シアトル生まれの韓国系アメリカ人が、2PMのリーダーとして韓国に渡り、スキャンダルで叩き落とされ、そこから這い上がってK-HIPHOPシーンを丸ごと塗り替えた。
そういうキャリアを歩んできた人間が、Jay Park (박재범) だ。
ありえないだろ、普通に考えて。
アイドルグループを追放された人間が、その国で最大のヒップホップレーベルを作って、Jay-Zのロックネイションと契約して、「韓国語ラップシーンで最も重要な人物の一人」と呼ばれるようになる。
そんな話、フィクションでも書きにくい。
僕がJay Parkの名前を初めてちゃんと認識したのは、AOMMGというレーベル名を追いかけていたときだった。
Gray、Simon Dominic、Loco、GroovyRoom。
そのレーベルの源流を辿ったら、全部この人に行き着いた。
結果、Jay Parkは「K-HIPHOPの背骨」だった。
目次
1. プロフィール
2. 主要ディスコグラフィー
3. シアトルから2PMへ、そして崩壊まで
4. 廃墟からレーベルを建てた男
5. Roc Nationと、アジア人として超えた壁
6. Jay Parkの音楽が持つもの
7. レーベルオーナーとしてのJay Park
8. マルのひとこと
プロフィール
本名:朴宰範 (박재범)。
生年月日:1987年4月25日。
出身地:アメリカ・ワシントン州シアトル。
職業:ラッパー、シンガー、レーベルオーナー、Bボーイ、ダンサー。
主な活動レーベル:AOMG、H1GHR MUSIC、Roc Nation (旧契約)。
2008年に2PMのリーダーとして韓国デビュー。
2009年に脱退後、アメリカに戻りソロ活動を開始。
2013年にAOMMGを設立し、K-HIPHOPの独立系レーベルの先駆けを作る。
2017年にH1GHR MUSICを設立し、同年Jay-ZのRoc Nationと契約。
アジア系アメリカ人として初のRoc Nationアーティストとなった。
Korean Hip-hop Awards (KHA)の最優秀アーティスト賞を複数回受賞している。
主要ディスコグラフィー
| リリース年 | タイトル | 種別 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 2010 | Count on Me (Nothin’ on You) | シングル | ソロキャリアの起点となったカバー |
| 2011 | Abandoned (feat. Dok2) | シングル | 韓国チャート6位・米ワールドチャート2位 |
| 2012 | New Breed | スタジオアルバム | 1stアルバム |
| 2013 | JOAH | シングル | 代表曲のひとつ、韓国語で「好き」の意 |
| 2014 | Evolution | スタジオアルバム | 2ndアルバム |
| 2015 | Mommae | シングル | 韓国での大ヒット |
| 2015 | Worldwide | スタジオアルバム | 3rdアルバム |
| 2016 | Drive | シングル | 夜のR&Bを代表する一曲 |
| 2016 | Everything You Wanted | スタジオアルバム | 4thアルバム |
| 2019 | The Road Less Traveled | スタジオアルバム | 5thアルバム |
| 2024 | The One You Wanted | スタジオアルバム | 最新作 |
シアトルから2PMへ、そして崩壊まで
Jay Parkはシアトルで生まれた。
韓国系アメリカ人として育ち、ストリートダンス、特にBボーイのカルチャーに深くのめり込んでいった。
日本で言えば、地元の公園や駅前の広場でずっとブレイクダンスを練習していたストリートキッズ、みたいな感じだ。
その頃の彼にとって、音楽は「聴くもの」であり「踊るためのもの」だった。
歌手になりたいとか、ラッパーになりたいとか、そういう大きな夢があったかどうかは、本人しかわからない。
ただ、体が音楽に反応していた少年だったのだろうとは思う。
そのダンスの腕前が買われて、JYPエンターテインメントのスカウトに引っかかった。
韓国語もろくにできないシアトルの少年が、ソウルに渡って練習生になる。
言語の壁、文化の壁、何もかもが違う環境の中で、それでもJay Parkはそこで生き残っていった。
2008年、2PMのリーダーとしてデビュー。
グループはすぐに人気を獲得して、Jay Parkはその顔になっていった。
アイドルとして、ビジュアルとして、ダンサーとして。
シアトルの少年は韓国のスターになっていた。
ところが2009年、地獄が来た。
2005年、まだ十代だったJay Parkがマイスペース (MySpace) に書き込んだ愚痴が掘り起こされた。
「韓国が嫌い」「韓国の女の子はブサイク」というような内容のコメントが、韓国メディアに取り上げられて一気に炎上した。
当時のネットは今より容赦がなかったし、K-POPアイドルへの期待というのは「無欠の偶像であること」だった。
少年が外国でホームシックになって、誰かに愚痴をこぼすような感覚でSNSに書いた言葉。
それだけの話が、グループを脱退させるまでの騒ぎになった。
Jay Parkは謝罪声明を出した後、2PMを脱退した。
正確には「活動休止」として発表されたが、実質的な追放に近い形だったとも言われている。
グループのリーダーが突然いなくなる。
そしてその事情が「昔のSNSの書き込み」だと知ったとき、僕は正直なんとも言えない気持ちになった。
誰にだって、十代のころに言いたくなかったことを言ってしまった黒歴史はある。
それが数年後に掘り起こされて、仕事と居場所を失う。
そりゃしんどいだろ、と思った。
普通ならそこで終わる。
アイドルという商品としての賞味期限が切れたまま、消えていく。
でもJay Parkはアメリカに帰った。
そしてそこから始めた。
「帰った」のか「逃げた」のかは、当時の彼にしかわからない。
でも結果として、そこから彼の本当のキャリアが始まった。
2010年、B.o.BとBruno Marsの「Nothin’ on You」のカバー動画をYouTubeに上げた。
それが大きな反響を呼んで、ソロアーティストとしての第一歩を踏み出す。
スキャンダルで叩き落とされた人間が、ソーシャルメディアで這い上がってくる。
時代のうねりとたまたま合ったとも言えるし、彼自身の実力がそこにあったとも言える。
どちらも正解だと思う。
ただ、「やめなかった」こと、それだけは彼自身の話だ。
廃墟からレーベルを建てた男
ソロとしての活動が軌道に乗り始めた2013年、Jay ParkはAOMG (Above Ordinary Music Group) を設立する。
「普通の上に行く」という意味を込めた名前だ。
いい名前だと思う。
普通じゃダメだ、という意志が字面に出ている。
アイドルとして「普通の外れ値」を求められ続けた男が、「普通より上」という名前のレーベルを作る。
なんとなく皮肉が効いている気がするのは、僕だけだろうか。
AOMMGに集まったのがまた凄かった。
Simon Dominic、Gray、Loco、そしてGroovyRoom。
それぞれが今やK-HIPHOPシーンの主要プレイヤーだ。
Grayは楽曲プロデュースとラップの両方をこなすマルチプレイヤーで、GroovyRoomはK-HIPHOPとK-POPの境界を溶かし続けるプロデューサーユニットだ。
Jay Parkなしに彼らの現在はなかったと言っていい。
レーベルオーナーとして、「この人たちに場所を作った」ということの意味は、音楽史的にも大きい。
AOMMGは独立系レーベルとして、大手芸能事務所の支配下にない音楽を発信し続けた。
SM、YG、JYPという大手三社が圧倒的なシェアを持つ韓国の芸能界で、独立系がここまでの存在感を持つのは異例だ。
日本で言えば、エイベックスやソニーミュージックが市場を牛耳っている中で、完全インディーのレーベルがストリーミング上位を独占するようなものだ。
そりゃそうだ、簡単にはできない。
それをJay Parkはやった。
2013年にリリースした「JOAH (좋아)」は韓国語で「好き」という意味だ。
R&Bとヒップホップが混ざり合った、聴いていて気持ちのいい曲で、Jay Parkのソロキャリアを象徴する一曲となった。
アイドル時代のパブリックイメージを引きずらず、かといってアンダーグラウンドでもない。
一般リスナーとヒップホップリスナーの両方が楽しめるゾーンを、Jay Parkはうまく狙っていた。
この絶妙なポジショニングが、AOMMGというレーベルの空気感とも一致していた。
「Mommae (몸매)」も2015年に大ヒットして、韓国のメインストリームにも彼の名前を刻んだ。
タイトルは韓国語で「体つき」を意味する言葉だ。
R&Bというよりダンスポップに近い作りで、当時の韓国のクラブシーンを席巻した。
「JOAH」とは別の顔を見せることで、Jay Parkというアーティストの幅の広さが証明された形だ。
Swingsとの絡みもあり、Jay ParkはK-HIPHOPというシーン全体の横断的な人間として機能してきた。
特定のグループやコミュニティに閉じこもらず、いろんな人間と曲を作り、いろんな方向に音楽を広げていく。
それがJay Parkのやり方だった。
2017年にはH1GHR MUSICも設立する。
これは「東西の音楽の橋渡し」を掲げたグローバルレーベルで、Sik-KやBrandyなどとも関わりを持ちながら展開していった。
AOMMGがK-HIPHOPシーンの「国内基地」だとすれば、H1GHR MUSICは「国際展開の拠点」というイメージだろうか。
Jay Parkにとって音楽は「韓国のもの」でも「アメリカのもの」でもなく、自分自身のものだった。
シアトルで生まれて、ソウルで育てられて、どちらでもあってどちらでもない。
その曖昧さをそのまま武器にした人間だ。
Roc Nationと、アジア人として超えた壁
2017年7月、Jay ParkはJay-ZのRoc Nationと契約した。
アジア系アメリカ人として初めてRoc Nationと契約したアーティストとして、歴史に名前が刻まれた。
Roc Nationはエンターテインメント会社、マネジメント会社、音楽レーベルを兼ねた巨大組織だ。
Rihanna、Beyonce、J. Coleらが名を連ねる、アメリカ音楽界の中でも特に存在感の大きいプレイヤーだ。
そこにK-HIPHOPのアーティストが入る。
2017年の時点で、それは「初めて」のことだった。
Jay Parkはシアトル生まれで英語がネイティブだが、韓国語もほぼネイティブレベルで操る。
2PMで練習生として韓国語を叩き込まれ、その後のキャリアもほとんど韓国で展開してきたからだ。
英語と韓国語を自在に切り替えながらラップするスタイルは、今のK-HIPHOPでは珍しくなくなっているが、Jay Parkはその先駆者のひとりだ。
コードスイッチングを、テクニックとしてではなく、アイデンティティとして使っていた。
「どちらでもある」ことを、恥ずかしいことではなく誇りにできた最初の世代の、最前線にいた人間だ。
日本で言えば、ニューヨークで生まれ育った日系人が日本のヒップホップシーンに渡ってきて、日本語ラップとの間の壁をぶち破って、アメリカの超大手レーベルと契約した、みたいな話だ。
そんな人、いねーだろ。
Jay Parkはそれをやった。
しかも、追放されてからやった。
追放されて、帰国して、ゼロから始めて、それで世界最大級のレーベルと組んだ。
そのストーリーラインに、嘘はない。
Roc Nationとの契約は、Jay Park個人の評価であると同時に、韓国ヒップホップというシーン全体の評価でもあった。
「アジアの音楽でも通用する」ではなく「この人の音楽が通用する」という形で評価された。
そこに国籍や出身地は関係なかった。
ただの実力の話だった。
その事実が、Jay Parkの後に続いたアーティストたちの背中を、確実に押したはずだ。
Jay Parkの音楽が持つもの
Jay Parkの音楽をジャンルで括るのは難しい。
R&B、ヒップホップ、トラップ、ダンスミュージック、ポップ。
どれも正解で、どれも不十分だ。
彼の音楽は「どこかに属する」ためではなく、「自分がいちばん気持ちよくなれるもの」として作られている感じがする。
そのエゴイスティックな正直さが、結果として多くの人に届いた。
「Abandoned (feat. Dok2)」(2011年) を聴いてほしい。
この曲は米ワールドチャートで2位を記録した。
アメリカのメディアに向けて作られた曲ではなく、韓国でリリースされた曲が、向こうのチャートに食い込んでいった。
それが2011年の話だ。
K-POPが「世界で聴かれる音楽」としてメインストリームに登場する前の話だ。
Jay Parkはそういう時代に、すでに国境を超えていた。
Dok2との共演というのも象徴的だ。
Dok2はK-HIPHOPアンダーグラウンドの核のひとりで、Illionaire Recordsの設立者でもある。
そのDok2とJay Parkが組む。
「アイドル上がりのソロシンガー」と「ヒップホップシーンの重鎮」という組み合わせが、普通なら軋轢を生む。
でも「Abandoned」はその壁を超えた曲だった。
Jay Parkが「こちら側にいる人間だ」と認められた証明のような曲だ。
ダンサーとしての身体感覚が、音楽にも出ている。
Jay Parkの楽曲には「動かしたい」という衝動がある。
頭で聴かせる音楽ではなく、体が先に動く。
Bボーイとして鍛えたリズム感が、ラッパーとしてのフロウにも染み出している。
フロウが「歌」に近いのは、ダンサーが音楽を「タイミングで感じる」ことと無関係ではないと思う。
「JOAH」は恋愛ソングだが、単純な甘さじゃない。
ちょっとくどいくらいの好意の表明が、自虐的なユーモアと同居している。
聴いていてニヤっとする感じというか、真剣なのに照れてる感じというか。
Jay Parkという人間の体温が、楽曲から滲み出ている。
こういう曲は、本人が「ちゃんとそこにいる」ときにしか作れない。
「Drive」(2016年) は逆にダウナーで落ち着いた夜の曲だ。
「Everything You Wanted」アルバム収録のこの曲には、それまでのJay Parkにはなかった成熟感がある。
アーティストが歳を重ねることで獲得していく、静かな自信みたいなもの。
「JOAH」で「好きだよ!」と叫んでいた人間が、「Drive」では窓の外を眺めながら静かに何かを考えている。
その変化は、音楽として素直に面白い。
2019年の「The Road Less Traveled」はタイトルからして明確だ。
ロバート・フロストの詩「The Road Not Taken」を連想させる言葉遊びでもある。
「あまり人が通らない道」。
2PMを追放された1987年生まれのシアトル少年が、20年かけて辿り着いた道のことを言っているんだろう。
誰も通っていない道だから、正解があるかどうかもわからない。
それでも歩き続けた、という記録がこのアルバムだ。
2024年には「The One You Wanted」をリリースした。
キャリア30年近くになっても現役で新作を出し続けている。
衰えを感じさせない、というよりも、Jay Parkというアーティストはずっと進化の最中にいるように見える。
止まらない理由が、この人にはあるのだろう。
レーベルオーナーとしてのJay Park
Jay Parkを語るとき、「アーティスト」の話だけでは足りない。
「経営者」としての顔が、K-HIPHOPシーンに与えた影響は、下手すると楽曲そのものより大きいかもしれない。
それくらい、AOMMGとH1GHR MUSICというレーベルの存在は重要だ。
AOMMGを設立した2013年、韓国のヒップホップシーンにはすでに実力者が多くいた。
でも「彼らが自由に音楽を作れる場所」は限られていた。
大手事務所に所属するか、完全に自主制作でやるか、どちらかしかなかった。
Jay ParkはAOMMGで「その中間」を作った。
アーティストが自分の音楽を作れる自由度を保ちながら、レーベルとしての資源と信頼も持つ。
そのモデルが、K-HIPHOPの独立系シーンの一つの雛形になった。
GrayはAOMMGで数え切れないほどの楽曲をプロデュースしてきた。
GroovyRoomも同様で、今では韓国のトップアーティストの楽曲に当たり前のようにクレジットされている。
Locoは長期にわたってヒット曲を出し続けてきた。
Simon Dominicはベテランとしてシーンに重みを与え続けている。
これだけの人材が一つのレーベルの下に集まって活動していた。
それがAOMMGだ。
Jay Parkが作った器が、人を呼んだ。
H1GHR MUSICはさらにグローバルな展開を意識して作られたレーベルで、より国際的なアーティストや楽曲を積極的に展開していった。
Jay Parkは「K-HIPHOPをアメリカに売り込む」という発想ではなく、「最初からどこにでも属する音楽を作る」という発想で動いていた。
その考え方が、後のK-HIPHOPの海外展開にも影響を与えていると思う。
K-HIPHOPを「シーン」として語るとき、必ず出てくる名前がいくつかある。
Dok2、Verbal Jint、BewhY、そしてJay Park。
それぞれが違う角度から違うものをシーンに持ち込んだ。
Jay Parkが持ち込んだのは、「外側から来た者の視点」と「ビジネスとしての音楽を動かす力」だ。
アーティストであることと、経営者であることを、分けて考えない人間だ。
それが彼の強さでもあり、シーンへの最大の貢献でもあった。
韓国ヒップホップというシーンが世界に出るためのパスポートを、Jay Parkは自分の手で作った。
Roc Nationとの契約はその象徴だったし、AOMMGやH1GHR MUSICはその実装だった。
シアトルの少年が「普通の上へ行く」という名前のレーベルを立ち上げた。
その話のオチは、まだ続いている。
Korean Hip-hop Awards (KHA)での最優秀アーティスト賞受賞は、Jay Parkがシーンの内側からも認められ続けてきたことの証明だ。
ファンに支持され、批評家にも評価され、後輩アーティストには道を作った。
三役を同時にこなし続けてきた人間が、Jay Parkだ。
マルのひとこと
「Abandoned」を初めてちゃんと聴いたとき、「あ、この人はK-POPの人じゃない」と思った。
アイドルを追い出された人間が作った曲、という文脈を知った上で聴くと、タイトルの「捨てられた」という言葉の重さが変わる。
自虐なのか、怒りなのか、それとも宣言なのか。
たぶん全部だろうと思って、僕はしばらく「Abandoned」を聴き続けた。
追放されてからが本番、という人間のキャリアを、もっと掘っていきたい。
うりぬん、Jay Parkが辿った道のりを、もう少し丁寧に追いかけたい。



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