「アイドル」という言葉は、今では当たり前に使われている。
でも誰かが最初にその形を作らなければ、言葉は存在しても中身は空っぽだ。
歌って踊る5人組、揃いの衣装、ファンクラブ、応援グッズ、公式カラー。
今のK-POPファンが「当たり前」だと思っているこの全部を、1から発明したグループがいる。
名前を、H.O.T.(에이치오티/エイチオティ)という。
そしてもうひとつ。
いま世界中が使う「韓流」という言葉も、元をたどればこの5人にたどり着く。
それは後で詳しく書く。
- 基本情報
- メンバー 番号と色を持った最初のアイドルたち
- 韓国に「アイドル」を発明した日
- 1集 We Hate All Kinds Of Violence(1996年9月) いきなりダブルミリオン
- 2集 Wolf and Sheep(1997年7月) 10日で100万枚
- 3集 Resurrection(1998年9月) 19歳の天才が、希望を書いた
- 4集 I Yah!(1999年9月) 130万枚と、社会への叫び
- 5集 Outside Castle(2000年9月) ―― 自分たちだけで作った最後の城
- 社会現象としてのH.O.T. これは“事件”だった
- 「韓流」という言葉は、ここから生まれた
- 2001年、解散 数百人のファンがSMに抗議した
- 業界そのものを、作り変えた
- K-POP史における位置づけ
- 韓国でのイメージ
- ディスコグラフィー一覧
- 余談
- マルのひとこと
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| グループ名 | H.O.T.(에이치오티/エイチオティ) |
| 名前の由来 | High-five Of Teenagers(10代の勝利=勝ってハイタッチする) |
| デビュー | 1996年9月7日 |
| 解散 | 2001年5月13日 |
| 所属 | SMエンターテインメント |
| ファンクラブ | Club H.O.T. |
| 公式カラー | 白(하양/ハヤン) |
| 特記事項 | 韓国アイドル文化の起点。「韓流」という言葉を生んだグループ |
グループ名の表記には、ちょっとした逸話がある。
初期は「H.O.T」だったが、「頭文字略語なら最後のTのあとにもピリオドを打つべきだ」というトニー・アンの提案で、3集から「H.O.T.」が公式表記になった。
細かい。でも、そういう几帳面さが、このグループの作り込みを象徴している。
メンバー 番号と色を持った最初のアイドルたち
H.O.T.は、メンバーそれぞれに固有の番号と固有の色を割り振った最初のグループだ。
そしてこの番号、なんと実際の高校の学級番号から取られている。
ここに、後のSHINeeの番号コンセプト、EXOの個別番号と能力設定、Red Velvetのカラー戦略……そのすべての“原型”がある。
문희준(ムン・ヒジュン)|万能型リーダー 番号23/黄
1978年3月14日生まれ。
プロデュース・振付・歌・ラップ・バラエティ、すべてをこなすオールラウンダー。
「万能カリスマリーダー」の原型とされる存在で、振付も彼が担当した。
デビュー後すぐ作曲を本格的に学び始めた努力家で、解散後はロッカーに転身。
ソロ作品は約80曲すべてが単独自作曲という、筋金入りの音楽家だ。
강타(カンタ)|グループの声 番号27/緑
本名アン・チルヒョン(안칠현)、1979年11月29日生まれ。
メインボーカルで、H.O.T.の感情的なバラードを支えた中心の歌声。
2オクターブ後半から3オクターブのファまで出る、アイドルとしては破格の音域を持つ。
後述するが、3集の「빛」を19歳で作曲し、史上最年少の自作曲大賞を受賞した天才でもある。
토니 안(トニー・アン)|英語ラップ担当 番号07/赤
本名アン・スンホ(안승호)、1978年6月7日生まれ。
韓国系アメリカ人で、H.O.T.の楽曲の英語ラップをすべて担当したメインの英語ラッパー。
番号7は、アメリカ出身で学級番号がなかったため、好きな数字を選んだもの。
解散後は実業家としても成功した。
ちなみに강타と同じ「安」姓で「アン兄弟」と呼ばれたが、実の兄弟ではない(本貫が同じ順興安氏なだけ)。
장우혁(チャン・ウヒョク)|ダンスの化身 番号35/青
1978年5月8日生まれ。
亀尾(クミ)で「踊りの王様」として各種大会のトロフィーを総なめにしていた生粋のダンサー。
番号35は「3年5組」から。
メインダンサー兼メインラッパーとして、H.O.T.の激しいパフォーマンスの中核を担った。
이재원(イ・ジェウォン)|最年少 番号48/橙
1980年4月5日生まれ、チーム最年少。
身長184cmで、グループ内最長身でもある。
リードラッパー兼サブボーカルで、作曲にも参加した。
最年少ながら、楽曲制作の現場にしっかり食い込んでいた一人だ。
ちなみに「Go! H.O.T.!」の歌詞では、メンバーをこう紹介している。
ウィットガイ希峻、セクシーガイ カンタ、ムードガイ トニー、ワイルドガイ ウヒョク、シャイガイ ジェウォン。
キャラ付けの教科書が、もうここで完成している。
韓国に「アイドル」を発明した日
1996年9月7日、テレビ番組「토요일 토요일은 즐거워(土曜日土曜日は楽しいよ)」。
数年前にソ・テジとアイドゥルが審査員を困惑させた、あの場所だ。
そこでH.O.T.は「전사의 후예(戦士の末裔)」を披露した。
これがただのデビューではなかった理由は、彼らが「音楽」だけでなく「システム」を持ってきたからだ。
이수만(イ・スマン)率いるSMエンターテインメントは、明確な設計図を持ってこの5人組を作り上げた。
メンバーそれぞれにキャラクターと番号と色を割り振り、公式ファンクラブを組織し、応援カラー(白)を定め、グッズを展開する。
日本のアイドル文化を研究し尽くしたイ・スマンが、韓国の土壌に合わせて構築したこの仕組みは、その後のすべてのK-POPアイドルの設計図になった。
余談だが、彼らの公式挨拶「안녕하세요, H.O.T.입니다. 키워주세요!(こんにちは、H.O.T.です。育ててください!)」にも由来がある。
新人時代、リーダーのムン・ヒジュンが放送局のPDたちに「よろしくお願いします、育ててください」と挨拶していたのを、イ・スマンが「そのフレーズ面白い、みんなでやろう」と採用したのだ。
1集 We Hate All Kinds Of Violence(1996年9月) いきなりダブルミリオン
アルバム名は日本語にすると「僕たちはすべての暴力を嫌う」。
控えめに言って、アイドルのデビュー作として挑戦的すぎる。
収録曲:
- Candy {TITLE}
- 君を愛した分だけ|널 사랑한 만큼|As Much As I Loved You
- 戦士の末裔(暴力時代)|전사의 후예|Descendants of Warriors
- 夕焼けに映った君の姿|노을속에 비친 그대 모습
- 僕が必要なとき|내가 필요할 때
- 今日もイライラする日だな|오늘도 짜증나는 날이네
- 君はFast 僕はSlow|너는 Fast 나는 Slow
- 個性時代|개성시대|The Age of Individuality
- About 女
このアルバム、最終販売枚数は約205万枚。
1996年集計の103万枚と1997年集計の102万枚を合わせた数字で、2022年に한터차트/ハントチャトゥが公開した当時の公式記録でも裏付けられている。
これはアイドル初、そして1世代アイドルで唯一の「ダブルミリオンセラー」という、いまだ語り草の伝説的記録だ。
特筆すべきは、デビュー曲のテーマだ。
タイトル曲「戦士の末裔」は、学校での暴力(いじめ)を真正面から批判した曲だった。
アイドルのデビュー曲が「いじめ反対」を叫ぶ。
この社会へのまなざしは、明らかにソ・テジとアイドゥルから受け継いだものだった。
一方でもう一つのタイトル曲「Candy」は、可愛らしいバブルガムポップ。
手袋やニット帽を使った振り付けが社会現象になり、街中の10代が真似をした。
「社会へのメッセージ」と「キャッチーな可愛さ」。
この二面性こそ、H.O.T.が国民的グループになった理由だった。
Candyは有名すぎる。
2集 Wolf and Sheep(1997年7月) 10日で100万枚
2ndアルバムは、リリースからわずか10日で100万枚を売り上げ、最終的に約152万枚に達した。
1997年の年間販売枚数1位を記録し、ゴールデンディスク大賞に輝いている。
タイトル曲「Wolf & Sheep(늑대와 양/ヌッテワ ヤン)」は、発売即ミリオンの注目曲だったが、歌詞の検閲規制で1週間で放送不可判定を受けるという荒れた船出だった。
そこから「행복/ヘンボッ(幸福)」「We Are The Future」を後続でヒットさせて挽回する。
プロデュースにはイ・スマンとユ・ヨンジン(유영진)が参加。
特にユ・ヨンジンが手掛けた「We Are The Future」は、後に“SMサウンド”と呼ばれる音楽性の原型となった。
収録曲:
- Go H.O.T!
- Wolf & Sheep|늑대와 양
- Free to Fly
- We Are The Future
- 幸せに満ちて|행복|Full of Happiness
- 劣等感の終わり|열등감의 끝
- 失われた12歳の誕生日|잃어버린 열두살의 생일
- TRAGEDY
- You & I
3集 Resurrection(1998年9月) 19歳の天才が、希望を書いた
3rdアルバム「Resurrection(復活)」では、ハードコアヒップホップを大胆に取り入れた。
後続曲「빛/ビッ(光/Hope)」は、1997年の外貨危機(IMF)の暗い空気を乗り越えようというメッセージを込めた曲だ。
建実な青年のイメージで各種チャートを席巻し、3週連続1位を含む通算13回1位を記録。
1998年のソウル歌謡大賞大賞、地上波3社のトリプルクラウンとグランドスラムを同時達成した。
そして特筆すべきは、この「빛」を作曲したのがカンタ(当時19歳)だったこと。
彼は史上最年少の自作曲大賞受賞者になった。
3集からはメンバー全員が作詞作曲だけでなく編曲・ミキシング・スクラッチまで自分たちでやり始め、シンガーソングライターとして認められていく。
4集 I Yah!(1999年9月) 130万枚と、社会への叫び
4thアルバムは130万枚以上を売り上げた。
タイトル曲「아이야!/アイヤ(I Yah!)」は、1994年に起きた聖水大橋(ソンスデギョ)崩落事故をモチーフに、社会の構造的な問題を告発した曲だった。
ミュージックビデオには当時としては破格の制作費が投じられ、社会的なメッセージ性とスケールの大きさで強い衝撃を与えた。
アイドルでありながら、常に時代の痛みに寄り添う。
そのH.O.T.の一貫した姿勢が、ここでも貫かれている。
そのH.O.T.の一貫した姿勢が、ここでも貫かれている。
5集 Outside Castle(2000年9月) ―― 自分たちだけで作った最後の城
5thアルバム「Outside Castle」。
これがH.O.T.として完成された最後のスタジオアルバムになった。
このアルバムは、全曲がメンバーの自作曲で、ユ・ヨンジンの影から完全に抜け出した一枚だ。
タイトル曲「Outside Castle」は、ムン・ヒジュンが作詞・作曲・編曲・振付をすべて手掛けた。
テーマは、社会で偏見や疎外を受ける障害者へのまなざし。
手話を取り入れた振付が高く評価された。
実験的で芸術性の高い、グループの音楽的到達点だった。
しかしこの翌年、物語は突然の終わりを迎える。
社会現象としてのH.O.T. これは“事件”だった
H.O.T.の人気は、もう「人気」という言葉では足りない。
当時、それは社会現象であり、ほとんど“事件”だった。
記録を並べるだけで、その熱狂が伝わる。
- 韓国歌手として初めて、ソウル五輪主競技場で単独コンサートを開催。
2001年の公演は8万人を動員し、これは今も破られていない国内単一公演の最多記録。 - チケットは10分24秒で完売(2001年)。
- アイドルとして初めてMTV Video Music Awardsを受賞。
- 自伝が出版10日で大型書店のベストセラー総合1位。
- 造幣公社が切手帳とメダルを発行。
- 飲料「Tick Tock H.O.T.」は5ヶ月で4500万缶を売り上げ、当時のコカ・コーラの販売量を上回った。
- メンバーの誕生日や修能(センター試験)の知らせが、地上波の夜9時ニュースで報道された。
- コンサート当日、ソウルの地下鉄が深夜2時まで延長運行。
- そして極め付けにコンサートの日、教育部長官名義で全国の教育庁に「早退禁止令」が出された。生徒が学校を抜け出してライブに行かないように、だ。
アイドルのコンサートをきっかけに、国が早退禁止令を出す。
こんな国民的熱狂は、後にも先にもなかなかない。
「韓流」という言葉は、ここから生まれた
そして、H.O.T.最大の歴史的功績がこれだ。
1998年、H.O.T.は韓国歌手として初めて、中国で正規アルバムを発売した。
正規の出版ルートを通った韓国アーティストの音盤が中国で流通したのは、これが初めてだった。
中国でのファンクラブは、なんと800万人規模に膨れ上がった。
そして2000年2月、中国文化部の招待で北京・工人体育館でコンサートを開催。
『2000 H.O.T. LIVE CONCERT IN BEIJING』が終わった直後、中国の大衆メディアが、ある言葉を一斉に使い始めた。
「韓流(한류/ハンリュ)、風暴!!!」
韓国の大衆文化に熱狂する自国の若者の現象を、中国メディアが「韓流」という新語で表現したのだ。
今や世界中が使うこの「Korean Wave=韓流」という言葉は、H.O.T.の北京公演を起点に生まれた。
うりぬんが今こうして韓国の音楽を語れているのも、もとをたどればこの5人が中国で起こした“波”からなのだ。
2001年、解散 数百人のファンがSMに抗議した
2001年、H.O.T.はSMエンターテインメントとの契約をめぐる対立により解散した。
5人のうち3人(チャン・ウヒョク/トニー・アン/イ・ジェウォン)がSMを離れてjtLを結成し、グループは事実上の終焉を迎えた。
公式の解散発表はなく、jtL3人の脱退会見があった2001年5月13日が、事実上の解散日とされる。
この解散に、数百人のファンがSM社屋の前に集まって抗議した。
韓国のアイドル史において、ファンが企業に対して公然と声を上げた最初の大きな事件でもあった。
デビューからわずか5年。
しかしその5年で、H.O.T.は韓国に「アイドル」という文化を完全に定着させた。
なお、解散後には商標権をめぐる争いも起きた。
「H.O.T.」という名前とロゴの権利問題で、後にメンバー自身がその名称やロゴを自由に使えない時期が続いた。
2018年の再結成コンサートのポスターで、ロゴの位置にメンバーのイラストが使われたのは、この事情によるものだ。
東方神起かっ!
業界そのものを、作り変えた
H.O.T.の成功は、ライバルや後輩の“作り方”まで変えてしまった。
DSPは、もともとウン・ジウォンとカン・ソンフンの2人組でデビューさせる予定だった企画を、H.O.T.の大成功を見て急遽6人組に変更。
こうして「打倒H.O.T.」を掲げて生まれたのが젝스키스(Sechs Kies)だ。
NRGも2人組から5人組へ再編、godもJ.Y.Parkのプロデュースでメンバー構成を組み直した。
H.O.T.が一つ現れたことで、業界中が「アイドルグループの作り方」を学び直した。
K-POP史における位置づけ
音楽、メンバー構成、ファッション、活動方式、ファンクラブ、応援グッズ。
今のK-POPを構成するほぼすべての要素の「型」を、H.O.T.が作った。
ソ・テジとアイドゥルが「音楽」を変えたとすれば、H.O.T.は「アイドルという仕組み」を発明した存在だ。
つまり、東方神起もSHINeeもEXOもNCTも、さらに言えば他社のBIGBANGやTWICEも、その「型」の源流をたどればH.O.T.に行き着く。
そして「韓流」という言葉まで生み出したこのグループは、K-POPが世界へ出ていく最初の扉そのものだった。
韓国でのイメージ
韓国でH.O.T.は、「1세대 아이돌(1世代アイドル)の象徴」であり、「青春そのもの」として記憶されている。
それを証明したのが、2018年の再結成コンサートだ。
2001年の最後の公演から17年、同じ서울올림픽주경기장(ソウルオリンピック主競技場)で行われたこのライブは、2日間で10万人を動員。
観覧申請は17万人に達し、ホームページがダウンするほどだった。
会場には、30代になったかつての少女たちが、昔の制服や白いレインコート(H.O.T.の白)を着て集まった。
あの頃に戻るために。
地方や海外(特に中国)のファン、かつてH.O.T.のファンだった芸能人まで詰めかけ、現役トップアイドルにも劣らないファンダムを見せつけた。
韓国でH.O.T.は、単なる懐メロではない。
「韓流1世代」「自分の青春を作ったグループ」として、今も特別な感情とともに語られている。
ディスコグラフィー一覧
| 集 | リリース | 特記 | 記事 |
|---|---|---|---|
| 1集 | 1996.09 | 「전사의 후예」「Candy」/約205万枚・ダブルミリオン | 準備中 |
| 2集 | 1997.07 | 「Wolf & Sheep」/10日で100万枚 | 準備中 |
| 3集 | 1998.09 | 「빛」/カンタ作曲・最年少大賞 | 準備中 |
| 4集 | 1999.09 | 「아이야!」/約130万枚 | 準備中 |
| 5集 | 2000.09 | 「Outside Castle」/全曲自作曲 | 準備中 |
余談
公式挨拶「키워주세요!/キウォジュセヨ(育ててください!)」は、リーダーの新人時代の口癖がそのまま採用されたもの。
ファンの愛称「白い天使」「米粒」は、公式カラーの白から生まれた。
固有番号が実際の学級番号だった、という話が個人的にはたまらない。
ウヒョクの「35」が「3年5組」だなんて、伝説のグループの一番カッコいい番号が、案外そのへんの教室から来ている。
この生活感と神話性のギャップが、1世代の愛おしさだと思う。
「Candy」の蛍光モコモコ手袋は、今見ても強烈だ。
あの手袋を持っていた10代が、韓国には大量にいたらしい。
(うりぬんは、実物は見たことがない。)
マルのひとこと
僕とH.O.T.の出会いはどこだろう。
記憶を辿る限りでは、Candyをどこかで聴いたことくらいしか思い出せない。
H.O.T.を聴くと、「アイドル」という言葉がまだ手垢のついていなかった時代の、あの初々しさを感じる。
初期の曲は特に、ラップをするためなのかHIPHOPを強く感じる。
今のアイドルは完成されている。
歌もダンスもビジュアルも、すべてが磨き上げられている。
でもH.O.T.には、誰もまだ正解を知らなかった頃の、手探りの熱がある。
「戦士の末裔」でいじめに怒り、「Candy」で無邪気に踊る。
その振れ幅の大きさは、ジャンルがまだ枠を持っていなかったからこそ生まれたものだ。
最初の人たちは、いつだって一番自由だ。
地図がないから、どこへでも行ける。
うりぬん、その地図のなかった時代の足跡を、ひとつずつたどっていきたい。



コメント