ライバル、という言葉がある。
韓国のアイドル史で、この言葉がいちばん似合う対決があった。
「H.O.T. vs 젝스키스(ジェクスキス)」。
1990年代後半、SMのH.O.T.と、DSPの젝스키스。
この二組が、ステージとお茶の間と、そして10代の心を、真っ二つに割った。
今でも、EXOとBTSのファンダム対立を語るとき、メディアは「H.O.T.と젝스키스みたいだ」と例える。
それくらい、この対決は伝説になっている。
正直に言う。
人気の総量では、H.O.T.が上だった。
H.O.T.のファンダムは、ソ・テジを除けば、BTSすら超える、韓国史上最大級のものだったからだ。
でも、ここで考えてほしい。
その怪物の隣に、ずっと立ち続けた者がいる、という事実を。
1位が桁外れだっただけで、2位の젝스키스もまた、桁外れだった。
これは、「確固たる2位」が、どれほど偉大だったかの物語だ。
そして、ライバルがいたからこそ、韓国に「アイドル・ファンダム文化」そのものが生まれた、という物語でもある。
▶ H.O.T.と僕。 と、必ずセットで読んでほしい。
■ 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| グループ名 | 젝스키스(SECHSKIES/ジェクスキス) |
| 名前の由来 | ドイツ語 Sechs Kies「六つの水晶」 |
| デビュー | 1997年4月15日(正規1集『학원별곡(学園別曲)』) |
| デビュー時所属 | 대성기획(DSP) |
| 再結合後所属 | YGエンターテインメント(2016〜2024) |
| メンバー | 4人(デビュー時は6人) |
| リーダー | 은지원(ウン・ジウォン) |
| 公式カラー | 노란색/ノランセッ(黄色) |
| ファンダム | YELLOWKIES(イエローキス) |
| 通称 | H.O.T.と並ぶ、アイドル・ファンダムの始祖 |
■ メンバー
은지원(ウン・ジウォン)|リーダー・メインラッパー・国民の「ウン・チョディン」
グループの精神的支柱で、ラップの中心。
解散後はソロでヒップホップに転向し、ドランクン・タイガーと組んだ「만취/マンチョ in melody」を当てる。
さらにバラエティ『1泊2日』での天然キャラ「은초딩(ウン・チョディン=小学生みたいなウンさん)」で、国民的な人気者になった。
歌謡大賞と芸能大賞、その両方を獲った唯一のメンバーでもある。
ステージのカリスマと、バラエティの脱力。
その振れ幅こそ、彼の魅力だ。
이재진(イ・ジェジン)|メインダンサー・リードボーカル
釜山出身の踊り手。
低音の効いた歌声と、グループのダンスを担った。
実は最初、社長に「画面で見ると鼻が大きい」と渋られたが、은지원とキム・ジェドクが「こいつは絶対いる」と説得して加入した経緯を持つ。
김재덕(キム・ジェドク)|リードダンサー・サブラッパー
イ・ジェジンと同じ釜山出身で、中学からの親友。
ダンスと振付の中心で、解散後はチャン・スウォンと「J-Walk」を結成した。
H.O.T.のトニー・アンとは、なんと10年も一緒に暮らした大親友。
ライバルグループのメンバー同士が同居する。
この事実が、すべてを物語っている。
장수원(チャン・スウォン)|メインボーカル
最年少のメインボーカル。
オーディションで「得意なことは?」と聞かれ、「何もないんですけど?」と正直に答えたら、社長が「正直でいい」と合格させた、という伝説の持ち主。
解散後は歌唱力を磨き上げ、独特のロボットのような「棒演技」をあえてキャラにして、バラエティでも愛された。
そして、忘れてはいけない元メンバーが二人いる。
고지용(コ・ジヨン) と 강성훈(カン・ソンフン)。
デビュー時、젝스키스は6人組だった。
再結合のとき、コ・ジヨンは芸能界を離れて一般人として生きる道を選び、カン・ソンフンも後にグループを離れた。
こうして今の4人体制になった。
だが、あの6人で駆け抜けた3年間が、伝説の出発点だったことは、変わらない。
■ グループ名 「六つの水晶」と、危なかった「ユッケジャン」
「젝스키스」は、ドイツ語の Sechs Kies。
意味は「六つの水晶」。
6人のメンバーを、3人ずつ「ブラックキス」「ホワイトキス」に分ける、という設定もあった。
ちょっと厨二っぽくて、最高にカッコいい。
でも、ここで笑える話を一つ。
このグループ、危うく全然違う名前になるところだった。
候補に挙がっていたのが、「マグマ」「溶岩」、そして「육개장(ユッケジャン)」。
あの、辛い牛肉スープである。
しかも「ユッケジャン」が有力で、それに合わせて公式カラーも赤になりかけていた。
最終的にMBCの은경표/ウン・ギョンポPDが「젝스키스」と名づけて、事なきを得た。
後にメンバーの은지원は、こう言って笑った。
「ユッケジャンも、健康食だから悪くなかった」。
…危なかった。
■ 結成秘話 ハワイのクラブDJが、伝説になるまで
젝스키스の始まりは、ハワイだった。
最初にスカウトされたのは、은지원とカン・ソンフン。
当時、은지원はハワイに留学中で、クラブのDJのアルバイトをしていた。
そこへ、DSPの이호연(イ・ホヨン)社長が遊びにやって来る。
社長は、은지원が働くクラブのオーナーと親しかった。
「男性デュオを作りたいんだ」。
そう言う社長に、オーナーが二人を推薦した。
その場で即席オーディションをやって、二人はスカウトされる。
帰国した二人は、「デュオ」でデビューする予定で、練習を始めた。
ところが、ここで事件が起きる。
ライバルのH.O.T.が、「Candy」で爆発的に大ヒットしたのだ。
それを見た社長は、急きょ方針を変える。
「デュオじゃない。6人組のアイドルだ」。
そこから、急いでメンバーが追加された。
「友達についてオーディションに行ったら、友達は落ちて自分が受かった」チャン・スウォン。
釜山で踊りの名手だった、イ・ジェジンとキム・ジェドク。
そしてカン・ソンフンの紹介で、コ・ジヨン。
H.O.T.の成功がなければ、젝스키스は「デュオ」のままだったかもしれない。
ライバルが、ライバルを生んだ。
最初から、この二組は、運命でつながっていた。
■ H.O.T.との「双頭馬車」 ライバルが、文化を生んだ
1997年4月15日、젝스키스は1集『학원별곡/ハクォンビョルゴッ(学園別曲)』でデビューした。
そこから、わずか3年。
この短い期間で、젝스키스はH.O.T.と並ぶ「歌謡界の双頭馬車(쌍두마차/ッサンドゥマチャ)」になった。
ここで強調したいのは、この二組のライバル関係が、韓国の「アイドル・ファンダム文化」そのものを発明したということだ。
H.O.T.は白い風船、젝스키스は黄色い風船。
コンサート会場は、白と黄色で真っ二つに割れた。
教室は「SM派(H.O.T.)」と「DSP派(젝스키스)」に分かれた。
誰かを応援するということ、仲間と結束するということ、ライバルと競い合うということ。
今のK-POPファンダムが当たり前にやっていることの「原型」が、この対決で生まれた。
面白いのは、当事者たちの関係だ。
ファンは激しくぶつかったが、メンバー同士は仲が良かった。
SMのイ・スマン社長は、젝스키스のマネージャーにご飯をおごり、肩を叩いたという。
「ライバルでいてくれて、ありがとう」と。
ライバルがいることで、二組とも、相乗効果でもっと大きくなれた。
お互いが、お互いにとって、なくてはならない存在だった。
そして1998年、ソウル歌謡大賞。
ライバルであるはずのH.O.T.と젝스키스は、なんと「大賞」を分け合った(共同大賞)。
白い風船と黄色い風船が、その年の頂点で、並んで立った。
争いながら、二組で時代の頂点をつくった。
これ以上ない、ライバルの形だ。
■ なぜ「2位」が、これほど偉大だったのか
「H.O.T.の2番手」と言うと、地味に聞こえるかもしれない。
でも、その「2位」の中身がすごい。
3年1ヶ月の活動で、正規・非正規あわせて5枚のアルバム。
販売枚数は、音協集計で約264万枚(370万枚とも言われる)。
音楽番組1位は、通算40回以上。
1998年には、ソウル歌謡大賞で「大賞」を受賞している。
アイドルとして初めて、由緒あるセジョン文化会館で公演し、毎年の単独コンサートを完売させた。
そして2000年、解散発表後の告別ステージ(ドリームコンサート)には、約5万人のファンが詰めかけた。
極めつけが、3集だ。
젝스키스は、アイドル歌手として初めて、一枚のアルバムから3曲が地上波で1位を獲るという新記録を打ち立てた。
「커플/コプル(カップル)」「Road Fighter」「폼생폼사(フォンセンフォンサ)」「무모한 사랑/ムモハン サラン(無謀な愛)」「Com’ Back」。
ヒット曲を挙げればきりがない。
H.O.T.の人気が桁外れだっただけで、젝스키스を脅かせる存在は、H.O.T.以外に一組もいなかった。
1位と2位の差は大きかったが、2位とその下の差も、また大きかった。
つまり젝스키스は、「最強のライバルがいたせいで2位に見えるだけの、まぎれもない最強グループ」だったのだ。
特に「커플」は、ファンでなくても歌える国民的な大衆性を持っていた。
H.O.T.の曲が「観賞用・舞台用」だったのに対し、젝스키스の曲は、カラオケでみんなが肩を組んで歌える曲だった。
この「親しみやすさ」もまた、젝스키스の武器だった。
■ 解散、そしてそれぞれの道
2000年5月18日、젝스키스は記者会見を開き、解散を発表した。
理由ははっきりとは語られず、ファンに大きな衝撃を残した。
その別れに際して出した告別アルバムのタイトルは『Blue Note』。
収録曲「Bye」が、そのまま、ひとつの時代へのさよならになった。
メンバーは、それぞれの道へ進む。
中でも、은지원の転身が鮮やかだった。
ソロでヒップホップに進み、やがてバラエティの世界へ。
『1泊2日』で見せた、ゆるくて、子どもみたいで、憎めないキャラクター「은초딩」は、国民全員に愛された。
ラップのカリスマだった青年が、お茶の間の人気者になる。
歌謡大賞と芸能大賞、その両方を手にしたのは、젝스키스のメンバーで彼だけだ。
キム・ジェドクとチャン・スウォンは「J-Walk」を結成。
他のメンバーも、それぞれの場所で生きていった。
バラバラになっても、彼らは「解散したグループ」のまま、消えていくはずだった。
■ 奇跡の再結合と、「時を超えた1位」
2016年、奇跡が起きる。
MBC『無限挑戦』の「トトガ2(土曜土曜は歌手だ2)」特集に、젝스키스が再結合して登場したのだ。
16年ぶりに揃った姿に、韓国中が涙した。
そして彼らは、YGエンターテインメントと契約し、本格的に活動を再開する。
コンサートは、チケット発売から数分で完売。
驚くべきは、ファン層だった。
昔からのファンだけでなく、当時生まれてもいなかった若い世代が、YouTubeで過去の映像を見て、新たにファンになっていた。
03年生まれと03学生が同じファンカフェにいる、という不思議な光景が生まれた。
そして、この再結合がもたらした、とんでもない記録がある。
젝스키스は、1990年代・2010年代・2020年代、3つの年代すべてで音楽番組1位を獲った、唯一の第一世代アイドルだ。
2017年、「아프지 마요/アプジ マヨ(苦しまないで)」で、実に6000日以上ぶりの1位。
2020年には「ALL FOR YOU」で、2020年代の1位まで手にした。
20年以上の時を、彼らは飛び越えてみせた。
普通のアイドルが一度きりの旬を生きるなら、젝스키스は「三つの時代」を生きたのだ。
2024年、YGとの契約満了で、グループ活動はいったん区切りを迎えた。
でも、メンバーは言っている。
「30周年に集まれたら、また集まる」と。
この物語は、まだ終わっていない。
■ 名前は、めぐりめぐってYGのものに
젝스키스の物語には、「名前」をめぐる、面白い縁がある。
元の事務所DSPは、젝스키스と契約書すら交わさず、解散後も「젝스키스」の商標を申請しなかった。
そして再結合後、YGがその商標を正式に登録した。
今、「젝스키스」という名前は、YGのものだ。
ここで、うりぬんで書いてきた他の1세대と並べてみたい。
- 神話は、奪われた名前を、12年の裁判で取り戻した(▶ 神話と僕。)
- Fin.K.Lは、愛されすぎて、誰も登録できない「固有名詞」になった(▶ Fin.K.Lと僕。)
- そして젝스키스は、めぐりめぐって、再出発の地YGに名前を託した
名前の守られ方ひとつにも、それぞれのグループの人生が出る。
ちなみに、YGとの縁にも伏線があった。
デビュー当時、「Road Fighter」のMVを「この曲が好きだから撮らせてくれ」と無償で撮った新人監督がいた。
その監督こそ、後にBIGBANGやBLACKPINKのMVを手がける、YGの名匠ソ・ヒョンスンだった。
16年後、젝스키스はそのYGへやって来る。
縁とは、本当に不思議なものだ。
■ K-POP史における位置づけ
젝스키스の功績は、二つある。
ひとつは、H.O.T.とともに「アイドル・ファンダム文化」を発明したこと。
ライバルがいたから、応援が生まれ、結束が生まれ、市場が爆発的に育った。
SM対DSP、白対黄の構図がなければ、今のK-POPの熱狂は、ここまで早く形にならなかった。
もうひとつは、「2位の偉大さ」と「再結合の理想形」を示したこと。
史上最大のファンダムの隣に立ち続け、20年後に戻ってきて、また1位を獲る。
旬が過ぎても終わらない、というアイドルの新しい生き方を、神話やg.o.dと並んで証明した。
DSPはこの後、Fin.K.L、SS501、KARAを輩出していく。
젝스키스は、そのDSPの、いちばん最初の輝きだった。
■ 韓国でのイメージ
韓国で젝스키스は、「青春そのもの」「ライバル時代の片割れ」として、特別な愛情で記憶されている。
40代になっても変わらない仲の良さ、은지원の国民的な예능キャラ、そして「커플」のあの大衆的なメロディ。
それらが、젝스키스を「過去のグループ」にしない。
そして何より、彼らの再結合は、韓国の人々に「あの頃は、終わっていなかった」という安心をくれた。
白い風船と黄色い風船で割れていたあの教室の、黄色い側にいた人たちが、今も笑って「젝키、最高だった」と言える。
ライバルがいた青春は、幸せだ。
젝스키스は、その幸せの、半分を担った存在なのだ。
■ ディスコグラフィー
| アルバム | 年 | タイトル曲 | 記事 |
|---|---|---|---|
| 正規1집 『학원별곡(学園別曲)』 | 1997 | 학원별곡 폼생폼사 | 準備中 |
| 正規2집『Welcome To The Sechskies Land』 | 1997 | 기사도(騎士道) | 準備中 |
| 正規3집『Road Fighter』 | 1998 | Road Fighter | 準備中 |
| スペシャル3.5집『SechsKies Special』 | 1998 | 커플(カップル) 大賞受賞 | 準備中 |
| 正規4집『Com’ Back』 | 1999 | Com’ Back | 準備中 |
| 告別アルバム『Blue Note』 | 2000 | Bye(別れの曲) | 準備中 |
| 正規5집『ANOTHER LIGHT』 | 2017 | 특별해 웃어줘 (再結合) | 準備中 |
| ミニ1집『ALL FOR YOU』 | 2020 | ALL FOR YOU (2020年代も1位) | 準備中 |
■ 余談
グループ名は危うく「육개장(ユッケジャン)」になりかけ、公式カラーも赤になりかけた。
黄色い風船は、ぎりぎりで守られた。
リーダー은지원は、ハワイ時代クラブDJだった。
「은초딩」のあの脱力キャラからは、ちょっと想像できない過去だ。
キム・ジェドクは、ライバルH.O.T.のトニー・アンと10年間も同居した。
ファンは敵同士でも、本人たちは大親友。
アイドルって、そういうものなのかもしれない。
チャン・スウォンの「何もないんですけど?」という伝説のオーディション回答は、今や名場面として語り継がれている。
社長は、その正直さに、未来を見たのだろう。
■ マルのひとこと
主役の隣には、いつもライバルがいる。
ウルトラマンには怪獣が、ライバルがいないヒーローは、なんだか物足りない。
H.O.T.という巨大な太陽の隣で、젝스키스はずっと、もう一つの光だった。
正直、人気では負けていたのかもしれない。
でも、「2位」って、そんなに簡単になれるものじゃない。
史上最強のファンダムの隣に、3年間ずっと立ち続けるって、どれだけのことか。
1位の影に隠れて見えにくいだけで、젝스키스は、まぎれもない化け物だった。
そして僕がいちばん好きなのは、彼らが「終わらなかった」ことだ。
16年経って、おじさんになって、それでも黄色い風船の前にまた立った。
そして90年代も、2010年代も、2020年代も、全部の時代で1位を獲った。
時間を、飛び越えてしまった。
ライバルがいる青春は、幸せだ。
白い風船を握っていた人にも、黄色い風船を握っていた人にも、あの熱狂は一生の宝物のはずだ。
うりぬん、その黄色を、ちゃんと覚えていたい。



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