったのかもしれない。
「俺の出したいものだけを出す、それ以上でもそれ以下でもない」という宣言が、3曲という枚数そのものに込められている。
アーティストの「最初の声」が持つもの
どんなアーティストにも「最初の声」がある。
その声は後の完成形と比べれば未熟な部分があるかもしれない。
でも未熟さの中に、後から作ることのできない「はじまりの熱」がある。
Kid Milliの場合、デビュー作『TN』の「はじまりの熱」は特別に高い。
自分の音楽を信じる強さ、説明しすぎない潔さ、言語遊びのセンス。
これらはすべて後の作品でも変わらないが、デビュー作ではそれが余計なものを何も含まずに出てきている。
混じりけがない。
これが「ゼロ地点」と呼ぶ所以だ。
2016年2月3日。
この日、一人の23歳が「俺の音楽は俺の音楽」と言い切った。
その宣言は、今日まで変わっていない。
ヒップホップという音楽の面白さのひとつは、アーティストの「宣言」を音楽として記録できることだ。
「これが俺だ」という言葉を、フロウとビートに乗せることで、その瞬間の空気が永遠に保存される。
Kid Milliの「俺の音楽は俺の音楽」という第一声は、2016年2月3日の彼の状態の永遠の記録だ。
どれだけ時間が経っても、この声は変わらない。
23歳のKid Milliが、ここに声として存在し続ける。
そういう意味で、デビュー作を持つアーティストを好きになるということは、そのアーティストの「永遠の始まり」に触れることができるということだ。
Kid Milliが好きになったなら、ぜひ『TN』に遡ってほしい。
そこに、すべての始まりがある。
韓国のヒップホップシーンは、アーティストの初期作品へのアクセスが比較的容易だ。
Spotifyや各配信プラットフォームで、2016年のデビュー作がすぐに聴ける。
そのアクセスのしやすさが、「後から遡る」という体験を可能にしている。
今の時代に音楽を聴くということは、時間を自由に行き来できるということだ。
Kid Milliの2016年にも、今すぐ行けるのだ。
その2016年2月3日に会いに行くたびに、最初の声の強さを確認できる。
「俺の音楽は俺の音楽」という第一声は、何度聴いても揺るがない。
배포 플랫폼(ベポ・プルレットポム/配信プラットフォーム)の充実した今の時代だからこそ、2016年の音楽に2025年に出会える。
時間の壁が低くなった世界で、Kid Milliのゼロ地点を訪れることは誰にでもできる。
その気軽さが、韓国ヒップホップのアーカイブを辿る楽しさの一つだ。
マルのひとこと
全国区になったKid Milliを知ってから遡ってこのデビュー作に辿り着いたとき、「あ、最初からこういう人だったんだ」という確認の喜びがあった。
3曲しかないのに、もうすでにKid Milliだった。
デビュー作に全部入っているアーティストって、強いと思う。
Kid Milliは間違いなくそういうアーティストだ。
2016年2月3日のこの3曲を聴けば、それが分かる。
10:41の謎が解けなくても、その謎ごと好きになれる。



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