1TYMと僕。 원타임와나

1世代

ある音楽が世界を席巻するとき、その背後には必ず「翻訳者」がいる。

外国の音楽をそのまま輸入しても、その国の言葉には乗らない。
リズムが合わない。
発音がはまらない。
誰かがその間に立って、異国の音楽を母国語の体に作り変える作業をしなければならない。

1990年代後半の韓国で、その翻訳の仕事を一人で背負った男がいる。
名前をTeddy(테디/テディ)という。
彼が在籍したグループの名を、1TYM(원타임/ウォンタイム)という。

そして30年後、そのうちの一人は世界的プロデューサーになり、別の一人は済州島でカフェを営んでいる。
その振れ幅も含めて、個人的にも大好きなこのグループの話をしたい。


基本情報

項目内容
グループ名1TYM(원타임/ウォンタイム)
名前の由来One Time For Your Mind(Perryの発案)
デビュー1998年11月5日
Mnet『リズム天国』が初舞台
活動休止2006年〜(事実上の解散)
所属YGエンターテインメント(当時:ヤングン企画)
ジャンルヒップホップ
ファンダムHip Hop Village
略して「ヒッビル」/後に「ウォンタイマー」
公式カラー
特記事項YGヒップホップの礎。
リーダーは後の世界的プロデューサーTeddy

メンバー

このグループ、8年の活動で売上2105億ウォンを叩き出した。
だが本当に面白いのは、その後に4人がたどった道のあまりの違いだ。
まずは一人ずつ紹介したい。

테디(Teddy/本名:パク・ホンジュン 박홍준)|後の世界的プロデューサー

韓国系アメリカ人。
カリフォルニアで本場のヒップホップを浴びて育った。
1TYMのリーダーとして作詞作曲を担い、解散後はYGを代表するプロデューサーへ。
活動中盤からすでに頭角を現していて、ソ・テジの匂いをまといつつ、後のG-DRAGONのモデルになったような存在だ。
現在のメンバーの中で、最も大きく「化けた」一人。
詳しくは後述する。

오진환(オ・ジンファン)|済州島のカフェオーナー

YG専属の男性ダンスチーム「HITECH(하이테크)」のダンサー出身。
2006年の入隊を機に1TYMは活動休止に入った。
解散後はソン・ベッキョンと飲食店を営み、現在は済州島(제주도/ジェジュド)でカフェを営んでいる。
ステージから島の暮らしへ。
その転身もまた、ひとつの人生だ。

송백경(ソン・ベッキョン)|元・声優、そして日本語の学徒へ

実は最初に練習生として選ばれたのが彼で、1集の音楽的な中核を担った人だ。
2016年に結婚し、2人の息子の父に。
2019年にKBSの声優試験に合格し、2021年からフリーランスの声優として活動。
2025年12月に声優業の引退を表明した。
さらにその後、サイバー韓国外国語大学の日本語学部に26학번(2026年入学)として入り直し、日本語の修士・博士を目標に学業に打ち込んでいるという。
ラッパー→声優→日本語の学徒。
この振れ幅が、もう一人の主役だ。

そして2026年6月4日、彼は21年ぶりに1TYMを正式に脱退することを表明した。
最後の5集から、ちょうど21年。
新たな道へ進むにあたって、自らの手で過去にきれいな区切りをつけた、という形だ。
これにより、1TYMは現在、3人のグループになっている。

Danny(대니/デニ/本名:テビン 태빈)|アメリカで二児の父

Teddyとカリフォルニア時代からの友人で、共にYGの門を叩いた。
メインボーカル兼ビジュアル担当で、活動中は最も人気を集めたメンバー。
現在はアメリカで2人の子の父として暮らしている。
ちなみに4人の中で、唯一「再結合の可能性」に含みを残しているのが彼だ。
2012年のインタビューで「1TYMは正式に解散したわけじゃないから、不可能なことではない」と語っている。


デビュー前史 7人組「MF New Group」の時代

1TYMは、いきなり4人組で現れたわけではない。

1990年代半ば、ヤングン企画(後のYG)のヤン・ヒョンソクは、最初のボーイグループ「Keep Six」の不振を挽回する新グループのメンバーを探していた。
最初に練習生として選ばれたのがソン・ベッキョン。
次にカリフォルニアで独自に音楽をやっていた友人同士のTeddyとDannyが合流。
最後に専属ダンスチームHITECHのダンサー、オ・ジンファンが加わって、見慣れた4人の顔ぶれが固まった。

彼らはデビュー前、社内の他の練習生たちと7人組「MF New Group」として一時活動している。
この時期に지누션(JINUSEAN/ジヌション)の「How Deep is Your Love」などのMVに出演して顔を売った。
その後、3人(オ・ヨンジュ/キム・ボグク/クォン・ミョンイル)が抜けて4人組に。
約2年の準備期間を経て、ようやく1TYMとしてデビューした。

ちなみに、抜けたメンバーのキム・ボグクは、後にドラマ『学校4』などで俳優になっている。
人の縁というのは、どこで枝分かれするか分からない。


YGが本気で作った3番目のグループ、そして「빅뱅の原型」

1TYMは、YGがKeep Six、JINUSEANに続いて本格的に企画した3番目のグループだった。

ヤン・ヒョンソクがソ・テジとアイドゥルの解散後に立ち上げたこの事務所は、まだ若く、これからヒップホップで勝負しようとしていた。
その中核として送り出されたのが1TYMだ。

ここで、後の歴史を知る僕らには見逃せない事実がある。
1TYMのメンバー構成を見てほしい。
作詞作曲を担うラッパー兼プロデューサー(Teddy)、ボーカル兼ビジュアル(Danny)、メインダンサー(オ・ジンファン)。
これは……後のBIGBANGとそっくりなのだ。
「YGスタイル」と書いている。
ヒップホップを土台にした男性アイドル/ダンスグループの“原型”が、ここにある。
BIGBANGの設計図は、その10年近く前に1TYMで一度引かれていた。


1集 One Time For Your Mind(1998年11月)

  1. 1TYM {TITLE}
  2. 君を起こす|널 일으켜|Wake You Up
  3. 脱出|탈출|Escape
  4. GOOD LOVE
  5. FALLING IN LOVE
  6. 何のための世界か|뭘 위한 세상인가|What’s This World For
  7. My Life
  8. HEAVEN
  9. 僕を待って|나를 기다려|Wait For Me
  10. 君を捨てるな feat. ヤン・ヒョンソク、PERRY|널 버리지마|Don’t Throw You Away

デビューアルバム。
メインプロデューサーはソン・ベッキョンとPERRY(페리/ペリ)が中心で、Teddyの全面開花はもう少し先になる。

注目すべきは、その立ち上がりの速さだ。
デビューからわずか51日目で音楽番組の1位を獲得した。
最終販売枚数は232,418枚。
新人ヒップホップグループとして、当時の韓国では破格の成功だった。

ヒップホップがまだ「一部の若者の音楽」だった韓国で、1TYMはそれをお茶の間に届けた。
これは日本で言えば、日本語ラップがまだアンダーグラウンドだった時代に、いきなりお茶の間のヒットチャートに食い込んだようなものだ。
事実上、YGが初めて商業的に大成功させたチームでもあった。

余談だが、彼らがステージで使っていたタオルが社会現象級の流行を生んだ。
公式の応援グッズも、1TYMのロゴ入りタオルだった。
ペンライトではなくタオル。
そこにヒップホップアイドルらしさが出ている。

1999年 ―― YG Familyの一員として

1999年、YG Family初のアルバム『Famillenium』に正規ラインで参加。
タイトル曲「우리는/ウリヌン YG Family」で活動した。
「우리는 YG! 패밀리 패밀리 패밀리〜」という、妙にクセになる中毒性のあるフックで大衆にもウケて、21万枚を売り上げた。
YGという“ペミリ”が、ヒップホップで一枚岩になっていく時代の空気が詰まっている。

2集 2nd Round(2000年) 音楽・広告・バラエティを席巻

  1. 悪|악(惡)|Evil
  2. 黒と白(Interlude)|흑과 백|Black and White
  3. Ready Or Not Yo! feat. SWi.T(Kor ver.) {TITLE}
  4. ケジナチンチン|쾌지나 칭칭|Kwaejina Ching Ching
  5. 救いようのない|구제불능|Hopeless
  6. One Love {TITLE}
  7. 21世紀って何だ|21세기란게 뭐야|What Is The 21st Century
  8. 1tymillenium
  9. 向かいゆく|향해가|Heading
  10. あなたと僕、僕らは永遠にひとつ!|너와 나 우리 영원히 또 하나!|You And Me Forever As One!
  11. Ready Or Not Yo! ※feat. JINUSEAN、PERRY(Eng ver.)

2000年リリースの2ndが、1TYMを国民的グループに押し上げた。

代表曲はTeddy作詞作曲の「One Love」と「쾌지나 칭칭(ケジナチンチン)」。
後者は韓国の伝統民謡のフレーズをヒップホップに溶かし込んだ曲で、「アメリカの音楽を韓国語の体に作り変える」というTeddyの才能が早くも開花した一曲だ。
ちなみにこの曲、トロットの大御所태진아(テ・ジナ)と特別ステージをやっていて、フックが「テ・ジナ チンチン」に聞こえる、というお茶目な縁もある。

2000年10月時点で販売枚数275,618枚。
ペペロのCMモデルになり、「차力少年ウォンタイム」というゴールデン帯の単独バラエティまで持った。
テレビをつければ1TYMがいる、そういう時代だった。

国民的ヒット曲 今でもテレビ見てたらたまに流れてる

マル的には2集の中でベスト曲

このアルバムには、エピソードがある。
「One Love」がSBS『人気歌謡』で1位候補になったとき、ライバルは백지영(ペク・チヨン)の「DASH」だった。
前週はDASHが3位、One Loveが5位。
メンバー全員、「今日はペク・チヨンさんが1位だ」と思い込んでいた。
ところが読み上げられたのは、1TYMの名前。
4人とも、想像もしていなかったという顔で、号泣した。
Teddyの受賞コメントが最高だ。
「当然ペク・チヨンを祝うつもりだったので、1位だなんて思ってなくて、用意した感想がありません。ただ、僕を含めた1TYM全員の親に感謝します」。
こういう不器用な瞬間に、人は惚れる。


3集 Third Time Fo’ Yo’ Mind(2001年) 酷評、そして再評価

  1. Nasty
  2. Hello!?
  3. うわ!|우와!|Escape
  4. Make It Last
  5. 昨夜の話 | 어젯밤 이야기 | Last Night Story
  6. Hip Hop Kids
  7. 母|어머니|Mother {TITLE}
  8. Bus
  9. Sucky Busty|나를 기다려|Wait For Me
  10. (Hidden Track)

    ※4 編曲DANNY
    ※5 作詞パク・ガンホ,TEDDY 作曲イ・ホジュン
    ※6 作詞TEDDY,ソン・ベッキョン
    ※9 作詞ソン・ベッキョン 作曲 Ray Parker Jr.,TEDDY
    ※10 作詞作曲編曲 ソン・ベッキョン,オ・ジンファン
    上記記載以外の作詞作曲編曲全てTEDDY単独。

2001年の3rdは、1TYMにとって、いや、Teddyにとって決定的な作品になった。

意義は明確だ。
YGファミリーの他メンバーや外部の人間を一切入れず、メンバーだけで作った最初のアルバムであり、メインプロデューサーをTeddyが務めた。
ここでTeddyは「メンバー」から「プロデューサー」へと脱皮した。
後に彼が成し遂げる仕事の原型は、すべてこの3集にある。

ただ、正直に書いておきたい。
当時の評価は、決して芳しくなかった。
ヒップホップ系のコミュニティでは「その年最悪のヒップホップアルバム第2位」に挙げられ、酷評を浴びた。
特に소방차/ソバンチャ(消防車)の「어젯밤 이야기/オジェッパン イヤギ」をリメイクした曲が「最悪だ」と叩かれた。
それでもタイトル曲「어머니/オモニ(母)」はチャートの中上位に食い込み、独特の遊び心あるリズムで「1TYMだけの色」を作ることには成功している。
販売枚数13万枚は、平均以上。
そして面白いのは、この3集が後年になって「むしろ良い」と再評価されていくことだ。
当時の酷評には、派閥に分かれたリスナーの叩き合いや、オーバーグラウンド勢への過小評価という時代背景もあった。
名作の評価は、時間をかけて確定する。


4集 Once N 4 All(2003年) 第2の全盛期

  1. Freeflow
  2. Uh-Oh!
  3. 離れよう|떠나자|Let’s Leave
  4. Hot 뜨거(アッツ熱) {TITLE}
  5. 昨夜の話 | 어젯밤 이야기 | Without You
  6. 泣きたいな | 울고싶어라 | Cry
  7. Danny’s Interlude
  8. Everyday And Night
  9. Sucky Busty|나를 기다려|Kiss me
  10. It’s Over
  11. Teddy’s Interlude
  12. OK feat. REXY
  13. Put’em Up (Danny Solo)

    ※7 作詞DANNY 作曲編曲PERRY
    ※9 作詞チェ・ガッウォン 作曲編曲ユン・スンファン
    ※10 作詞1TYM 作曲編曲PERRY
    上記記載以外の作詞作曲編曲全てTEDDY単独。

長い空白を破って、Teddyのプロデュースで完成した4集。
アップビートなヒップホップにレゲエを乗せた「Hot 뜨거(ハッ トゥゴ)」と、感情的なバラード「Without You」をダブルタイトルに据えた。
この2曲が同時にヒットし、各種チャートと音楽番組で何度も1位を独占。
まさに大爆発だった。
後続曲「Cry(울고싶어라)」も10位圏に入り、152,393枚を売り上げた。

これは3集の不振を完全に挽回しただけでなく、1TYMに第2の全盛期をもたらした。
新規ファンも大量に流入し、初の単独コンサートも開いた。
後にweivが選ぶ「1995〜2014 韓国アイドル名盤50選」にも選ばれている。
選定理由は「メンバー自身が歌詞を書き、多くをTeddyが手掛け、色とりどりの曲が詰まっているから」だった。

これも国民的ヒット曲 知らない人いない説


5集 One Way(2005年) ―― 最も正統な、最後の轍

  1. One Way(Intro)
  2. お前が俺を知ってる?|니가 날 알어?|You Know Me? {TITLE}
  3. どうするつもり?|어쩔겁니까?|What You Going To Do?
  4. 何度も|몇 번이나|How Many Times {TITLE}
  5. The Instruction(Interlude)
  6. 危ない|위험해|Dangerous
  7. Summer Night feat. Big Mama イ・ヨンヒョン
  8. Can’t Let U Go
  9. Take It Slow
  10. Supa Funk
  11. Get Them Hands Up
  12. How It Go
  13. HAPPY TO DA HOPPA(Outro)
  14. 어쩔겁니까(YG Remix)
  15. 니가 날 알어?(inst.)

    ※7,9,10 作詞作曲編曲 ソン・ベッキョン
    ※11 作詞ソン・ベッキョン 作曲編曲PERRY
    ※12 作詞ソン・ベッキョン 作曲編曲TEDDY
    上記記載以外の作詞作曲編曲全てTEDDY単独。

2005年11月、5枚目のアルバム『One Way』を発表。
これが1TYMとしての最後の活動になった。

皮肉なことに、この5集は1TYM史上、最も正統なヒップホップ/R&Bに近い音で、全曲のクオリティが高く、音楽的には大きく称賛された。
ダブルタイトルは、ハードコアな「니가 날 알어?/ニガ ナル アロ?(お前が俺を知ってる?)」と、バラードの「몇 번이나/ミョッポニナ(何度も)」。

ところが、ここで「翻訳者」Teddyの宿命が立ちはだかる。
彼は永住権の関係で、国内で60日以上活動すると兵役対象になってしまうのだ。
だから1TYMは、カムバックしても約2ヶ月しか活動できなかった
アルバム制作はネットでファイルをやり取りするか、メンバーがアメリカに渡って行う。
活動も、まずDannyがバラードで先に出て、2ヶ月の完全体活動が終わってTeddyがアメリカに帰ると、残りのメンバーが彼のラップパートを分けて歌って後続活動をつなぐ、という綱渡りだった。
こうしたメンバー個々の事情が重なり、5集は商業的には振るわず、35,844枚にとどまった。
タイトル曲の出来が良かっただけに、惜しい活動期だった。

リードに書いた「翻訳者」の話を、覚えているだろうか。
異国の音楽を母国語に翻訳し続けたTeddyは、その本人がアメリカと韓国の間で引き裂かれていた。
翻訳とは、二つの国の間に立ち続けることだ。
彼の音楽の宿命が、そのまま彼の生活の宿命でもあった。


活動休止、そして事実上の解散へ

2006年1月1日のYG Family合同公演を最後に、メンバーのオ・ジンファンが入隊。
ヤン・ヒョンソクは「解散ではなく、オ・ジンファンの除隊を待つ」と発表し、ファンは復帰を信じて待った。

2007年末のSBS歌謡大殿、YG Family特集。
ここで1TYMが久々に完全体で姿を現し、BIGBANG・JINUSEANと並んで「One Love」と「Hot 뜨거」を歌った。
だが、これが、彼らが完全体で立った最後のステージになった。

正式な解散発表はないまま、無期限の活動中断に入り、事実上の解散となった。
ソン・ベッキョンは「各自の道がはっきり分かれて再び集まるのは難しい」「後輩に席を譲る時が来た」と語っている。
唯一含みを残したDannyの言葉が、せめてもの救いだ。
「正式に解散したことは、実はないからね」。


Teddyという現象

1TYMの物語は、解散で終わらない。
むしろリーダーのその後が、韓国の音楽史そのものになった。

Teddyは2000年代半ば以降、K-POPサウンドの流れを変えたプロデューサーとして評価されている。
BIGBANG、2NE1、BLACKPINK、전소미(チョン・ソミ)のクリエイティブを支える作曲家/ディレクター。
特にBLACKPINKでは「第5のメンバー」と呼ばれるほど、グループが世界的な存在になる柱となった。

その評価は国際的だ。
2021年、アメリカの音楽誌ビルボードが選ぶ「21世紀の最も優れたプロデューサー50人」に第25位で選出。
ビルボードは、彼がヒップホップやEDMだけでなくレゲエやカントリーまで手掛けることを高く評価した。
2016年には自身のレーベル「THE BLACK LABEL(더블랙레이블/ドブレッレイブル)」を設立。
2025年には、K-POPの世界的拡大に貢献したとして国務総理表彰(大韓民国コンテンツ大賞・海外発信部門)も受けている。

1TYMで培った「アメリカのヒップホップを韓国語に翻訳する技術」が、何十年もかけて、ついに世界へ届いた。


K-POP史における位置づけ

1TYMは、韓国ヒップホップの「黎明期の本物」の一つだ。

1990年代後半、솔리드/ソリッドュ、JINUSEAN、드렁큰 타이거/ドロンクン・タイゴ、윤미래/ユン・ミレ、そして1TYMといったアーティストが、本格的なヒップホップサウンドとラップだけで作られた作品を世に出し始めた。
中でもドランクン・タイガー、JINUSEAN、そして1TYMのTeddyは、アメリカ本土でヒップホップに触れて育った青年たちであり、韓国ヒップホップ界に与えた影響は計り知れない。

1TYMは「ヒップホップを大衆性と結びつけて世に出した」グループとして、韓国ヒップホップ史の重要な軸に位置づけられている。
そしてそのDNAは、YGの後輩BIGBANGへ、さらにTeddyの手でBLACKPINKへと受け継がれていった。


韓国でのイメージ

韓国で1TYMは、「1세대 힙합(1世代ヒップホップ)の伝説」として記憶されている。

リアルタイム世代にとっては「お茶の間にヒップホップを届けてくれたグループ」であり、若い世代にとっては「あのTeddyがいたグループ」という認識が強い。
BLACKPINKやBIGBANGから韓国音楽に入った人が、Teddyを遡って1TYMにたどり着く、という流れも多い。

面白いのは、メンバーそれぞれの「その後」が韓国で愛されていることだ。
済州島でカフェを営むオ・ジンファン、声優を経て日本語の学徒になったソン・ベッキョン、アメリカで父になったDanny。
バラエティ『私は一人で暮らす(나 혼자 산다)』などで近況が紹介されるたびに、かつてのファンが温かく見守る。
栄光の頂点を経て、それぞれの普通の人生を生きる姿そのものが、韓国では一つの物語として受け止められている。


ディスコグラフィー一覧

リリース特記記事
1集1998.11デビュー51日で1位
232,418枚
準備中
2集2000.04「One Love」
「쾌지나 칭칭」
最全盛期
準備中
3集2001Teddyが全制作を主導
酷評→再評価
準備中
4集2003.11「Hot 뜨거」
「Without You」
第2全盛期
準備中
5集2005.11「몇 번이나」
最後の活動
準備中

受賞歴

  • 1998年 KMTV歌謡大典 最優秀ヒップホップ歌手賞
  • 1999年 大韓民国映像音盤大賞 新人賞/SBS歌謡大殿 新人賞・本賞
  • 2000年 SBS歌謡大殿 ヒップホップ部門賞
  • 2002年 KMTV Korean Music Awards ヒップホップ歌手賞
  • 音楽番組1位 通算13回

余談

5集のタイトル曲「니가 날 알어?(お前が俺を知ってる?)」のMVは、思いきりギャングスタなスタイルで、曲頭の太い声の「ニガ ナル アロ〜」が英語圏のリスナーに“例の単語”に聞こえてしまい、YouTubeで一時トロールたちの格好のネタにされた。
だが名誉のために言っておくと、この曲の冒頭の英語ナレーションは、クエンティン・タランティーノの映画『パルプ・フィクション』でサミュエル・L・ジャクソンが唱える聖書の一節(エゼキエル書)の引用だ。
おふざけに見えて、ちゃんと元ネタは渋い。

もうひとつ、後の歴史に効く話を。
BTSのプロデューサー방시혁(パン・シヒョク)は、当初「1TYMのようなヒップホップグループを作りたかった」という。
初期メンバー(슈가/シュガらがいた)に「振付なんて軽い律動でいいから」と言っていたのに、後にコンセプトが変わって超ハードなダンスを課され、メンバーは彼を大いに恨んだ、という笑い話が残っている。
1TYMは、BIGBANGだけでなくBTSの“最初の設計図”にも、影のモデルとして登場していたのだ。

そしてソン・ベッキョン。
ラッパー、声優、そして今は日本語学部。
かつての過去にきれいに線を引いて、新しい言語の世界へ漕ぎ出している。
1TYMが「翻訳」のグループだったことを思えば、メンバーの一人が今まさに日本語を「翻訳」しようとしているのは、なんだか出来すぎた後日談だ。

マルのひとこと

僕と1TYMとの出会いは、BIGBANGに出会った後だ。
Teddyの曲が好きだし、彼らが作ったHIPHOPは今なお僕の鼓膜に刺さり続ける。

1TYMを「BIGBANGの前史」としてだけ語るのは、たぶん失礼な話だ。

確かにTeddyは後に途方もない仕事を成し遂げる。
でも1TYMには1TYMの時間があった。
デビューから51日で1位を取り、お茶の間にヒップホップを届け、伝統民謡をヒップホップに変えてみせたあの時代。
それは誰かの前座ではなく、それ自体がひとつの完結した青春だった。
今後Teddyを掘り下げていくが、彼はG-DRAGONと重なる部分がとても多い。
Interesting.

歴史を遡って聴くというのは、結末を知った上で過去に戻ることだ。
でも本当はその過去にいた人たちは、結末なんて知らずに、ただ目の前の一曲に全部をかけていた。

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