▶ アーティストページ:Epik High
2집「High Society」は、1집のぶつかるような熱さから少し変わって、もっと内向きになった。
孤独を歌うアルバム。
- 目次
- 01 신사들의シンサドゥルエ 산책サンチェッ (Gentleman’s Stroll)
- 03 평화의ピョンハエ 날ナル (Day of Peace)
- 04 Sunrise Interlude
- 05 Lesson 2 (Sunset)
- 06 My Ghetto feat. Kim Yeon-woo
- 07 The Basics feat. Unknowndjs
- 08 신사들의シンサドゥルエ 절약정신ジョルヤクジョンシン (Gentleman’s Saving Spirit)
- 09 Lady (High Society)
- 10 피해망상ピヘマンサン (Paranoia) Pt.3 feat. TBNY
- 11 11월ウォル1일イル (November 1) feat. Kim Jae Suk of WANTED
- 12 뚜뚜루ッツッツル/Tuturu
- 14 Daydream (사직서サジクソ / Resignation)
- 15 Open M.I.C. feat. Eun Ji Won, TBNY, Tweak, Dynamic Duo
- 16 뒷담화ドィッダンハ/Gossip
- 17 신사들의シンサドゥルエ 몰락モラッ (Gentleman’s Demise)
- 18 I Remember (70s Soul Remix) feat. Asoto Union, Kensie
- 13 혼자라도ホンジャラド feat. Clazziquai
- 「High Society」という名の批評
- 2004年の韓国ヒップホップという文脈
- マルのひとこと
目次
- 「High Society」という名の批評
- 2004年の韓国ヒップホップという文脈
- マルのひとこと
Clazziquaiと作った「혼자라도/一人でも」が好きだ。
「たとえひとりでも」という意味のタイトル。
Clazziquaiのエレクトロなサウンドとエピカイのラップが噛み合って、不思議な浮遊感が生まれている。
孤独をネガティブなものとして描かず、「ひとりでいること」を静かに肯定する曲。
홍대のインディーシーンを代表するClazziquaiと組んだことが、エピカイはジャンルに縛られないことを示していた。
ヒップホップとインディーポップの間にあるどこか。
その場所にいる心地よさが、この曲には漂っている。
「High Skool」というタイトルの「School」を「Skool」に変えていることに、最初気づかなかった。
ストリートカルチャーへの敬意と、体制への小さな反抗が込められているという。
スタンフォード卒の男が「学校」を批判する。
その皮肉な構図がエピカイらしかった。
後にこの曲はファンクラブの名前になった。
「High Skool」という言葉が、エピカイとそのファンをつなぐ場所になった。
01 신사들의シンサドゥルエ 산책サンチェッ (Gentleman’s Stroll)
アルバムの幕を開けるスキット的なイントロ。
タイトルが示す「紳士」たちの朝の散歩という情景が、上品で落ち着いたサウンドで描かれる。
「High Society(上流社会)」というアルバムタイトルの世界観を最初の一手で提示する、いわばアルバム全体の序文だ。
このトラックを起点に、同じ「紳士」シリーズの曲が午後(절약정신)、夜(몰락)へと続いていく構造になっており、アルバムを通して聴くことで初めて意味をなす。
エピカイがこのアルバムで仕掛けたのは、単なる楽曲集ではなく一つの物語としての「一日」だった。
朝の散歩から始まり、昼の節約精神を経て、夜に没落していく「紳士」の姿は、韓国の上流社会への皮肉な視線そのものだ。
1曲目のこの穏やかな出発点を聴くとき、結末(몰락)を知っている者には、その明るさが余計に苦く響く。
03 평화의ピョンハエ 날ナル (Day of Peace)
アルバムのリードトラックの一つであり、「平和の日」という言葉が極めて逆説的に機能する社会批評曲だ。
「平和」が訪れたとされる日に何が起きているのかを問いかけるタブロの詞は、2004年当時の韓国社会が抱えていた政治的緊張や経済格差をじかに指している。
平和という概念を看板にしながら不和と抑圧が続く現実を、ヒップホップというフォーマットで突きつける。
ミュージックビデオも制作された本曲は、エピカイが単なるアンダーグラウンドの存在から公共の言論空間へと踏み出した象徴的な一曲でもある。
激しいリリシズムと鋭いフロウが共鳴し合い、聴いた後に重い余韻が残る。
「平和の日」という美しい名前の下に何が隠されているかを問い続けるこの曲は、20年以上経った今も古びない。
04 Sunrise Interlude
日の出を描くインタールード。
アルバムの前半と後半をつなぐ短い器楽的な橋渡しで、「Lesson 2 (Sunset)」という日没の曲と対をなす構造になっている。
「신사들의 산책」から始まった一日の時間軸が、この曲を経て午後へと動いていく。
05 Lesson 2 (Sunset)
1集収録の「Lesson 1」から続く「Lesson」シリーズの第2章。
「日没(Sunset)」というサブタイトルが示すように、昼から夜へと傾く時間帯の空気感を孕みながら、政治と社会への直接的な批判が展開される。
その内容は放送禁止(방송불가/放送禁止)と判定されるほど鋭く、韓国の権力構造や政治体制を正面から告発するラップが続く。
Epik Highが「体制への反抗」を単なるスタイルではなくメッセージとして持っていたことを、この曲は明確に証明している。
日が暮れていくという詩的な比喩の中に、現実の暗さへの目配せが潜む。
放送の電波には乗らなくても、リスナーの間で語り継がれてきたこの曲の存在は、むしろ「禁止されたものが持つ力」を体現している。
アルバムの中盤に置かれ、ちょうど一日の折り返し地点でこれだけのインパクトを叩きつけるのは、意図的な配置だろう。
06 My Ghetto feat. Kim Yeon-woo
ベテランR&Bシンガー、キム・ヨヌとのコラボレーション。
「ゲットー」という言葉はアメリカのヒップホップ文化から借りてきた概念だが、この曲ではそれを韓国の文脈に翻訳し、貧困と差別、見えない壁の存在を語る。
キム・ヨヌの深みのある歌声がタブロとミスラの言葉を包み込み、怒りよりも哀切の感触を与える。
この曲が「High Society(上流社会)」というアルバムに収録されていることには皮肉がある。
上流があるということは下層がある。
ゲットーを語ることは、同時に「High Society」を語ることでもある。
対比の中で生まれる緊張感が、アルバム全体のコンセプトを深めるピースとして機能している。
07 The Basics feat. Unknowndjs
Unknowndjs(現DJ Tukutz)とともに作り上げた、ヒップホップの「基本」への回帰を宣言する曲。
商業化が進む韓国ヒップホップ市場の中で、本質に立ち返ることを提唱するスタンスは、2004年のエピカイが一貫して持っていた姿勢だ。
ビートの構造自体がそのメッセージを体現しており、飾り気を削ぎ落としたサウンドが言葉の純度を引き立てる。
「基本に戻れ」という主張はシンプルに見えて深い。
何が基本であるかを問い直すこと自体がすでに批評行為だからだ。
この曲はアルバムの流れの中で一種の「立ち止まり」として機能し、前後のドラマチックな楽曲群の間で意識を再調整させる役割を果たす。
08 신사들의シンサドゥルエ 절약정신ジョルヤクジョンシン (Gentleman’s Saving Spirit)
「ジェントルマン三部作」の第2章、「午後」にあたるスキット。
朝の散歩(1曲目)から続いて、紳士たちが午後に発揮する「節約精神」が描かれる。
上流階級の人間が節約を美徳として語ることの滑稽さと、その実態への皮肉が、ユーモアを帯びたトーンで届けられる。
09 Lady (High Society)
アルバムのタイトル曲。
「High Society」の「Lady」、つまり上流社会を泳ぎ回る女性たちへの視線が、批評と憧憬の混じった複雑なアングルで描かれる。
同時代の韓国社会における階級と性別の交差点を、ポップなメロディラインに包んで提示するこの曲は、聴きやすさの中に鋭い観察が潜む構造になっている。
タイトル曲でありながらわかりやすい「ヒット狙い」の単純さはなく、アルバムのコンセプトを体現しながらも独立した完成度を持つ。
エピカイがジャーナリズムとアートを橋渡しするグループであることを、あらためて意識させる曲だ。
10 피해망상ピヘマンサン (Paranoia) Pt.3 feat. TBNY
1集から続く「パラノイア」シリーズの第3弾。
被害妄想(피해망상)という言葉が示す通り、誰かに見られている、追われている、裏切られるかもしれないという感覚が、ラップのリズムと絡み合って進む。
TBNYをフィーチャーし、複数の声がパラノイア的な思考の渦を多層的に表現する。
シリーズとして積み重ねてきた文脈があるからこそ、Pt.3は単独でなく「その先」として聴かれる。
「High Society」というアルバムの中に置かれることで、外の社会への批評と内なる精神的混乱が並走するという、このアルバムの二重構造が際立つ。
11 11월ウォル1일イル (November 1) feat. Kim Jae Suk of WANTED
韓国ポップスの伝説的な二人のミュージシャン、유재하とキム・ヒョンシクへの追悼曲。
この二人はそれぞれ異なる年に、偶然にも同じ11月1日に亡くなった。
その偶然が、エピカイにこの曲を書かせた。
ヒップホップという若い世代の音楽が、韓国の音楽史に刻まれた先人たちへ捧げる弔いの詞は、ジャンルを越えて音楽への愛そのものだ。
WANTEDのキム・ジェソクを迎えた歌声と、タブロの言葉が交差するこの曲は、アルバムの中で唯一「過去」と「死」に直接向き合う地点だ。
上流社会への批判や社会への怒りから離れ、ただ愛した音楽家たちの名前を呼ぶ静かな時間がある。
11月1日という日付がこれほど重くなる曲は、韓国ポップスの歴史の中でも数少ない。
12 뚜뚜루ッツッツル/Tuturu
アルバムの中でひときわ軽やかな空気を運ぶ一曲。
「뚜뚜루」という言葉のもつ音の遊び心がそのままトラックの質感に宿っており、重たいテーマが続いた後の束の間の解放感として機能する。
エピカイが硬直したシリアスさに終始しないグループであることを示す余白のような存在だ。
この曲の後に「혼자라도」(孤独)が来る流れを考えると、軽さは単なる気晴らしではなく、深刻に向かう前の一呼吸でもある。
アルバムの構成の中でこういった「遊び」が組み込まれていることが、「High Society」を長時間飽きずに聴ける作品にしている理由の一つだ。
14 Daydream (사직서サジクソ / Resignation)
「사직서」は辞表、退職届のこと。
昼間ぼんやりと「辞めてしまいたい」と思いながら、結局書けない現実という普遍的な感覚を、Daydream(白昼夢)という言葉と重ねてみせる。
上流社会への批評が続くこのアルバムにおいて、これは搾取される側でも支配する側でもなく、ただ消耗しながら日々をやり過ごす者の夢想だ。
韓国のオフィスワーカーたちが共有する「出口なし」の感覚を、エピカイは白昼夢という詩的なフレームで掬い上げる。
ヒップホップはストリートの音楽だと言われるが、「辞表」を夢見るサラリーマンの詩にもなれる。
そのことを、この曲は証明している。
15 Open M.I.C. feat. Eun Ji Won, TBNY, Tweak, Dynamic Duo
Eun Ji Won(ジョンジウォン)、TBNY、Tweak、Dynamic Duoという当時の韓国アンダーグラウンドヒップホップの精鋭たちが一堂に会するオープンマイクトラック。
2004年という時代においてこれだけのラッパーが同じビートの上に立つこと自体が事件であり、韓国語ラップの表現の幅と個性の豊かさが一曲の中で一気に開示される。
オープンマイクというフォーマットはヒップホップの民主主義的な側面を象徴する。
「High Society(上流社会)」への批判を掲げるアルバムの中に、マイクを誰にでも開くこの曲が置かれることは、対抗的な意味を持つ。
階層を拒否するための開かれた広場として、このトラックは機能している。
16 뒷담화ドィッダンハ/Gossip
「뒷담화」とは、陰口や裏での噂話を指す言葉。
表向きは品のある「上流社会」の人間たちが、裏では何を語っているか。
あるいは、そういう社会の中で個人がどれほど噂と視線にさらされながら生きているか。
社会的な「口」の暴力性を、エピカイは自分たちのラップという「口」を使って批評する逆説的な構造を持つ曲だ。
アルバム後半に置かれたこのトラックは、「Open M.I.C.」の解放的なエネルギーの後に、再び社会の閉塞へと引き戻す役割を担う。
ゴシップと噂話という日常的なテーマを掬い取りながら、それがいかに人を傷つけ、社会を腐食させるかを告発する。
陰口は上流社会の専売特許ではなく、どこにでもある。
だからこそこの曲は普遍的に刺さる。
17 신사들의シンサドゥルエ 몰락モラッ (Gentleman’s Demise)
朝の散歩(1曲目)、午後の節約精神(8曲目)ときて、ジェントルマン三部作の最終章「夜の没落」。
一日をかけて積み上げてきた上品な「紳士」像が、夜になって崩れていく。
「몰락」という言葉は没落、崩壊を意味し、アルバムを通して批評してきた上流社会の幻想が最終的に消えていく情景を描く。
スキット的なトーンでありながら、三部作の結末という重みがある。
朝に優雅に歩き始めた紳士は、夜に何者であることができなくなる。
「High Society」とは結局、崩れる運命にある幻想なのだというエピカイのメッセージが、このトラックで静かに着地する。
18 I Remember (70s Soul Remix) feat. Asoto Union, Kensie
ボーナストラックとして収録された、70年代ソウルの質感にリミックスされた一曲。
Asoto UnionとKensieという個性的なフィーチャリングアーティストたちとともに、グルーヴとノスタルジアを纏ったサウンドが展開される。
「I Remember(私は覚えている)」というタイトルは、記憶と追悼というアルバム全体に流れる感覚の最後の一滴だ。
70年代ソウルというフォーマットを選んだことが重要で、それは「かつて何かが確かにあった」という感覚を音楽的に体現する選択だ。
「High Society」という批評的なアルバムの終着点に、怒りではなく懐かしさと温もりを置く。
没落し、崩れ、それでも「覚えている」こと。
それがエピカイのこのアルバムで最後に残る言葉だ。
13 혼자라도ホンジャラド feat. Clazziquai
홍대(ホンデ)のインディーシーンを代表するClazziquaiとのコラボレーション。
「たとえひとりでも」という意味のタイトルが示す通り、孤独を嘆くのではなく静かに肯定する一曲だ。
Clazziquaiのエレクトロニックでアンビエントなサウンドとエピカイのラップが組み合わさって、「High Society」の中でも特に浮遊感のある空気が生まれている。
2004年のヒップホップとインディーポップのコラボレーションは、ジャンルの越境として当時かなり挑戦的だった。
しかしエピカイがヒップホップとエレクトロポップの間の空白地帯を音楽として成立させたことで、韓国の音楽シーンにとっての新しい可能性が開かれた。
孤独の中でも自分でいられる、その静かな強さがこの曲には宿っている。
「High Society」という名の批評
2004年リリースのこのアルバムは、エピカイが韓国ヒップホップのアンダーグラウンドから公共の言論空間へと踏み出す転換点となった作品だ。
「上流社会」というタイトルは、当時の韓国社会が経験していた急速な経済発展と、それに伴う格差・階層化・拝金主義への直接的な問いかけだった。
「Day of Peace」の放送禁止、「Lesson 2 (Sunset)」の政治批評、そして「November 1」の先人への追悼。
これらが一枚のアルバムに共存していた。
スタンフォード大学卒業のTabloが「High Skool(学校)」という言葉を故意にスペルミスするとき、そこには体制への二重の皮肉がある。
菁英教育を受けた者が、その教育制度を批判する。
その矛盾を自覚したまま音楽を作ることが、エピカイのスタイルだった。
「ジェントルマン三部作」(朝の散歩、午後の節約精神、夜の没落)という構造からも分かるように、このアルバムは単なる楽曲集ではなく一日を通した物語として設計されている。
朝に優雅に歩き始めた紳士が夜に没落していく。
「High Society」という幻想が最終的に崩れていく一日の記録として、アルバムは一つの完結した批評として機能している。
2004年の韓国ヒップホップという文脈
「High Society」がリリースされた2004年は、韓国ヒップホップがまだ主流の音楽産業から距離を置かれていた時代だ。
アイドルポップが市場を支配する中で、Epik Highは韓国語ラップの知的・文学的な可能性を正面から追求した。
このアルバムに集まったEun Ji Won、Dynamic Duo、TBNYらは、当時の韓国ヒップホップシーンを支えた同志たちであり、「Open M.I.C.」という形でその多様性を一曲に凝縮してみせた。
20年以上経った今、「High Society」を聴き直すと、このアルバムが問いかけた格差・階層・孤独というテーマが、現在の韓国社会においてさらに切実になっていることに気づく。
2004年のエピカイが見ていたものは、時代を超えていた。
「뒷담화(陰口)」も「My Ghetto」も「Daydream」も、今この瞬間に書かれた言葉として届く理由はそこにある。
マルのひとこと
「혼자라도」をClazziquaiと作ったこと、それだけでこのアルバムが好きになった。
ヒップホップとインディーポップが混ざった瞬間の、あの独特の浮遊感はいつ聴いても変わらない。
「High Society」というタイトルは英語だが、アルバムの内容は徹底的に韓国社会の内部から語られる。
「上流社会」への批評は、それが他の誰かの話ではなく、自分たちが生きている社会への問いかけとして届く。
2004年から20年以上経っても、このアルバムの言葉が古びないのは、そういう具体性と普遍性の両方を持っているからだ。
エピカイは当時まだ若いグループだったが、「High Society」には時間を超えて語り続ける力がある。
デビューから2枚目にしてこれほどの完成度と批評性を持ったアルバムを作り上げたことが、韓国ヒップホップにおけるEpik Highの独自の立ち位置を決定づけた。
アンダーグラウンドに留まらず、広い聴衆に向けて社会を語る言葉を持つグループとして、「High Society」はその宣言となった作品だ。
「November 1」が유재하とキム・ヒョンシクという二人の先人を追悼するとき、エピカイは単なる批評家ではなく、韓国の音楽の歴史を深く愛するアーティストとして姿を現す。
ヒップホップという枠だけで語られがちなグループが、ここでは韓国ポップスの記憶の番人としての顔を見せる。
同じ11月1日という偶然が二人の命日となったという事実は、ただの偶然ではなく何かを意味するように感じさせる力がある。
「High Society」の批評的な言葉群の中に、このような純粋な追悼が置かれていること。
怒りと哀しみと愛が共存できる場所として、このアルバムは機能している。
そういうアルバムは長く聴かれる。


