g.o.dと僕。 지오디와 나

1世代

우리ウリ 잘ジャル 하는ハヌン 거ゴ 있죠イッジョ~ 하나ハナ, 둘ドゥル, 셋セッ! 안녕하세요アンニョンハセヨ~ god입니다イプニダ!
(俺たち、得意なことあるよな〜 1、2、3! こんにちは〜 god です!)

「国民グループ」。
韓国でこの言葉は、安売りされない。

老若男女、誰もが名前を知っていて、誰もが一曲は口ずさめて、世代を超えて愛され続けている。
そういうグループにだけ許される、称号だ。

1999年にデビューしたg.o.dは、四半世紀を過ぎた今も、その称号を持っている。
しかも、ただ売れただけではない。

後に韓国の音楽産業そのものを動かす二人の男、 J.Y.Park(パク・ジニョン)と방시혁バンシヒョクが、最初に手がけたアイドルでもあった。

これは、韓国でいちばん愛された5人組の物語だ。


基本情報

項目 内容
グループ名 g.o.d(지오디ジオディ/g.o.d/ジオディ)
名前の由来 Groove Over Dose(あふれ出るグルーヴ)
デビュー 1999年1月13日
デビュー時所属 싸이더스ッサイドス/サイダスHQ
現在 グループ活動は젬스톤이앤엠ジェンストンイエンエン/ジェンストンE&Mが管理
メンバー 5人
公式カラー 하늘색ハヌルセク/空色
ファンダム fangod(ファンガッド)
通称 국민그룹グクミングルプ/国民グループ
プロデュース J.Y.Park(パク・ジニョン)
特記事項 J.Y.Parkが初めて手がけ、バン・シヒョクが初めて作曲参加したアイドル

メンバー

박준형バクジュンヒョン/パク・ジュニョン|リーダー・センター・王パパ・そしてワサップマン
韓国系アメリカ人で、グループの最年長。
そして、ここが衝撃なのだが。
彼は1969年生まれ。
1999年のデビュー時、すでにほぼ30歳だった。
ボーイグループのメンバーとしては、当時も今もありえない年齢である。
英語が母語で、デビュー当時は韓国語がたどたどしかったことすらネタになった(今でも「0ヶ国語」といじられる)。
「god의ウィ 육아일기ユクアイルギ/育児日記」では「王パパ」として愛され、近年はYouTube番組「와썹맨ワッソプメン/ワサップマン」で再ブレイク。
口癖は「몬지알지モンジアルジ/わかるよな」。
世代を超えて愛される、不思議な人間力の持ち主だ。

윤계상ユンギェサン/ユン・ゲサン|ビジュアル担当、今は名優
グループのビジュアルを担った。
5集を最後にグループを離れ、その後は俳優一本に絞る。
映画『범죄도시ボンジェドシ/犯罪都市』をはじめ、犯罪映画での鋭い存在感で、今や韓国を代表する演技派俳優の一人になった。
アイドルから本物の俳優へ、最も鮮やかに転身したメンバーだ。

데니안デニアン|メインラッパー、結成のキーマン
韓国系アメリカ人で、実はパク・ジュニョンの従兄弟(いとこ)。
この血縁が、g.o.d結成の出発点になった(後述)。
メインラッパーを担い、「育児日記」では寝かしつけ担当。
解散後はMC・俳優として、安定した存在感を発揮している。

손호영ソンホヨン|リードボーカル、王ママ、通称ホイ
彼も実は韓国系アメリカ人。
「育児日記」で赤ちゃんの「王ママ」を務め、そのあたたかい姿でファンダムを一気に押し上げた。
解散後はソロ歌手というより、ミュージカル俳優として活動。
あの優しい笑顔を見れば、なぜ国民に愛されたかが分かる。

김태우ギンテウ/キム・テウ|メインボーカル、OSTの帝王、クマ
グループ随一の歌唱力を誇るメインボーカル。
正直、歌の実力は1世代で比べても最上位、いや、神レベルだ。
初期のg.o.dは、4人がヴァースとラップを回し、サビとブリッジは全部キム・テウが一人で歌い切る構成だった。
つまり、g.o.dの「歌うアイドル」という評価の、声の中心。
解散後はソロ・ミュージカル・ドラマOSTで活躍し、「OSTの帝王」と呼ばれる。


結成秘話 崩れかけた会社と、山の中の6人

g.o.dの始まりは、少し変わっている。

最初にスカウトされたのは、パク・ジュニョンだった。
1996年、映画『ビート』撮影現場で、彼の姉(チョン・ウソンのスタイリストだった)の携帯ストラップに付いていたパクの写真を、サイダスの社長が見て「こいつ、面白い」とスカウト。
1997年1月、パクは韓国へやって来る。

会社は当初、男女の混成デュオを企画していた。
だがパクは、アメリカで親しんだNSYNCやバックストリート・ボーイズに影響を受けていて、「やるなら男5人+女1人がいい」と逆提案する。
「じゃあお前がメンバーを集めてこい」。
そう言われたパクが、まず声をかけたのが、従兄弟のデニ・アンだった。

デニの母(パクの外叔母)が、別の事務所にいた息子を心配して、「アメリカ育ちで気心の知れたパクのところへ」と勧めたのだ。
デニが加わり、次にデニと同じ事務所にいたソン・ホヨンを迎え、オーディションでユン・ゲサンが入る。
こうして男5人+女1人の混成グループ「GOD6(ガッシックス)」として、サイダスに集まった。

ソウル・瑞草区良才洞(ソチョグ・ヤンジェドン)の練習室で、練習が始まる。
しかし1997年、アジア通貨危機(IMF)が韓国を襲った。

会社の経営が急速に傾き、彼らは良才洞の練習室を引き払う。
高陽市一山(コヤンシ・イルサン)の宿舎に移され、「お前たちだけで練習しながら暮らせ」と告げられた。
そして、ある日を境に、会社からの連絡がぷつりと途絶える。

後で分かったことだが、当時の会社にはもう、彼らをデビューさせる余力がなかった。
「お前たちはデビューできない」とは言い出せず、放っておけば勝手に出ていくだろう、と社長は連絡を絶ったのだ。

だが、何も知らない若者たちは、出ていかなかった。
山あいの一山の宿舎で、6ヶ月間、自給自足で耐えた。

主食は、ツナ缶とラーメン。
それも尽きると、近所の畑のとうもろこしを失敬し、エビせんを水でふやかして粥にして分け合った。
冬は水道が凍り、徒歩1時間の病院でこっそり体を洗った。
ついに生活が立ち行かなくなったとき、パク・ジュニョンが一人で生計を背負った。
当時の人気シットコム『순풍산부인과スンプンサンブイングァ/順風産婦人科』に脇役で出演し、その出演料でメンバーの食いつなぐラーメンとツナを買った。

国の経済が崩れ、会社にも見放された中で、彼らは音楽を捨てなかった。
この、嘘みたいな極貧の船出が、後の「어머님께オモニンッケ/オモニッケ」という曲に、誰にも真似できないリアリティを宿すことになる。

半年後、会社の状況が好転し、社長は宿舎を片付けに人をやる。
そこにまだ彼らが居たことに、社員は仰天した。
その「待ち続けた姿」に心を打たれた社長は、「こいつらに、アルバム一枚は必ず作ってやる」と決意。
プロデューサーとして、まだ駆け出しだったパク・ジニョン(J.Y.Park)を起用した。

ここでグループは、6人の混成から、5人の男性グループへと再編される。
女性ボーカルと男性ラッパー1名が抜け、最後に加わったのが、キム・テウだった。
新入りのキム・テウは、最初こそ古参メンバーに警戒されたが、母から持たされた15万ウォンを、腹を空かせた兄たちのために全部食材に使い、その心意気で仲間に迎え入れられたという。

たまたまの寄せ集めと、極貧の半年。
それが、四半世紀続く5人になった。


デビュー曲「어머님께オモニンッケ」 時代の傷に刺さった一曲

1999年1月13日、g.o.dは1集『Chapter 1』でデビューした。
グループ名「god」は、Groove Over Dose(あふれ出るグルーヴ)の略。
神(God)ではない。

デビュー曲は「어머님께オモニンッケ」。
この曲が、当時の韓国の心を撃ち抜いた。

「어머님은オモニンウン/オモニムウン 짜장면이ッチャジャンミョンイ/チャジャンミョンイ 싫다고シルダゴ 하셨어ハショッオ/オモニムン ッジャジャンミョンイ シルタゴ ハショッソ」。
お母さんは、ジャージャー麺が嫌いだとおっしゃった。
このフレーズが、核心だ。

韓国でジャージャー麺は、安くて庶民的な食べ物。
そのジャージャー麺さえ「嫌い」と言って、子どもに譲る母。
その嘘の優しさを歌ったこの曲は、パク・ジュニョン自身のアメリカでの記憶を脚色したものだった。

1999年は、まだ韓国がIMF危機の傷の中にあった時代。
職を失い、家族がバラバラになる家庭が、無数にあった。
そんな時代に「貧しさの中の母の愛」を歌ったこの曲は、刃のように人々の胸に刺さった。

きらびやかなアイドルソングではなく、誰もが自分の母を思い出す歌。
それが、g.o.dの第一声だった。

ちなみにこの曲は、アメリカ西海岸の伝説的ラッパー2Pacの「Life Goes On」をサンプリングし、同じく「Dear Mama」を参考に作詞された。
母を歌うヒップホップの系譜が、太平洋を越えて韓国の国民歌になった、という事実も面白い。

そしてこのデビューには、もう一つ歴史的な意味がある。
プロデュースを手がけたのは、当時まだ実績の浅かったパク・ジニョン(J.Y.Park)。
g.o.dは、彼が初めて手がけたアイドルだった。
さらに、後にBTSを生むことになるバン・シヒョクが、作曲家として初めて参加したアイドルでもあった。

この事実がどれほど途方もないかは、後で書く。


全8章をたどる g.o.dディスコグラフィー完全解説

g.o.dのアルバムは、すべて「Chapter(章)」と名づけられている。
1枚ごとが、ひとつの物語の章。
順にたどっていく。

1집ジプ『Chapter 1』(1999年1月13日)
すべての始まり。
「어머님께オモニンッケ
収録曲「관찰グァンチャル/観察」も含め、デビュー作にしてすでに「歌で物語を語る」というg.o.dの本質が表れている。
J.Y.Parkが初めて手がけ、バン・シヒョクが初めて作曲参加したアイドル作品。

2집チプ『Chapter 2』(1999年11月)
デビューと同じ年に放った2集。
タイトル曲は「사랑해サランヘ 그리고グリゴ 기억해ギオクヘ/サランへ クリゴ キオケ(愛してる、そして覚えていて)」。
後続曲に「애수エス/哀愁」「Friday Night」。
社会派バラードから恋愛や日常へとテーマを広げ、表現の幅を見せた。
デビュー年に2枚を出す勢いそのものが、上り調子を物語っている。

3집チプ『Chapter 3』(2000年11月)
g.o.dが「国民グループ」へ駆け上がった、決定的な一枚。
タイトル曲「거짓말ゴジッマル/嘘」が爆発的にヒット。
サビの振り付けまで誰もが真似た、g.o.d屈指のアンセムだ。
「g!o!d!짱ッチャン/チャン!」という掛け声は、ファンでなくても気づけば叫んでいた。
さらに「촛불하나チョッブルハナ/ろうそく一つ」も愛され、この3集は約192万枚という途方もない数字を売り上げた。

4집チプ『Chapter 4: 길ギル』(2001年11月)
タイトル曲「길/ギル(道)」は、g.o.dを語るうえで絶対に外せない名曲だ。
「僕たちが行くこの道は、いったいどこにあるのだろう」と、人生の迷いと前進を真正面から歌う。
特別な言葉は何もないのに、聴く者全員が自分の人生を重ねてしまう。

この4集は約174万枚を売り上げ、その年の放送3社(KBS・MBC・SBS)の歌謡大賞をはじめ、主要な賞を総なめにした。
韓国歌謡史でも稀な「完全制覇」の年だった。

そしてこの『Chapter 4』には、もう一つ、とんでもない記録がある。
それは後の「K-POP史」の章で書く。

5집チプ『Chapter 5』(2002年)
タイトル曲は「편지ピョンジ/手紙」。
収録曲に「0%/ヨンプロ」など。
だがこの5集は、g.o.dにとって切ない節目になる。
これを最後に、ユン・ゲサンがグループを離れた。
オリジナルの5人が揃う、最後のアルバムとなった。
ここから、4人体制が始まる。

6집チプ『보통날ボトンナル』(2004年12月8日)
4人で再出発した、復帰作。
タイトル曲「보통날ボトンナル/ボトンナル(普通の日)」は、その名の通り、何でもない日常の愛おしさを歌った。
後続曲は「반대가バンデガ 끌리는ックルリヌン/クルリヌン 이유イユ/正反対が惹かれ合う理由」。
5人時代とは違う、円熟した4人のハーモニーを聴かせた。

7집チプ『하늘속으로ハヌルソクウロ/ハヌルソグロ』(2005年)
4人体制でのアルバム。
タイトル曲「하늘속으로ハヌルソクウロ
この一枚を最後に、g.o.dの団体活動は、いったん幕を下ろした。
当時は誰も、次の章が9年後になるとは思っていなかった。

8집チプ『Chapter 8』(2014年7月8日)
9年の沈黙を破り、5人完全体で帰ってきた、奇跡の一枚。
デビュー15周年を記念したこの8集は、先行公開された「미운오리새끼ミウンオリセッキ/みにくいアヒルの子」「하늘색 약속ヤクソク/空色の約束」がデジタルチャートで”オールキル”を達成。
全12曲には、ファンへのオマージュが詰め込まれた。
この復活で、g.o.dはメロン・ミュージック・アワードの「今年のアルバム賞」を受賞。
「いつか5人で戻る」というファンとの約束が、果たされた瞬間だった。


「god의 육아일기ユクアイルギ」 韓国観察バラエティの、すべての原点

g.o.dが「人気アイドル」から「国民グループ」へ飛躍した、決定的な要因がある。
バラエティ番組「god의 육아일기ユクアイルギ」だ。

2000年1月から2001年5月まで、MBCで放送されたこの番組は、韓国の「観察バラエティ」というジャンルそのものの元祖になった。
今や韓国にも日本にも溢れている「芸能人の日常をただ観察する」フォーマット。
その源流が、ここにある。

内容は、驚くほどシンプルだ。
g.o.dの5人が、재민ジェミンという名の赤ちゃんを育てる。
ただ、それだけ。
だが、これが全国民の心を掴んだ。

メンバーには役割が振られた。
「王ママ」ソン・ホヨン、「王パパ」パク・ジュニョン、ファッション担当ユン・ゲサン、娯楽担当キム・テウ、寝かしつけ担当デニ・アン。
歌って踊るアイドルが、おむつを替え、ミルクをやり、あやす。
その不器用で愛おしい姿に、お茶の間が夢中になった。

しかも当時、彼らはまだ極貧の延長にいた。
番組で「米がなくてご飯が炊けない」場面が映ると、ファンが宿舎に米やおかずを送り届けた。
後にメンバーは「ファンが俺たちを食わせてくれた」と振り返っている。

アイドルを「遠い憧れ」ではなく「家族のような存在」に変える。
この番組が、g.o.dを国民グループにした、最大の鍵だった。


解散、それぞれの道、そして「解散と言わなかった」理由

2005年の7集を最後に、g.o.dの団体活動は止まった。

メンバーはそれぞれの道へ進む。
デニ・アンは俳優・MCへ。
ソン・ホヨンとキム・テウはソロ歌手へ。
パク・ジュニョンは一度アメリカへ戻り、ユン・ゲサンは俳優として地位を確立していった。

ここで美しいのは、メディアが「解散」と報じても、メンバー自身は決して「解散」という言葉を使わなかったことだ。
「いつか必ず5人で戻る」と、ファンに約束していたから。

解散ではなく、長い長い休息。
その約束を、彼らは守ることになる。


約束は、果たされ続けている

2014年5月、デビュー15周年プロジェクトとして、5人完全体の「미운오리새끼ミウンオリセッキ」がリリースされた。
12年ぶりの完全体に、韓国中が沸いた。
この復活で、g.o.dはその年のメロン・ミュージック・アワードで今年のアルバム賞を受賞。
12年のブランクを経てなお、彼らが「国民グループ」であることを証明した。

さらに2024年には、デビュー25周年を記念した単独コンサートを、ソウルのKSPO DOMEで開催。
四半世紀を経て、5人はまた同じ舞台に立った。

面白いのは、再結合後の活動期間(2014年〜)が、もう全盛期の活動期間(7年)も、休息期間(8年)も超えて、いちばん長くなっていることだ。
「いつか戻る」と言って戻ってきた5人は、戻ってからのほうが、長く一緒にいる。


なぜ、g.o.d”だけ”が、今も現役なのか

ここで一度、立ち止まりたい。

1世代アイドルは、H.O.T.も、S.E.S.も、Fin.K.Lも、ほとんどが活動を止めた。
あれほど「最長寿」を誇った神話さえ、近年はグループ活動を休んでいる。
▶ 神話と僕。 を読んだ人なら、その重みがわかるはずだ。

そんな中で、g.o.dは1世代で唯一、今も現役で活発に活動している。
2025年も単独コンサートを満員にし、デビュー27年目を迎えてなお、第一線にいる。

なぜ、g.o.dだけが続けられたのか。

理由は、デビューの瞬間にあった。
当時のアイドルは「神秘主義の美少年」が主流だった。
手の届かない、夢のような存在。

g.o.dは、その真逆を選んだ。
「平凡な青年」コンセプト。
英語まじりのラブソングを連発するのでもなく、10代の反抗を歌うのでもなく、母を、日常を、迷いながら歩く道を歌った。

だから、10代だけでなく、全世代が共感した。
そして、流行に左右されない曲だから、20年経って歌っても古びない。

「길」も「어머님께オモニンッケ」も、今の40代50代が、自分の青春そのものとして歌える。
時代を超える曲を持っていること。
それが、g.o.dが今も現役でいられる、いちばんの理由だ。


K-POP史における位置づけ 二大帝国の源流、そして伏線回収

g.o.dの功績を語るとき、避けて通れない事実がある。

このグループは、J.Y.Park(パク・ジニョン)が初めてプロデュースしたアイドルだった。
g.o.dの成功で、パク・ジニョンはプロデューサーとしての能力を世に認めさせる。
その実績が土台となり、後にJYPエンターテインメントが生まれ、Wonder Girls、2PM、TWICE、Stray Kids、NMIXXを世に送り出していく。

そして同時に、g.o.dはバン・シヒョクが作曲家として初めて参加したアイドルでもあった。
後にBig Hit、そしてHYBEを創業し、BTSを世界の頂点へ押し上げる、あの男だ。

つまりg.o.dは、現在のK-POPを支配する二大勢力、JYPとHYBEの創業者が、ともに最初期に関わったグループなのだ。

そして、ここからが、鳥肌が立つ話だ。

g.o.dの4集『Chapter 4』(2001年・約174万枚)は、韓国で「最後の単一アルバム・ミリオンセラー」だった。
以後、誰もこの記録に届かず、約16年が過ぎた。

その記録を破ったのが、2017年。
バン・シヒョクが手がけたBTSの『LOVE YOURSELF 承 Her』だった。

自分が作曲家として出発したg.o.dの記録を、16年後、自分が育てたBTSで塗り替える。
韓国の音楽史は、g.o.dからBTSへ、一本の線でつながっている。

TWICEを聴くときも、BTSを聴くときも。
その源流をたどれば、1999年の、あの極貧だった5人にたどり着く。


韓国でのイメージ

韓国でg.o.dは、「懐かしさ」と「あたたかさ」の代名詞として愛されている。

きらびやかなスターというより、「自分たちの青春のそばにいた、家族のようなグループ」。
「길」を聴けば学生時代を思い出し、「育児日記」を語れば世代の共通言語になる。

20代でリアルタイムだった人は、今や40代、50代。
それでも、いやだからこそ、g.o.dの名前は特別な感情とともに呼ばれる。

2014年の復活も、2024年の25周年コンサートも、単なる懐メロイベントではなかった。
「あの5人が、また約束を守って戻ってきてくれた」という、信頼と安心の物語として受け止められている。

国民グループとは、人気の大きさだけでなく、こうした「国民との約束を守り続ける関係」のことなのかもしれない。


ディスコグラフィー(主要作)

章 タイトル 年 特記 記事
1집チプ Chapter 1 1999 「어머님께オモニンッケ」デビュー 準備中
2집チプ Chapter 2 1999 人気加速 準備中
3집チプ Chapter 3 2000 「거짓말ゴジッマル」約192万枚 準備中
4집チプ Chapter 4: 길 2001 「길」約174万枚・最後のミリオンセラー 準備中
5집チプ Chapter 5 2002 ユン・ゲサン脱退 準備中
6집チプ 보통날ボトンナル 2004 4人体制へ 準備中
7집チプ 하늘속으로ハヌルソクウロ 2005 団体活動の一区切り 準備中
8집チプ Chapter 8 2014 完全体復活・MMA今年のアルバム賞 準備中

余談

グループ名「god」はGroove Over Doseの略。
神(God)ではないが、国民からはほとんど神格化された。

デニ・アンとソン・ホヨンは、実はg.o.d結成より前に、別の混成グループでデビュー寸前までいっていた。
そのメンバーには、後にS.E.S.となるShoo(シュー)もいた。
ShooがSMに引き抜かれてS.E.S.へ、別のメンバーはNRGへと散り、その企画は流れた。
▶ S.E.S.と僕。 とあわせて読むと、1世代の人脈の濃さに驚く。

極貧時代の反動か、売れてからのg.o.dは「食」に糸目をつけなくなった。
JYPへの移籍時には契約書に「食費に口を出すな」という条項を入れさせ、6集活動の半年で、スタッフ込みの食費が2億ウォンに達したという伝説がある。
腹を空かせた少年たちが、報われた証拠みたいな話だ。

かつてパク・ジュニョンがグループから外されそうになったとき、残りのメンバー全員が荷物をまとめて夜逃げし、抗議した。
「パクがいないなら、god じゃない」。
神話に負けない、g.o.dの義理の話である。

「어머님께オモニンッケ」のジャージャー麺のくだりは、韓国人なら誰もが知るフレーズ。
曲名を言えなくても、この歌詞を言えば通じる。


マルのひとこと

「길」という曲を、初めてちゃんと聴いたときのことを、鮮明に覚えている。
僕が衝撃を受けたのは、リズム感とメロディーのマッチングだった。
特に2番。

ただ、その後で歌詞を見て、さらに驚いた。
どれだけ大衆的な曲なんだと。
道を歩いていること、迷っていること、それでも前に進むこと。
特別な言葉は、何もない。
でも全部、自分のことみたいに刺さる。

個人的には、ワサップマンが人間としては一番好きだ。
ただ、キム・テウなしでは成立してないと、本気で思う。

g.o.dは、たぶん「いちばん普通に近いところで、いちばん深いことを歌ったアイドル」だ。
お母さんのジャージャー麺の嘘も、赤ちゃんのおむつを替える姿も、迷いながら歩く道も。
全部、僕らの生活のすぐ隣にある。

だから国民グループなんだと思う。
遠い星じゃなくて、隣の家の自慢の兄ちゃんたちみたいに。

そして知れば知るほど、このグループが韓国の音楽の「種」だったことに驚く。
J.Y.Parkも、バン・シヒョクも、ここから始まった。
ちなみに1世代で数少ないライブ参戦経験ありのグループ。


書き上げました。

「国民グループ」。
韓国でこの言葉は、安売りされない。
老若男女、誰もが名前を知っていて、誰もが一曲は口ずさめて、世代を超えて愛され続けている。
そういうグループにだけ許される称号だ。

1999年にデビューしたg.o.dは、四半世紀が過ぎた今も、その称号を持っている。
しかもこのグループは、ただ売れただけではない。
後に韓国の音楽産業そのものを動かす二人の男、J.Y.Park/パク・ジニョンと방시혁バンシヒョク/バン・シヒョクが、最初に手がけたアイドルでもあった。

これは、韓国でいちばん愛された5人組の物語だ。


■ 基本情報

項目 内容
グループ名 g.o.d(지오디ジオディ
名前の由来 Groove Over Dose(あふれ出るグルーヴ)
デビュー 1999年1月13日
所属 ッサイドスHQ(싸이더스ッサイドスHQ)
メンバー 5人
通称 국민그룹グクミングルプ
プロデュース J.Y.Park(박진영バクジンヨン/パク・ジニョン)
特記事項 J.Y.Parkが初めて手がけたアイドル。
방시혁バンシヒョク

■ メンバー

박준형バクジュンヒョン|王パパ、そしてワサップマン
韓国系アメリカ人で、グループの最年長。
英語が母語で、デビュー当時は韓国語がまだ不慣れだったことすらネタになった。
いまだに0ヶ国語とか言われてるw
後述の「god의 육아일기ユクアイルギ」では「王パパ」として愛された。
近年はYouTube番組「와썹맨ワッソプメン」で、食と旅とノリの良さで再ブレイク。
世代を超えて愛される、不思議な人間力を持つ。
モンジアルジ(わかるよな)が口癖。

윤계상ユンギェサン|ファッション担当、今は名優
グループのビジュアルを担い、「育児日記」ではファッション担当。
2002年にグループを脱退し、その後は俳優一本に絞った。
映画『범죄도시ボンジェドシ演技派俳優の一人になった。
アイドルから本物の俳優へ、最も鮮やかに転身したメンバー。

金をもらいにきたのに、何、そんなことまでわからなきゃだと。
犯罪都市より

데니안デニアン|寝かしつけ担当、MC
韓国系アメリカ人。
結成の経緯で重要な役割を果たした。
「育児日記」では寝かしつけ担当。
解散後はMC・俳優として、バラエティや司会の場で安定した存在感を発揮している。

손호영ソンホヨン|王ママ、通称ホイ
「育児日記」で赤ちゃんの「王ママ」を務め、そのあたたかい姿でファンダムを一気に押し上げた。
解散後はソロ歌手っていうゆうよりはミュージカル俳優として活動。
あの優しい笑顔を見れば、なぜ国民に愛されたかが分かる。

김태우ギンテウ|娯楽担当、OSTの帝王、クマ
グループ随一の歌唱力を誇るメインボーカル。
正直、歌唱力は1世代で比べても、最上位、アニ、神レベル。
「育児日記」では娯楽担当。
解散後はソロ歌手・ミュージカル俳優として活躍し、数々のドラマOSTを彩った「OSTの帝王」として知られる。
g.o.dの「歌うアイドル」という評価の、声の中心だった人。


■ 結成秘話 崩れかけた会社と、6人の練習生

g.o.dの始まりは、少し変わっている。

きっかけは、박준형バクジュンヒョン
別の事務所にいたデニ・アンを心配した叔母が、박준형バクジュンヒョン
박준형バクジュンヒョン손호영ソンホヨン/ソン・ホヨンを迎えた。
そこに윤계상ユンギェサンに集まった。
当初は「GOD6」として、6人組でデビュー準備が進んでいたのだ。

ソウル・瑞草区良才洞(ソチョグ・ヤンジェドン)の練習室で練習が始まった。
しかし1997年、アジア通貨危機(IMF)が韓国を襲う。
会社の経営が急速に傾き、彼らは良才洞の練習室を引き払うことになった。
そして高陽市一山(コヤンシ・イルサン)の宿舎に移され、「お前たちだけで練習しながら暮らせ」と告げられる。

国の経済が崩れ、会社も傾く中で、若者たちは自分たちだけで音楽を続けた。
この苦しい船出が、後の「어머니께オモニッケ/オモニッケ」という曲に、嘘のないリアリティを宿すことになる。


■ デビュー曲「어머니께オモニッケ

1999年1月13日、g.o.dは1集『Chapter 1』でデビューした。
グループ名「god」はGroove Over Dose(あふれ出るグルーヴ)の略。

デビュー曲は「어머님께オモニンッケ」。
この曲が、当時の韓国の心を撃ち抜いた。

「어머님은オモニンウン 짜장면이ッチャジャンミョンイ 싫다고シルダゴ 하셨어ハショッオ ッジャジャンミョンイ シルタゴ ハショッソ」。
お母さんはジャージャー麺が嫌いだとおっしゃった。
このフレーズが核心だ。
韓国でジャジャン麺は安くて庶民的な食べ物。
そのジャージャー麺さえ「嫌い」と言って子どもに譲る母。
その嘘の優しさを歌ったこの曲は、박준형バクジュンヒョン

1999年は、まだ韓国がIMF危機の傷の中にあった時代。
職を失い、家族がバラバラになる家庭が無数にあった。
そんな時代に「貧しさの中の母の愛」を歌ったこの曲は、刃のように人々の胸に刺さった。
きらびやかなアイドルソングではなく、誰もが自分の母を思い出す歌。
それがg.o.dの第一声だった。

そしてこのデビューには、もう一つ歴史的な意味がある。
プロデュースを手がけたのは、当時まだプロデューサーとして実績の浅かった박진영バクジンヨン。
g.o.dは、彼が初めて手がけたアイドルだった。
さらに、後にBTSを生み出すことになる방시혁バンシヒョク
後述するが、この事実はK-POP史において途方もない意味を持つ。

ちなみにオモニッケはアメリカ西海岸の伝説的ラッパー2PacのLife Goes Onという神曲をサンプリングして作曲、同じくDear Mamaという神曲を参考に作詞が成されている。


■ 全8章をたどる g.o.dディスコグラフィー完全解説

g.o.dのアルバムは、すべて「Chapter(章)」と名づけられている。
1枚ごとが、ひとつの物語の章。
順にたどっていく。

1집チプ『Chapter 1』(1999年1月13日)

すべての始まり。
タイトル曲「어머님께オモニンッケ」は、IMF危機の傷の中にあった韓国で、貧しさの中の母の愛を歌い、社会現象になった。
「お母さんはジャージャー麺が嫌いだとおっしゃった」この一節は、リーダーである박준형バクジュンヒョン
収録曲「관찰グァンチャルo.dの本質が表れている。
そしてこのアルバムこそ、J.Y.Parkが初めて手がけ、방시혁バンシヒョク
僕の大好きな曲も6「ニガ ダシ トラオルッス イットロ」もバン・シヒョクが作曲。
マジか。

2집チプ『Chapter 2』(1999年11月)

デビューと同じ年に放たれた2集。
タイトル曲は「사랑해サランヘ 그리고グリゴ 기억해ギオクヘ クリゴ キオケ(愛してる、そして覚えていて)」。
後続曲に「애수エス Night」。
1集の社会派バラードから、恋愛や日常へとテーマを広げ、グループの表現の幅を見せた。
デビュー年に2枚を出す勢いそのものが、彼らの上り調子を物語っている。

3집チプ『Chapter 3』(2000年11月)

g.o.dが「国民グループ」へと駆け上がった、決定的な一枚。
タイトル曲「거짓말ゴジッマル
サビの振り付けまで誰もが真似た、g.o.d屈指のアンセムだ。
さらに「촛불하나チョッブルハナ」も愛され、この3集は約184万枚という途方もない数字を売り上げた。
アイドルでありながら、歌唱力と楽曲の強さで勝負する。
その路線が完全に開花した。

4집チプ『Chapter 4: 길』(2001年11月)

タイトル曲「길/キル (道)」は、g.o.dを語るうえで絶対に外せない名曲だ。
「僕たちが行くこの道は、いったいどこにあるのだろう」と、人生の迷いと前進を真正面から歌う。
特別な言葉は何もないのに、聴く者全員が自分の人生を重ねてしまう。
この4集は約171万枚を売り上げ、その年のKBS・MBC・SBS放送3社の歌謡大賞すべてを制覇。
ゴールデンディスク賞も含め、主要な賞を総なめにした。
韓国歌謡史でも稀な「完全制覇」の年だった。

5집チプ『Chapter 5』(2002年)

タイトル曲は「편지ピョンジ (手紙)」。
収録曲に「0%」など。
だがこの5集は、g.o.dにとって切ない節目になる。
この作品を最後に、윤계상ユンギェサン
5人のg.o.dが見られる最後のオリジナルアルバムとなった。
ここから박준형バクジュンヒョン・데니안デニアン・손호영ソンホヨン・김태우ギンテウの4人体制が始まる。

6집チプ『보통날ボトンナル

4人体制で再出発した、復帰作。
タイトル曲「보통날ボトンナル (普通の日)」は、その名の通り、何でもない日常の愛おしさを歌った一曲。
後続曲は「반대가バンデガ 끌리는ックルリヌン 이유イユ ックリヌン イユ(正反対が惹かれ合う理由)」。
5人時代とは違う、円熟した4人のハーモニーを聴かせた。

7집チプ『하늘속으로ハヌルソクウロ

4人体制でのアルバム。
タイトル曲「하늘속으로ハヌルソクウロ
この一枚を最後に、g.o.dとしての団体活動はいったん幕を下ろした。
メンバーはそれぞれソロや俳優、MCの道へ。
長い長い休息の、その入り口となったアルバムだ。
当時は誰も、次の章が9年後になるとは思っていなかった。

8집チプ『Chapter 8』(2014年7月8日)

9年の沈黙を破り、5人完全体で帰ってきた、奇跡の一枚。
デビュー15周年を記念したこの8集は、タイトル曲「Saturday Night」のほか、先行公開された「미운오리새끼ミウンオリセッキ하늘색ハヌルセク 약속ヤクソク ヤクソッ(空色の約束)」が、ともにデジタルチャートで“オールキル”を達成。
全12曲には「우리가ウリガ 사는サヌン 이야기イヤギ/僕らが生きる物語」など、ファンへのオマージュが詰め込まれた。
この復活で、g.o.dはメロン・ミュージック・アワードの今年のアルバム賞を受賞。
「いつか5人で戻る」という、ファンとの約束が果たされた瞬間だった。


■ 「god의 육아일기ユクアイルギ ユガイルギ」韓国観察バラエティの、すべての原点

g.o.dが「人気アイドル」から「国民グループ」へと飛躍した、決定的な要因がある。
バラエティ番組「god의 육아일기ユクアイルギ」だ。

2000年1月9日から2001年5月12日まで、MBCで放送されたこの番組は、韓国の「観察バラエティ」というジャンルそのものの元祖になった。
今や韓国にも日本にも溢れている「芸能人の日常をただ観察する」番組フォーマット。
その源流が、ここにある。

内容は驚くほどシンプルだ。
g.o.dの5人が、재민ジェミン/ジェミンという名の赤ちゃんを育てる。
ただそれだけ。
だが、これが全国民の心を掴んだ。

メンバーには役割が振られた。
「王ママ」손호영ソンホヨン、「王パパ」박준형バクジュンヒョン、ファッション担当윤계상ユンギェサン、娯楽担当김태우ギンテウ、寝かしつけ担当데니안デニアン。
歌って踊るアイドルが、おむつを替え、ミルクをやり、あやす。
その不器用で愛おしい姿に、お茶の間が夢中になった。
赤ちゃんジェミンは番組のマスコットとして全国民の関心を集め、ファンカフェまで作られ、その会員数は2万6千人にのぼったという。

アイドルを「遠い憧れ」ではなく「家族のような存在」に変える。
この番組が、g.o.dを国民グループにした最大の鍵だった。


■ 解散、それぞれの道、そして「解散と言わなかった」理由

2005年の7集を最後に、g.o.dの団体活動は止まった。

メンバーはそれぞれの道へ進む。
デニ・アンは俳優・MCへ。
손호영ソンホヨンと김태우ギンテウはソロ歌手としてデビュー。
박준형バクジュンヒョンは韓国での活動を畳み、アメリカに戻ってハリウッド(ドラゴンボール)進出を試みた。
윤계상ユンギェサンは除隊後、本格的に俳優活動に専念し、映画『범죄도시ボンジェドシ

ここで美しいのは、2006年から2014年まで、メディアが「解散」と報じても、メンバー自身は決して「解散」という言葉を使わなかったことだ。
「いつか必ず5人で戻る」とファンに約束していたから。
解散ではなく、長い長い休息。
その約束を、彼らは守ることになる。


■ 2014年、そして2024年 約束は果たされた

2014年5月8日、デビュー15周年プロジェクトとして、音源「미운오리새끼ミウンオリセッキ
12年ぶりに5人が完全体で見せた曲として、韓国中が沸いた。

そしてこの復活で、g.o.dはその年のメロン・ミュージック・アワード(Melon Music Awards)で今年のアルバム賞を受賞。
12年のブランクを経てなお、彼らが「国民グループ」であることを証明した。

さらに2024年9月27日から29日まで、デビュー25周年を記念した単独コンサート「CHAPTER 0」を、ソウル・オリンピック公園KSPO DOMEで開催。
四半世紀を経て、5人はまた同じ舞台に立った。
約束は、果たされ続けている。


■ K-POP史における位置づけ。
二大帝国の源流

g.o.dの功績を語るとき、避けて通れない事実がある。

このグループは、J.Y.Park(박진영バクジンヨンだった。
g.o.dの成功によって、박진영バクジンヨン
その実績が土台となり、後にJYPエンターテインメントが生まれ、Wonder Girls、2PM、TWICE、Stray Kids、NMIXXといったグループを世に送り出していく。

そして同時に、g.o.dは방시혁バンシヒョクが作曲家として初めて参加したアイドルでもあった。
後にBig Hit、そしてHYBEを創業し、BTSを世界の頂点に押し上げる、あの方時赫だ。

つまりg.o.dは、現在のK-POPを支配する二大勢力、JYPとHYBEの創業者が、ともに最初期に関わったグループなのだ。
TWICEを聴くときも、BTSを聴くときも、その源流をたどれば、1999年のあの5人にたどり着く。

加えて「歌うアイドル」「観察バラエティの元祖」という遺産もある。
アイドルが本気の歌唱力で勝負することも、日常をさらけ出して親しみを得ることも、g.o.dが先に切り開いた道だった。


■ 韓国でのイメージ

韓国でg.o.dは、「懐かしさ」と「あたたかさ」の代名詞として愛されている。

きらびやかなスターというより、「自分たちの青春のそばにいた、家族のようなグループ」。
「길/ギル」を聴けば学生時代を思い出し、「育児日記」を語れば世代の共通言語になる。
20代でリアルタイムだった人は今や40代、50代。
それでも、いやだからこそ、g.o.dの名前は特別な感情とともに呼ばれる。

2014年の復活も、2024年の25周年コンサートも、単なる懐メロイベントではなかった。
「あの5人が、また約束を守って戻ってきてくれた」という、信頼と安心の物語として受け止められている。
国民グループとは、人気の大きさだけでなく、こうした「国民との約束を守り続ける関係」のことなのかもしれない。


■ ディスコグラフィー(主要作)

章 タイトル 年 特記 記事
1집チプ Chapter 1 1999 「어머님께オモニンッケ」
デビュー
準備中
2집チプ Chapter 2 1999 人気加速 準備中
3집チプ Chapter 3 2000 「거짓말ゴジッマル」
「촛불하나チョッブルハナ」
約184万枚
準備中
4집チプ Chapter 4: 길 2001 「길」
約171万枚
歌謡大賞席巻
準備中
5집チプ Chapter 5 2002 윤계상ユンギェサン 脱退 準備中
7집チプ 하늘속으로ハヌルソクウロ 2005 団体活動の一区切り 準備中
8집チプ 2014(15周年) 2014 「미운오리새끼ミウンオリセッキ」完全体復活 準備中

■ 余談

  • グループ名「god」はGroove Over Doseの略。
    神(God)ではないが、国民からはほとんど神格化された
  • 「god의 육아일기ユクアイルギ」のジェミンは今や成人。
    韓国では「あのジェミンが…」と時の流れを感じる話題として時々語られる
  • デビュー時、박준형バクジュンヒョン
    今のワサップマンでも面影は十分残っている
  • 「어머님께オモニンッケ
    曲名を言えなくても、この歌詞を言えば通じる

■ マルのひとこと

「길」という曲を初めてちゃんと聴いたときのことを鮮明に覚えている。
僕が衝撃を受けたのはリズム感とメロディーのマッチングであった。
特に2番。
ただ、その後歌詞を見てさらに驚いた。
どれだけ大衆的な曲なのだと。
道を歩いていること、迷っていること、それでも前に進むこと。
特別な言葉は何もない。
でも全部、自分のことみたいに刺さる。

個人的にはワサップマンが人間としては一番好き。
ただ、キム・テウなしでは成立してないと本気で思う。

g.o.dは、たぶん「いちばん普通に近いところで、いちばん深いことを歌ったアイドル」だ。
お母さんのジャージャー麺の嘘も、赤ちゃんのおむつを替える姿も、迷いながら歩く道も、全部、僕らの生活のすぐ隣にある。
だから国民グループなんだと思う。
遠い星じゃなくて、隣の家の自慢の兄ちゃんたちみたいに。

そして知れば知るほど、このグループが韓国の音楽の「種」だったことに驚く。
J.Y.Parkも방시혁バンシヒョクも、ここから始まった。
うりぬん、g.o.dはとにかく聴くべきだ。
間違いない。

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